【2020年 7月21日 下書きした分 = 転記のみ】
https://hochi.news/articles/20200720-OHT1T50111.html
スポーツ報日
2020年7月20日 14時31分スポーツ報知
難病の間瀬翔太、旧知の三浦春馬さん死去に「どの逃げ道も少しづつ塞がれてきたのかな」
俳優の間瀬翔太(34)が20日、自身のブログを更新。18日に亡くなった俳優・三浦春馬さん(享年30)への思いをつづった。
間瀬は「僕や、亡くなった三浦春馬くん、他にも数々の有名人はもともと代々木公園や色々な場所でストリートダンスをやっていた仲間でした。(WaTやAAAなども居て)」と回顧。
「僕が初めて彼を知ったのは未だ中学生の頃。最初はINAZUMAでユニットを組んで、その後Brash Bratsになって。アッと言う間に有名になって、あっと言う間に見えなくなって何も信じられないよ」と三浦さんが参加していたダンスチームの名前を挙げて振り返った。
「誹謗中傷が原因じゃないか、と騒がれているけど 僕個人の意見ではそれだけが原因ではないと思っているし、何よりショックで未だに信じられない」と間瀬。「ただ、確実に言えるのは元々僕達は【アイドル】だ。沢山叩かれてきたし、叩かれ慣れてる」とし、「勿論辛いし、嫌だとは思うし、悲しいとは思うけど、きっと誹謗中傷だけが原因では無かったんぢゃないかな?と思います」とつづった。
さらに「これはあくまで僕の見解です」とした上で、「なにかもっともっと苦しい事があって、それを何年も何年も耐えてきて、色んな逃げ道を探してきたけど、どの逃げ道も少しづつ塞がれてきたのかなって、僕は勝手に思っています」と記述。
「天国ではダンスも演技も何も考えなくて良いから、ただ好きな事を好きなだけやれば良い。意外と酒も美味しいし、ゲームも楽しいよ。春馬、第二の人生を天国で楽しんで下さい」と呼びかけた。
間瀬は04年にアイドルグループ「BLIZZARD(ブリザド)」のボーカルとして芸能界デビュー。06年の解散後は俳優として活動していたが、昨年7月に10万人に1人の難病という「脳動静脈奇形」を罹患し、闘病していた。
https://hochi.news/articles/20200720-OHT1T50071.html
大竹しのぶ、三浦春馬さんへ「あなたの事を忘れない…」三浦さんから届いた自撮り写真も公開
2020年7月20日 11時53分スポーツ報知
女優の大竹しのぶ(63)が20日、自身のインスタグラムを更新し、18日に亡くなった俳優の三浦春馬さん(享年30)を悼んだ。
大竹は「何を書けばいいのだろうか。昨日から、ずーと答えはみつからない」と書き出し、「一緒にお仕事したのは5年前の舞台『地獄のオルフェイス』だった」と回顧。
「イギリスの演出家のフィリップを中心に、私達はモノを作り上げる同士になった。毎日毎日、より良い芝居を作り上げることに皆で必死になった。そして思い切り笑って、悩んで、一緒に喜んでいた。みんな、春馬が大好きだった」と当時を振り返った。
そして「春馬、悲しいよ。わかっていることは、あなたの事を忘れないという事だけだよ」と呼びかけ、「もう逢えないと思うと辛いので、去年会った時、一緒にバカなこと言って思い切り笑って、青春ドラマの様に肩組んで歌った事を思い出して、しのぶさん俺頑張る!春馬、私頑張る!って誓い合ったことを守ってゆくよ」と誓った。
インスタには三浦さんとの2ショットと、三浦さんの自撮りショットを公開。大竹は三浦さんの自撮りについて「大阪公演の帰り、新幹線の中でずーと芝居の話をして、帽子を忘れて先に降りた私に忘れ物!と送ってきてくれたものです」と明かしていた。
https://hochi.news/articles/20200720-OHT1T50045.html
風間俊介、三浦春馬さんの訃報にも必死に笑顔で呼びかけ「春馬くん、発売されると願ってCD買いますね」
2020年7月20日 7時48分スポーツ報知
