歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

牛久を歩く “彷徨い、佇み、沁みてくる”

2009年01月16日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

“カントリーロード”を歩いています。

まだ、もう少し、こんな景色がつづきます。


この寒いのに釣り人が、


ここにも居ます。


以前、この辺りで、小学生の兄弟が釣りをしていたので、下に降り釣りの様子を見ていたことがあります。

その時の兄弟と話した事を思い出しました。二人とも、“はい”とか、“そうですね”とか、妙に言葉が丁寧だったのです。

その時、釣った魚を見て驚いたのです。どう見ても“ハゼ”に見えるのです。あの海に居るハゼです。

川にも上っても来ますが、いくら何でも、こんな田圃の水路にまで、絶対に上ってくる訳が無いのです。でも、少年達は何の疑問も抱かず、田圃で“ハゼ”を釣っていたのです。

あのとき、弟が“明日はお父さんと潮干狩りに行くんです”と話してくれました。そんな季節の頃でした。

後で調べたら、“田圃のハゼ”は確かに存在しました。淡水に生息するハゼの仲間だったのです。まったく知りませんでした。

この釣り人達も、田圃のハゼを釣っているのでしょうか、でも、しかし、あのときの季節とは異なるのですが・・・・・・。


冬枯れの田圃、静かで、寒そうで、寂しそう・・・・・・。


一人彷徨い、一人佇み、一人漂う・・・・・・。冬の寒さが躰に沁みてきます。これも、また、ひとつの“季節感”


そろそろ、市街地に近づきます。


カントリーは“ロード”ではなく、“ライン”だったようです。ずっと、“ロード”と記憶していました。


交差点を左折して、牛久市街に向かいます。

右側の角の建物は、お蕎麦屋さんです。一度入ったことがあるのです。店内の造作はそれなり店なのです。

蕎麦の味は“そうか。うん。まぁ、そうだよなぁ”と、云った味です。

左折して市街を目指します。


それでは、また来週。



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牛久を歩く “しつこいぞ!橋銘板”

2009年01月15日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

6号線を外れ、龍ヶ崎方面に向かう立体交差、常磐線も跨いでいます。こちらが牛久駅方向になります。遠くに、微か~に、筑波山が見えます。


こちらが、歩いて来た佐貫駅方向です。


立体交差の上は大型貨物が列をなして就寝中、長距離トラックの労働環境はそうとうに厳しいようです。


すぐ先には、最近できた“サッカーの練習場”


“FC常総アイデンティ”とあります。J1の下のJ2?、そのまた下のJ3?そんなの無いか? それにしても、チーム名が“アイデンティ”とは如何に?


“牛久大仏”の案内看板と同じく、左に曲がり“カントリーロード”に入ります。この道には、カントリーロードの名称が付いているのですが、それを示す看板は見あたりません。


信号を左折、どうですか? カントリーな雰囲気がするでしょう。偶に車で通るのですが、何処か遠くの観光地に来た気分を味わえます。


この道をまっすぐ、まっすぐ行って、突き当たりを左に曲がり、その先の信号を右に曲がり、道なりに暫く走ると、左手に、あの“ポティロンの森”があるのです。15分ぐらいです。


道の両側はこんな感じ。


“カラス瓜”がぶら下がっています。


一瞬、この“ばばだいばし”の文字を読んで、漢字が思い付かず、音の感じから、ずいぶん“汚い”イメージを抱きました。


白鳥さんには申し訳ないのですが、何とも“バッチィ~”名前です。反対側には漢字表記で、“馬場台橋”とあります。表音文字より、表意文字です。


牛久沼が近いので“白鳥と河童”何ですね。それにしても、この橋銘板はかなり手が込んでいます。

金属的な質感がありますが、拳で叩いて確認したところ、モルタルの表面に金属粉入りの塗料を吹きつけ、仕上げたものと判明。何でも叩くと判るのです。

橋を渡り、その先の信号を右に少し入って、ちょっと寄り道をします。この辺に確か“一里塚”があるのです。


ありました。ただ土が50センチほど盛り上がっているだけで、木も石垣も何も無い、ただの四角い出っ張りです。


石柱や案内板が無ければ、一里塚とは誰も気が付きません。ホントにこれが一里塚?



