風のいろは 何いろ?

緑を渡る時、空を吹き巡る時、風は何色なのだろう?
風には色はないけれど、私には………。

我が 洗礼式の 思い出・・・・・

2005-09-12 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
私が洗礼を受けたのは 39歳の時でした。
集会に集うようになって 何年か過ぎた頃です。
それまでに 祈り会の席で 聖霊様の働きとしか考えられないような
事を 何度か体験し(個人的な 内面的な体験ですが)
また 聖書がどんどん好きになっていましたが
まだ完全な信仰を持つには至っていませんでした。
わからない事がたくさんあったし。
――と自分では思っていました。

1995年の夏に 御代田のキャンプがあり 初めて自ら
ベック宣教師に 「質問」 をしてみました。
「私は子供が幼い時に離婚していて 夫に会わなくなってもう15年位経ち
生きているのか死んでいるのかもわからないのですが そんな私が
『御心でしたら 人生のパートナーを与えてください』と祈る事は
罪でしょうか?」と。 もう夫は死んだも同然と
神様はみなしてくださらないかなあと 思っていたのです^^;

ベック兄は 「かわい~ね~」と 幼い?質問をした私を笑い
次に 真面目な顔で 「○○、まずご主人の生死を確認しなさい。
生きていたら 手紙を書きなさい。」だって…。
「私はこの結婚は失敗だと思っていますが
 これも神様が決めた結婚なんですか?」
と続けてお聞きしましたら はっきりそうだと答えられました。
それを聞いて まだ信仰心がはっきりしていなかったにも関わらず
私は素直に心で (な~んだ やっぱりそうか・・)と納得しました。
ベック兄は 「でも○○、もうすぐ再臨だよ!」
「あ、そうですよね!?」って すぐに答えた私に向かい
ベック兄は 突然 「明日洗礼を受けなさいとおっしゃいました。
びっくりしたのなんのって。
え?こんな私が洗礼を受けていいの?って。

そういえば 集会に集い始めて少しした時
兄弟姉妹にお聞きしたことがありました。
「洗礼っていつするんですか?」 彼らは「それは時が来たら」って。
(それじゃいつだか全然わかんないじゃん!って思いましたけどね^^;)

さて 御代田で突然受洗を勧められましたが 身体的事情により
今回は駄目ですとお返事しましたら 秋の大洗キャンプでしましょうと。


秋が来て、大洗のキャンプの二日目の朝がいよいよ来ました。
洗礼を受けるということは 人生において 大変な事だと思います。
その日はきっと 周囲を同じ集会の皆さんが囲んでくださって
感激的な洗礼場面になるだろうと ひとりドラマティックな想像をし
どきどきして待っていましたが、いざ 洗礼の場面が来たら
周知の兄弟姉妹は たった一組のご夫婦だけ。。。
私を集会に導いてくださり ずっと祈ってくださっていた兄姉。
多い人数ではありませんでしたが、知らない方々がぐるっと囲んで
私の洗礼式を 見守り 祝ってくださいました。
しかしあまりにもドラマティックな想像をしすぎた私は
何だか気持ちがしぼんできていました。。。。

歌のリクエストをベック兄に聞かれ
「あ、私はまだあまり知らないので…。
 あ(と突然閃いた!)、521番をお願いします。」
少し前から聞いていた メッセージテープの合間に流れていた
521番『キリストには代えられません』をお願いしました。
ベック兄の大きなきれいな声のそばで 皆さんと一緒に歌っているうち

   ♪キリストには代えられません
    世の宝も また 富も
    このお方が 私に代わって 死んだ故です
    世の楽しみよ去れ 世の誉れよ行け
    キリストには代えられません
    世の なにものも

と言う歌詞を思いつつ、「そうだよなあ。これからはキリストが一番と
いう生き方を 私はするんだなあ」と 感慨深くなって 
涙が溢れてきました。





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2 コメント

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間違えました (中央太郎)
2017-03-09 12:58:42
再臨とは、主を待ち望むことです。
近い、遠いなど人間側で判断してはならないことです。
主に出会い、救われるとは意味が違います。
間違えました。
返信する
再臨とは・・・ (中央太郎)
2017-03-07 12:58:57
>ベック兄は 「でも○○、もうすぐ再臨だよ!」
再臨とは、地球が滅ぶことではなくて、
主に出会い、救われる事です。
返信する

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