俳優の風間俊介(37)が日本テレビ系「ZIP!」(月~金曜・前5時50分)に生出演。18日に亡くなった俳優の三浦春馬さん(享年30)について語った。
風間は突然の訃報に「全く受け入れられてはいないんですけど」と動揺。ドラマで共演した時について「現場でとことん話し合って現場が止まると、時間を使ってしまったと迷惑をかけたと気にしていて。僕らはその誠実な姿勢が、この人と一緒にやっていこうと思わせる力がある俳優さんでした」と天を仰いだ。
「受け止めるというより、理解が出来ない状態ですかね。本当にいい人なんですよ。カッコよくて」と言葉を詰まらせると、来月26日に発売が予定されていたセカンドシングルについて「春馬くん、CDが発売されるという予定だということで。発売されると願って、CD買いますね」と必死に笑顔を作って言葉をかけていた。
【2020年 7月22日 下書きした分 = 転記のみ】
文春オンライン
「自分はなんて駄目なんだろう」 三浦春馬さんが語っていた“劣等感”と“将来像”
門間 雄介 2020/07/21 22:00
新型コロナ 「夏休み計画に影響」が7割 予算は過去最低に
横浜流星の主演舞台『巌流島』東京公演が中止「今後の稽古続行は難しいと判断」
7月18日、俳優の三浦春馬さんが亡くなった。30歳だった。所属事務所は20日、公式サイトで葬儀が密葬で行われたことを発表し、「中学生の頃から16年という長きにわたって共に夢を語り、歩んできた大切な仲間のあまりにも突然の訃報に接し、弊社所属アーティスト、スタッフ共に、悲しみという感情を超えて茫然自失としており、悔やんでも悔やみきれないという思いです」と綴っている。
2年前、三浦さんを2日間にわたって取材した編集者でライターの門間雄介さんが、三浦さんの言葉を振り返る。
きれいな言葉で自分の気持ちや考えを表現する人だと思った。
「うれしいです、そう言っていただけると。身近にきれいな言葉を使う人が多かったのがよかったのかなと思います。この人のように話したいなとか、この人のような語彙があったらなとか、そう思わせてくれる人たちが何人もいましたから、先輩にも友だちにも」
なおかつ彼は謙虚で、周囲への感謝や気遣いを忘れなかった。
彼が語った、劣等感に苛まれ、卑屈になっていた過去
これは2020年7月18日に亡くなった三浦春馬さんを、2日間にわたって取材した時の彼の様子だ。2018年11月、「週刊文春」の人物ドキュメント「男の肖像」という企画(2018年12月13日号掲載)のために、映画『こんな夜更けにバナナかよ』の公開を目前に控えた彼に話を聞いた。
筋ジストロフィー患者の鹿野靖明さんとそのボランティアたちとの実話を映画化したこの作品で、彼はボランティアの医大生を演じていた。医師を目指しながら、不甲斐ない現実の自分に苛立ちを覚えるこの役柄を、彼は自らの内面を深く掘りさげて作りあげた。
「理想の自分と現実の自分との間にある混沌としたものをどう表現したらいいのか。そう考えた時、かつての自分のこと、あの頃の感情とか状況とかを思い返して、引っ張り上げるという作業をすごく丁寧にしたと思います。自分はなんて駄目なんだろうって、悔しい思いをした経験はきっと皆さんにもありますよね」
そう言って彼は劣等感に苛まれ、卑屈になっていた過去の日々について話してくれた。
ヒット作に主演するも満足感を得られない日々
地元・茨城県の児童劇団で子役としての活動を始めた彼は、2006年にドラマ『14才の母』でヒロインの恋人役を務め、映画『キャッチ ア ウェーブ』に初主演した。けれども、一躍脚光を浴びることになったこの頃、彼は不安や戸惑いを覚えていた。
「ちょうど子役から成人の俳優に差し掛かった辺りで、まわりの大人たちの言うことを理解したい、でもできないっていう、ただ愛想笑いばかりしている時期だったんです。不安でした。だから自分の居場所はカメラが回っているその瞬間にしかないと思って、そこは本気でやらないと舐められちゃうなと。芝居で認めてもらうしかないような気がしていたんですね。そういうぐじぐじした感じは二十歳くらいまで引きずってたのかな。人懐っこいようでいて、全然人懐っこくなかったんです(笑)」