表題に“成井一里塚”とだけあります。ここは一つ、“水戸街道・成井一里塚”としてもらいたい。

この道が昔の水戸街道なのです。牛久沼の湿地帯を大きく迂回していたのです。

この結果、現在の龍ヶ崎市街は、常磐線からも、6号線からも、遠く離れたところにあるのです。

それと、牛久市教育委員会とあり、この辺りはもう牛久市なのです、龍ヶ崎の外れとばっかり思っていました。


カントリーロードに戻り直進します。

この橋の銘板も、。


こちらは“銅”の質感。目立ち過ぎです。段々と、しつこく感じてきます。橋銘板は、もう少し控え目でイイと思います。


カントリーロードはホントに山の中です。もう少し行くと町中に入ります。

今日は、この辺でお終い。


それでは、また明日。



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牛久を歩く “中華と中国”

2009年01月14日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

まだ、龍ヶ崎を歩いています。

左手に牛久沼、右手には常磐線を見ながら、6号線を歩いています。測道に面して中華屋さんが見えてきました。周りに商店はまったくありません。一軒食堂です。


明らかにプロが描いた看板では有りません。料理も手作り、看板も手作りなのです。


それにしても、このキャッチコピー“栄養豊富中華料理”が、何とも“泣かせ”ます。美味しい何てことよりも、先ずは兎にも角にも“栄養”が一番なのです。

ある意味で、時代の先端を行っているのかも知れません。旨い不味いの選択肢は、もう贅沢となり、栄養が最優先される時代になったのです。

それにしても、餃子だけに“特製”と書かれています。後のラーメン、肉だんご、焼き肉、日替わり定食は、普通製? たぶん餃子には、かなりの自信とこだわりがあるのでしょう。

建物の外観から、昨日、今日の店ではありません、こんな立地条件で長年営業していると云う事は、それなりに固定客を掴んでいるようです。


この店、“測道”に面しているため、車で通りがかりに“餃子でも”と思っても、ちょっと無理なのです。かなり迂回しないと、見えていても辿り着けません。

それと、“中華”料理と“中国”料理とでは、何となく中国料理の表現に高級感があります。

“ラーメンなど”は、中国料理と云うよりも、中華料理で、それも単に“中華”と云った表現になります。

まぁ、日本の“所謂ラーメン”は“和風中華”と云ったほうが正しいのです。最近は中国からの旅行者が、日本のラーメンを旨いと云って、人気ラーメン店を訪れるそうです。

最近のラーメンは“凝りに凝った”、正真正銘の日本料理になってしまった感があります。私は“あっさり、さっぱり”の“支那そば派”です。

ところで、支那ですが、シナと入力(ATOK)しても“支那”と変換できません。マスコミでも使われません。

“シナチク”は“メンマ”になってしまいました。この話は、かなり、ややこしいのでこの辺でやめておきます。

兎に角、中華人民共和国の人々が“いやだぁ”と云うならば、使わない方がイイのかも知れません。でも、そんな話は聞いたことが・・・・・・なのです。

話がかなり、外交的、政治的、思想的、歴史的、感情的等、込み入った問題に入りそうですが、今は6号線の“中華よしみ”の前で、看板を睨み佇んでいるのです。

兎に角、6号線を下ります。

正面に龍ヶ崎方面への立体交差が見えてきました。


私も、ここで6号線から離れ龍ヶ崎方面に向かいます。立体交差の階段を登ります。

何なんだ!これは! 文字か?記号か?お呪いか? 最近よくある落書きの書体とは異なります。


こちらは、何となく判る落書き、それなりにポップ? 下のおじさんは“北島のサブちゃん?”


立体交差の上から、牛久沼を望みます。この日は曇り、方角的に夕日が沈む方向になります。夕暮れ時は絶景かも?


牛久を歩くのタイトルですが、今日もまだ龍ヶ崎を歩いています。

それでは、また明日。


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牛久市を歩く “もしかして可変橋脚?”

2009年01月13日 | 牛久市の風景
えーそれでは、本日より、お正月モードから、平常モードに戻り、これより、茨城県の牛久市を歩きます。

牛久市は隣の千葉県にもあるようですが、今回の牛久市はあくまでも常磐線の沿線の牛久です。

それで、歩き始めたのはJR常磐線の「佐貫駅」からです。佐貫駅は龍ヶ崎市にあり、これまた千葉県は富津市にも似たような、JR外房線「佐貫町駅」があります。

牛久市と云えば“牛久沼”となりますが、牛久沼は龍ヶ崎市にあるのです。

地図で確認すると牛久沼は、つくば市に大きく食い込み、龍ヶ崎市には端じっこがほんの少しだけ接触しているだけなのです。

冒頭からややこしい話でスイマセンです。それで、龍ヶ崎の佐貫駅から牛久沼に向かいました。

6号線水戸街道にぶつかり右に曲がります。取手の市街で6号線から分かれたバイパスが、沼の端をかすめて再度合流して来ます。

橋と云うよりも、道路の高架と云ったところですが、橋桁には“牛久沼大橋”とあります。


それで、この大橋の橋脚なのですが、何か“細工”がありそうなのです。


土台の部分に隙間があり、何か「伸びたり、縮んだり」しそうな雰囲気を漂わせています。

牛久沼の縁に橋脚が立っているのです。沼の縁ですから、地盤は軟弱、基礎工事をしっかりしても、年月が経てば橋脚は沈んで行く危険性はかなり高いと思われます。

そこで、何らかの“仕掛け”があると、眺め廻し探し廻し、そして、この結合部が怪しいと睨んだのです。


傍らの“橋脚銘板”に、何らかの答えが記されているかと思い、じっくり読んでみたのですが、単なる普通の橋脚としての記載しか有りません。


“特殊・沈下調整・脚長可変・橋脚・3号型”何て、ややこしい名称を期待したのですが、単なる普通の橋脚としての記載。国土交通省は何か隠しているのではないか? まぁ、いいけどねぇ。

それにしても、昔何処かの建設会社が“地図に残る仕事”何てコピーを使ったCMを流していたけど、地図にも、橋脚銘板にも、個人の名前が残るようです。

歳月を経て老いを迎えた「城太郎さん」、「秀典さん」は、各地に刻まれた名前を訪ね歩く、そんな旅を・・・・・・するのでしょうか? それなりに、何となく羨ましい気もします。

東京は日本橋から、47㎞の地点です。


牛久市を歩くシリーズの第1回目ですが、まだ龍ヶ崎市を歩いています。それでも、今日はこの辺で終わります。


それでは、また明日。


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朝青龍“優勝”そして“引退”の予感

2009年01月12日 | 相撲の話し
初場所が始まりました。

話題の中心は、何と言っても朝青龍です。場所前に行われた“横審の稽古総見”では、白鵬に負け、日馬富士に負け、稀勢の里にも負け、まったく良いところ無しでした。

でも、しかし、昨日の初日、苦手の稀勢の里に何とか土俵際、いっぱい、いっぱいで逆転。稀勢の里の詰めの甘さに助けられました。

何を隠そう、わたくし、陰ながら密かに朝青龍を応援しているのです。世間にいじめられると可哀想になってしまうのです。

確かに、いじめられたからと云って、挫けたり、いじけたり、僻んだり、落ち込んだりする“タマ”ではありません。

イイじゃないですか“品格”何て、そんな大げさな事を云わなくても、と、思うのです。

言動、態度が“一般常識”の範囲内であればOKです。偶々、数回の、常識の範囲を越えた、言動、態度により“悪役”のレッテルを貼られてしまっただけです。

その後は、レッテルを補強する様に、そう云う言動、態度を狙われ、報道される様になり、見る側も“それ”を期待し、結果として“悪役朝青龍”が作られていったのです。

朝青龍も他の力士と、そうは大して変わらないと思います。作られ誇張された役回りを、それなりに“演じてしまった”のです。

一度貼られたレッテルは剥がすのは面倒なのです。

面倒くさいので、“そっちがそれなら、そう振る舞ってやろうじゃないか!”なのです。

普通は、マイクが向けられ、カメラが回っている間だけは、それなりに当たり障りのない、言動、態度をとるのですが、彼はそうしなくなったのです。

そして、今では、その時の感情を素直に、そのまま正直にぶつけて、悪役を楽しむ境地に至ったのです。

見かけだけの“品格を演じる”バカバカしさに気付き、立派な横綱になることを拒否したのです。こういう横綱が居てもイイと思うのです。

悪役イメージを増幅させたのは、マスコミとテレビ観戦の観客です。観客は悪役横綱を楽しんでいます。観客は悪役に見合った情報を要求し、そして、マスコミは供給しただけです。