2007年の映画『恋空』、2010年の映画『君に届け』など、ヒット作に次々と主演するようになった後も、なかなか満足感を得られなかった。彼は「ある節目で負けて、またある節目で負けてということが続いていた。気持ち的に弱かったんです」と言った。
「内在的な自分の闘いみたいなものを切り取りたかった」
そんな彼が俳優として大きく飛躍したのが、ALS(筋委縮性側索硬化症)に侵された主人公に扮し、役作りのため約7キロの減量に挑んだ2014年のドラマ『僕のいた時間』だ。彼はこの時、命の限り懸命に生きる青年の姿を全身全霊で演じてみせた。
「筋肉が萎縮していって、徐々に体の自由が失われていく恐怖って計り知れないと思うんです。それでも生きていかなきゃいけないんだということを僕は演じたかったし、内在的な自分の闘いみたいなものを切り取りたかったんですね、あの作品を通じて」
ちなみに彼はALSについて、あるいは筋ジストロフィーについて学んだことを、付け焼刃ではなく、血肉化した知識として話すことができた。彼はふたつの疾患の違いをわかりやすく説明した。「ALSは筋肉がやせ細っていく症状ですけど、筋ジストロフィーは違っていて、筋繊維がどんどん消滅していってしまうんです。ALSは運動ニューロンの欠乏なんですよね」と。それくらい彼は勉強熱心でひたむきだった。
子役時代の恩師が病床で最後に掛けてくれた言葉
2012年には彼にとって大きな転機となる出来事が起きていた。彼がその話をしてくれたのは、誰かに影響を受け、その結果自分が大きく変わったという経験はあるかと尋ねた時のことだ。
地球ゴージャスのプロデュース公演『海盗セブン』の稽古をしていた時、児童劇団で演技指導を受けた恩師の容体を知らせる連絡が入った。
「村木さんといって、現場にいつも付いてきてくださった講師兼俳優の方です。今の僕のサインを一緒に考えてくれた方で、僕が14歳で児童劇団を離れたあと、長年連絡を取っていなかったんですね。その人がもう助からない末期がんだと」
子役時代の彼を親身になって世話した村木勲さんは、心配を掛けたくないという思いから「春馬には絶対に連絡するな」と周囲に釘を刺していたそうだが、関係者から連絡を受けた彼はその病室をこっそり訪ねた。
「行ったら、信じられないっていう顔をしてましたね、村木さん。そこで最後に言ってくれた『絶対に焦るんじゃないぞ』という言葉を、これから先も思い出しながら、ずっと自分の糧にしていくんだろうなと思います。忘れられません、その言葉が」
「今、正直に生きていますか」
そういった経験を経て、彼は自分自身のペースを見出すようになり、2016年のミュージカル『キンキーブーツ』では力強い歌声とともにドラァグクイーンを演じ、読売演劇大賞杉村春子賞を受賞するなど高い評価を得ることとなった。彼に初めて取材をしたのは彼が20歳の時だったが、20代半ばを迎えたこの頃には、彼はもう実力派の俳優として確固たるキャリアを歩みはじめていた。
2018年の取材の際に、彼にこう問いかけた。今、正直に生きていますかと。これは『こんな夜更けにバナナかよ』において、彼の役柄が「お前は正直に生きているのか」と問いかけられるのに応じた質問だった。彼は答えた。
「今は本当に正直に生きています。僕は思ったことをわりと抱え込んでしまうタイプだけど、何も溜め込むことなく、すごく健全に、いい仕事、いい生活ができている。これから先も溜め込まなくていい仕事、溜め込まなくていい人生を送れるような仲間やパートナーと一緒にいられたらいいなと思います」
「きれいな言葉を抱えてしまうと、駄目な部分や悪い部分を見せたくないと思ってしまう」
僕はこの時、2日間にわたった取材を次のような質問で締めくくった。
――昨日、今日と話をうかがってきて、三浦さんはすごく端正な生き方をされているように思いました。でも人間だから、当然みっともない一面もありますよね?