大相撲は国技だァ! 横綱には品格がァ! 何てことは、それなりに、そこそこであればイイのです。正々堂々、面と向かって、公に、大きな声で、叫ぶほどの問題ではないのです。

それで、今場所の朝青龍のことですが、もしかして、気力、体力、集中力、技の限りを尽くし、最後の優勝を飾り、そして、引退する覚悟の様に見えるのです。

横綱朝青龍は、負けが込んでの引退は絶対に無いと思います。今場所は覚悟を決めて土俵に登ったのです。

千秋楽、土俵下での優勝インタビューで“引退”を宣言するのです。これぞ、悪役の美学です。と、まぁ、そう勝手に思い込んでいるのです。


兎に角、

ガンバレ!・ガンバレ! 朝青龍! 

今場所の優勝が無理なら、来場所優勝して引退を! 

悪役横綱を最後まで貫徹し、有終の美を飾ろう!


それでは、また明日。

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「愛の終りに」が見られません!?

2009年01月09日 | その他
愛の終りに


やっぱり、だめなようです。何ですかね?

「埋め込みはリクエストにより無効となっています」の表示は?

何が問題なのでしょうか? 埋め込み不可の表示が、画面何処かにある?

よく解りませ~ん???????

聴いてみたい方は、YouTubeに直接どうぞ!

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“愛の終わり”から“愛のままで”そして、高田みづえ。

2009年01月09日 | その他
今週は、愛を貫いています。

“愛のままで・・・”の秋元順子さんも気になる方ですが、作詞作曲の花岡優平さんがちょっと気になったのです。優平さんは他にどんな曲を作っているのか?調べてみました。

 岩崎宏美「姫ごころ」
 大泉逸郎「孫」(編曲)
 柏原芳恵「途中下車」(作曲)
 桑田靖子「晩秋」(作曲)
 香田晋「源さん音頭」(作曲)
☆高田みづえ「愛の終わりに」(作詞・作曲)
 田川寿美「代わり番この子守唄」「夫婦あやとり」(作曲)

こんな曲を手がけていたのです。知っているのは“大泉逸郎の「孫」ぐらいです。これは編曲だけです。

その中に、あの“高田みづえ”が歌った“愛の終わり”がありました。昭和57年(1982年)の発売で、15万枚が売れたそうです。

いまから26年前の事です、当時私は32歳、まったくこの曲は知りません。高田みづえと云えば、「硝子坂(77年)」、「そんなヒロシに騙されて(83年)」が記憶に残っています。

高田みづえの最大のヒット曲は「私はピアノ」だったそうです。知りませんでした。“サザンの桑田佳祐”の作詞作曲だそうです。 
 
硝子坂はデビュー曲で、作曲が、あの“宇崎竜童”です。去年、結婚後始めてテレビに出演し歌ったのが、やっぱり「硝子坂」でした。

このとき、彼女は「私の“唯一”のヒット曲です」と云って硝子坂を歌っていました。やはり、彼女にとっても「硝子坂」が“一番”の想いで曲のようです。

最大のヒット曲「私はピアノ」は記憶から消えているようです。私の記憶からも消えています。

私にとっても、高田みづえと云えば“硝子坂”です。先日、ラジオ深夜便の“五木寛之のコーナー”で流れていました。いい曲です!そして、みづえちゃんは歌が上手い。

話は逸れますが、五木寛之がこんな話を“ラジオ深夜便”でしているとは、知りませんでした。このコーナーなかなかイイです。でも、早朝の4時台ですからなかなか聴けません。

それでは、硝子坂をどうぞ、

Mizue Takada - Garasu-Zaka


やっぱり、いいです。上手です。懐かしい! さきほどの“私の唯一のヒット曲”発言ですが、売り上げ枚数順でいくと、

1位が「私はピアノ(80年)」で49万3千。

2位が「硝子坂(77年)」で31万1千。

3位が「そんなヒロシに騙されて(83年)」で30万6千。

そして、花岡優平さんの「愛の終わりに」は、8位で15万1千枚売れ、その年のヒットチャート28位でした。

77年にデビューして、85年に大関若嶋津と結婚して芸能界を引退。現在は松ヶ根部屋の女将さんです。

去年のテレビ、画面に映し出された姿には“女将さん疲れが”漂っていました。1960年6月の生まれですから、今年で49歳になります。

それでは、“愛の終りに”



どうでした?

作詞:花岡 優平 作曲:花岡 優平 編曲:川村 栄二

 1.時の 流れがそっと
   街路樹を 染めるみたいに
   あの人の心も 変ってゆきました
   もうすぐさよならの日が
   来るのは分かっているけど
   今でも信じている あの日の温もりを
   
   愛はいつだって 仕方なく 壊れてゆくけど
   騙されて 捨てられた 訳じゃない
   
   そんな風に云ったなら
   笑う人も いるけれど
   人を 信じられない 人よりは幸せ


 2.もう 逢えなくなるのが
   そんなに 今は恐くない
   心の どこかでまだ
   信じられないのでしょう
   電話で さよならを
   云って欲しくは ないのです
   受話器を置いた後の 淋しさが恐いから
   
   愛はいつだって 仕方なく 壊れてゆくけど
   騙されて 捨てられた 訳じゃない
   
   同じ事と云いながら
   誰かが笑っているけれど
   愛を 信じられない 人よりは幸せ


   愛はいつだって 仕方なく 壊れてゆくけど
   騙されて 捨てられた 訳じゃない
   
   そんな風に 云ったなら
   笑う人もいるけれど
   人を 愛せない様な 人よりは幸せ


いつだって仕方なく“壊れてゆく”愛から、壊れずに、変わらずに“いつまでも続く”愛へと・・・・・・。

“愛のままで・・・”は、“愛の終わりに”の続編なのかも知れません。花岡さんもこれで、愛を完結させ、そして、印税収入も、知名度も、大幅アップで一安心?


それでは、また来週。
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“愛のままで・・・” を、もう一度

2009年01月08日 | その他
昨日の続きのようなものです。

今日は、少し、いろいろと、“愛のままで・・・”を、しつこく“こねくり回す”ことにします。

この曲、メロディーと云い、詞と云い、歌い方と云い、声質と云い、いつか?何処か?で流れていた?・・・・・・そんな気がするのです。

まぁ、それだけ、自然に聴く人を“その気に”させる曲なのです。この様な曲がヒットするのです。

先ずは、昨日に引き続き聴いてみましょう。今回はフルコーラスです。

では、どうぞォー!

愛のままで・・・ / 秋元順子


どうでした?


作詞、作曲“花岡優平”です。

  「小鳥たちは 何を騒ぐの  
  甘い果実が欲しいのですか?」

窓辺に佇み、梢の小鳥の囀りに、若き日に想いを巡らしているのでしょうか? 物質的な欲望から解き放たれたいま・・・・・・。

それにしても、「甘い」箇所を、実に「あっま~~い」歌い方になっています。ホントに甘そうです。


  「だれかとくらべる 幸せなんて いらない
  あなたの視線が 愛しくあれば」

比べる事に、疲れ、そして、愚かさに気づき、愛の眼差しだけで幸せを感じるいま。

  「あぁこの世に生まれ めぐり逢う奇跡
  すべての偶然が あなたへと続く」

“この世に生まれ めぐり逢う奇跡”何処かで聴いたような詞です。

“すべての偶然が あなたへと続く”この辺が、とてもロマンチックで、女心を鷲掴みです。

“たった一つ偶然”で結ばれた不幸の後で、“いくつもの偶然”が重なりあい、めぐり逢った“奇跡の愛”。一度離婚したのか、それとも不倫なのか?聴く人に想像させるのです。

  「そう生きてる限り ときめきをなげかけて
  愛が愛のままで 終るように

“生きてるかぎり ときめきをなげかけ”られる方も、かける方も、かなり疲れます。それでも、愛が愛で終わるまで頑張るのです。

これは、やっぱり夫婦の関係では無理?