すると、彼は言った。
「自分でハードルを上げているような気がしますね、最近生きていて(笑)。いろいろな方にそうやっていい言葉をいただくと本当に思う。何でしょうね……見栄っ張りではないと思うんですけど。別に知ったかぶりでもないし、知ったかぶりはやめたし。だけどそういったきれいな言葉を抱えてしまうと、本当に駄目な部分や悪い部分を見せたくないと思ってしまうんです。それがよくないんですよね。それが人間だともちろん思うし、ちゃんとガス抜きしていかないとなって。折に触れてお酒を飲んで、弾けて(笑)」
この頃、彼は空き時間を利用して英語の勉強に取りくんでいた。2017年にイギリスに短期留学して以降、海外作品に出演する機会が訪れた時のために備えておかなければと思うようになったからだ。「でも全然伸びないんですよね、英語」彼は少し照れくさそうに話していた。
彼がなぜあのような決断をしてしまったのかわからないし、ここに書いたことは僕が目の当たりにしたごく断片的な事実でしかない。けれども確かに、2018年11月の彼は将来の自分像を思い描き、みずからの人生を正直に生きようとしていた。
(門間 雄介)
https://hochi.news/articles/20200720-OHT1T50111.html
スポーツ報日
2020年7月20日 14時31分スポーツ報知
難病の間瀬翔太、旧知の三浦春馬さん死去に「どの逃げ道も少しづつ塞がれてきたのかな」
俳優の間瀬翔太(34)が20日、自身のブログを更新。18日に亡くなった俳優・三浦春馬さん(享年30)への思いをつづった。
間瀬は「僕や、亡くなった三浦春馬くん、他にも数々の有名人はもともと代々木公園や色々な場所でストリートダンスをやっていた仲間でした。(WaTやAAAなども居て)」と回顧。
「僕が初めて彼を知ったのは未だ中学生の頃。最初はINAZUMAでユニットを組んで、その後Brash Bratsになって。アッと言う間に有名になって、あっと言う間に見えなくなって何も信じられないよ」と三浦さんが参加していたダンスチームの名前を挙げて振り返った。
「誹謗中傷が原因じゃないか、と騒がれているけど 僕個人の意見ではそれだけが原因ではないと思っているし、何よりショックで未だに信じられない」と間瀬。「ただ、確実に言えるのは元々僕達は【アイドル】だ。沢山叩かれてきたし、叩かれ慣れてる」とし、「勿論辛いし、嫌だとは思うし、悲しいとは思うけど、きっと誹謗中傷だけが原因では無かったんぢゃないかな?と思います」とつづった。
さらに「これはあくまで僕の見解です」とした上で、「なにかもっともっと苦しい事があって、それを何年も何年も耐えてきて、色んな逃げ道を探してきたけど、どの逃げ道も少しづつ塞がれてきたのかなって、僕は勝手に思っています」と記述。
「天国ではダンスも演技も何も考えなくて良いから、ただ好きな事を好きなだけやれば良い。意外と酒も美味しいし、ゲームも楽しいよ。春馬、第二の人生を天国で楽しんで下さい」と呼びかけた。
間瀬は04年にアイドルグループ「BLIZZARD(ブリザド)」のボーカルとして芸能界デビュー。06年の解散後は俳優として活動していたが、昨年7月に10万人に1人の難病という「脳動静脈奇形」を罹患し、闘病していた。
https://hochi.news/articles/20200720-OHT1T50071.html
大竹しのぶ、三浦春馬さんへ「あなたの事を忘れない…」三浦さんから届いた自撮り写真も公開
2020年7月20日 11時53分スポーツ報知
女優の大竹しのぶ(63)が20日、自身のインスタグラムを更新し、18日に亡くなった俳優の三浦春馬さん(享年30)を悼んだ。
大竹は「何を書けばいいのだろうか。昨日から、ずーと答えはみつからない」と書き出し、「一緒にお仕事したのは5年前の舞台『地獄のオルフェイス』だった」と回顧。
「イギリスの演出家のフィリップを中心に、私達はモノを作り上げる同士になった。毎日毎日、より良い芝居を作り上げることに皆で必死になった。そして思い切り笑って、悩んで、一緒に喜んでいた。みんな、春馬が大好きだった」と当時を振り返った。
そして「春馬、悲しいよ。わかっていることは、あなたの事を忘れないという事だけだよ」と呼びかけ、「もう逢えないと思うと辛いので、去年会った時、一緒にバカなこと言って思い切り笑って、青春ドラマの様に肩組んで歌った事を思い出して、しのぶさん俺頑張る!春馬、私頑張る!って誓い合ったことを守ってゆくよ」と誓った。
インスタには三浦さんとの2ショットと、三浦さんの自撮りショットを公開。大竹は三浦さんの自撮りについて「大阪公演の帰り、新幹線の中でずーと芝居の話をして、帽子を忘れて先に降りた私に忘れ物!と送ってきてくれたものです」と明かしていた。
https://hochi.news/articles/20200720-OHT1T50045.html
風間俊介、三浦春馬さんの訃報にも必死に笑顔で呼びかけ「春馬くん、発売されると願ってCD買いますね」