  「過ぎた日々を飾ることより あなたと生きる
  これからの時間(きせつ)
  あとから感じるシアワセよりも 
  今は糸ひくような接吻しましょう」

これまでは、ロマンチックに、美しい言葉で、象徴的な詞が、ここで突然、“あとから感じる幸せよりも”、即物的、動物的、雄雌的、愛欲的、ネッチリ・ネバネバ的に、変化します。

やっぱり、精神的な愛だけでは御不満なのです。まだまだ、身体は元気いっぱい現役なのでしょうか?

詞の中の女性は、何歳ぐらい?それぞれが、それぞれの想いで、聴けるように、歌えるように、年齢や状況は聴く人の想像に任せる余地を残す・・・・・・これがヒット曲のテクニック?

それでも、歌っている秋元順子さんが61歳ですから、目一杯広げて、40代後半から70代半ば位の女性がターゲットでしょうか?

それにしても“糸ひくような接吻”には、吸引力、持続力、気力、精力が必要となり、男も女も70代ではちょっと無理でしょう。

詞は“しましょう”とあるので、現実としては体力の衰えを自覚し、それでも、熱き情熱だけは、いつまでも糸を引く・・・・・・そんな願望の表明? 

「あぁ生きてる意味 求めたりしない
 ただ あなたの愛につつまれながら
 そうキャンドルの灯が いつか消える時まで
 愛が愛のままでつづくように」

生きている意味、愛し合う意味、そんな理屈は後から付いて来るのです。いつまでも、ただ、ただ、生きている限り、命の灯る限り、愛につつまれていたいのです。

ロマンチックです。現実には存在しない状況を夢見る、美しくも哀しい女心・・・・・・、それほど、現実は愛とは無関係に過ぎていくのでしょう。

いくつになっても、男でも、女でも、ひとりでは生きていけない・・・・・・。

誰かを愛し、誰かから愛される・・・・・・、そんな願望を抱きつつ、現実の世の中では、スーパーのチラシに眼を凝らし、一円でも安い品物を探し求めているのです。

そんな日常を忘れさせてくれる、あま~~い、あま~~い、愛の歌です。

秋元順子さん“まだ”61歳です頑張って下さい。

私も“アラカン”で~す。


それでは、また明日。





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お正月の雑談 “愛のままで・・・”

2009年01月07日 | 雑談
今日は7日の水曜日、世の中は5日の月曜日から動き始めているようです。国会も月曜日から始まっています。

今年は、お正月気分がまったくしないのです。年末年始の、お見舞い、通夜、告別式で、あっちに行ったり、こっちに行ったり、忙しかった所為もあります。

でも、やっぱり、何と言っても、毎年2日に遊びに来る孫が風邪の為に、今年は来られなかった事が“最大の原因”です。

でも、しかし、11日に遊びに来るのです。それと、2日前にFAXで孫から可愛い“Birthday card”が届いたのです。

何と!“Happy Birthday”と英語で書いてありました。私の似顔絵も大変良く描けていました。今年の春には“年長さん”になります。


11日が楽しみなのです。


それにしても、年末年始の特番は、ホントに、何とも、情けないほど“ク~ダラナイ・ク~ダラナイ”のオンパレードです。

これは、絶対に、間違いなく、制作者側は“この程度”の番組が、視聴者に受けると確信しているのです。

いまどき“テレビ等”を観ている連中はこの程度と考えているのです。

①それとも、もしかして、制作者は“モウ!ヤケクソ”なのでしょうか。

②それとも、あの程度の番組を“面白がって”観ている人々がいるのか?

③それとも、「面白くない番組」の「面白くないところ」が、“面白い”と云って、観ている人々がいる?

何となく③の可能性が高いような気がします。

兎に角、テレビは、年々“つまらない度”を増しつつあります。




そんな中、今年は紅白を、最初から最後まで“眺めて”しまいました。

そんな中、秋元順子の“愛のままで”は、画面から眼を逸らし、聴いてしまいました。

一昨年の紅白でブレイクした“千の風になって”、そして、去年ブレイクしそこなった“吾亦紅”。

そして、今年は大ブレイクの予感? “愛のままで・・・”

Akimoto Junko - Aino Mamade 愛のままで


どうですか? なかなか聴かせる曲ですよねぇ。

それでは、また明日。





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予想外の出来事が!

2009年01月06日 | その他
年が明けて今日で6日目、今年の幕開けと云うか、去年の年末からと云うか、予想外の出来事で、暇な私もそれなりに忙しかったのです。

暮れの28日に、母の妹の旦那が入院しているとの事で、埼玉県の春日部にお見舞いに行って来たのです。

それが、大晦日に急に容態が悪化し夜の10時頃に亡くなられ、元日に親戚が集まり葬儀の段取りをを決めたのです。

“葬儀関係”は、これまで母に任せていたので、まったくの無知。元日に親戚が当事者の家に集まったのです。

兎に角、その日の内に“取り敢えず”伺えばよいと思い、10時頃に家を出たのです。

到着する頃になって時間を見ると昼時、こんな時に相手に食事の気を使わせていけないと、ファミレスで早めの昼食を摂ったのです。

時間はたっぷり、二人でゆっくり昼食をし、カプチーノを2杯飲み時間を調整し1時近くになってファミレスを出たのです。

駐車場で車に乗り込んだ瞬間、携帯が鳴り“当事者の長女”から、“皆さんがお待ちです。後どの位で来られますか?、時間によっては皆さんお帰りになるようです!”と告げられました。

“ハイ。あと15分ぐらいで着くと思います”と返事をしたら、“判りました”と云って電話は切れたのです。

待っているのか? それとも帰ってしまうのか? 何とも判らないのです。たぶん電話の様子では、親戚一同“憤慨している様子”だけは伝わってきました。

向かう途中で、“何たって、皆さん待っている何て、判らなかったんだから、いまさら、しょうがない”、兎に角、行ったら“遅れて申し訳ありません”と謝ろうと云う事に。

それに、私の事は、たぶん“あいつの事だから、こんなもんだろう”何て、諦めているかも知れないと、車中で話しながら向かったのです。

10分ほどで到着、先ずは仏様にお線香を供え、待っている部屋の扉を開け、皆様に遅刻のお詫び。

皆さんは、当然、遅れた事に対する不快感を、表情や言葉に出しません。早速、通夜、告別式の日程、そして、お花、お供物、灯籠等の、料金、分担の確認。を告げられました。

皆さん、この“分担”の了解を得る為に待って居たのでした。そんな事はまったくの予想外。兎に角、全て、“はい。了解しました”と返事。

“そう言う事”は、こう言う場所で、こう言う時に、こう言うメンバーで、決められるのでした。知りませんでした。

兎に角、大晦日、そして、元日です。通夜が4日、告別式が昨日の5日でした。斎場も火葬場も、3日迄はお休み。

4日の休み明けは、30日、31日、1日、2日、3日の滞っていた分、斎場も火葬場も忙しいのです。

5日の朝刊、地方版に掲載される“おくやみ欄”は普段の3~4倍のスペースを割いていました。

それにしても、従弟達、従妹達の“変わり果てた姿”を見、過ぎし歳月を思い、我が身の変化を思い知らされる通夜、告別式でした。

親戚と会うのは、こんな時だけになってしまいました。それでも、“ちゃん付け”で名前を呼ばれるのは、こんな時だけです。

“ちゃん付け”で呼び合うと、それなりに、“疲れ果て変わり果てた”表情の奥から、子供の頃の輝きがほんの少し蘇ってきます。


そんな、こんなの年末からお正月、今年初めてのブログが予想外の出来事からはじまりました。

きっと、今年は、いろいろな、予想外の出来事が起こりそうな予感。

年末に書いたように、きっと良いことのはじまりの“キッカケ”に繋がる、そんな気がするのです。

それでは、また明日。
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