2020年7月20日 7時48分スポーツ報知
俳優の風間俊介(37)が日本テレビ系「ZIP!」(月~金曜・前5時50分)に生出演。18日に亡くなった俳優の三浦春馬さん(享年30)について語った。
風間は突然の訃報に「全く受け入れられてはいないんですけど」と動揺。ドラマで共演した時について「現場でとことん話し合って現場が止まると、時間を使ってしまったと迷惑をかけたと気にしていて。僕らはその誠実な姿勢が、この人と一緒にやっていこうと思わせる力がある俳優さんでした」と天を仰いだ。
「受け止めるというより、理解が出来ない状態ですかね。本当にいい人なんですよ。カッコよくて」と言葉を詰まらせると、来月26日に発売が予定されていたセカンドシングルについて「春馬くん、CDが発売されるという予定だということで。発売されると願って、CD買いますね」と必死に笑顔を作って言葉をかけていた。
【2020年 7月22日 下書きした分 = 転記のみ】
文春オンライン
「自分はなんて駄目なんだろう」 三浦春馬さんが語っていた“劣等感”と“将来像”
門間 雄介 2020/07/21 22:00
新型コロナ 「夏休み計画に影響」が7割 予算は過去最低に
横浜流星の主演舞台『巌流島』東京公演が中止「今後の稽古続行は難しいと判断」
7月18日、俳優の三浦春馬さんが亡くなった。30歳だった。所属事務所は20日、公式サイトで葬儀が密葬で行われたことを発表し、「中学生の頃から16年という長きにわたって共に夢を語り、歩んできた大切な仲間のあまりにも突然の訃報に接し、弊社所属アーティスト、スタッフ共に、悲しみという感情を超えて茫然自失としており、悔やんでも悔やみきれないという思いです」と綴っている。
2年前、三浦さんを2日間にわたって取材した編集者でライターの門間雄介さんが、三浦さんの言葉を振り返る。
きれいな言葉で自分の気持ちや考えを表現する人だと思った。
「うれしいです、そう言っていただけると。身近にきれいな言葉を使う人が多かったのがよかったのかなと思います。この人のように話したいなとか、この人のような語彙があったらなとか、そう思わせてくれる人たちが何人もいましたから、先輩にも友だちにも」
なおかつ彼は謙虚で、周囲への感謝や気遣いを忘れなかった。
彼が語った、劣等感に苛まれ、卑屈になっていた過去
これは2020年7月18日に亡くなった三浦春馬さんを、2日間にわたって取材した時の彼の様子だ。2018年11月、「週刊文春」の人物ドキュメント「男の肖像」という企画(2018年12月13日号掲載)のために、映画『こんな夜更けにバナナかよ』の公開を目前に控えた彼に話を聞いた。
筋ジストロフィー患者の鹿野靖明さんとそのボランティアたちとの実話を映画化したこの作品で、彼はボランティアの医大生を演じていた。医師を目指しながら、不甲斐ない現実の自分に苛立ちを覚えるこの役柄を、彼は自らの内面を深く掘りさげて作りあげた。
「理想の自分と現実の自分との間にある混沌としたものをどう表現したらいいのか。そう考えた時、かつての自分のこと、あの頃の感情とか状況とかを思い返して、引っ張り上げるという作業をすごく丁寧にしたと思います。自分はなんて駄目なんだろうって、悔しい思いをした経験はきっと皆さんにもありますよね」
そう言って彼は劣等感に苛まれ、卑屈になっていた過去の日々について話してくれた。
ヒット作に主演するも満足感を得られない日々
地元・茨城県の児童劇団で子役としての活動を始めた彼は、2006年にドラマ『14才の母』でヒロインの恋人役を務め、映画『キャッチ ア ウェーブ』に初主演した。けれども、一躍脚光を浴びることになったこの頃、彼は不安や戸惑いを覚えていた。
「ちょうど子役から成人の俳優に差し掛かった辺りで、まわりの大人たちの言うことを理解したい、でもできないっていう、ただ愛想笑いばかりしている時期だったんです。不安でした。だから自分の居場所はカメラが回っているその瞬間にしかないと思って、そこは本気でやらないと舐められちゃうなと。芝居で認めてもらうしかないような気がしていたんですね。そういうぐじぐじした感じは二十歳くらいまで引きずってたのかな。人懐っこいようでいて、全然人懐っこくなかったんです(笑)」
2007年の映画『恋空』、2010年の映画『君に届け』など、ヒット作に次々と主演するようになった後も、なかなか満足感を得られなかった。彼は「ある節目で負けて、またある節目で負けてということが続いていた。気持ち的に弱かったんです」と言った。
「内在的な自分の闘いみたいなものを切り取りたかった」
そんな彼が俳優として大きく飛躍したのが、ALS(筋委縮性側索硬化症)に侵された主人公に扮し、役作りのため約7キロの減量に挑んだ2014年のドラマ『僕のいた時間』だ。彼はこの時、命の限り懸命に生きる青年の姿を全身全霊で演じてみせた。
「筋肉が萎縮していって、徐々に体の自由が失われていく恐怖って計り知れないと思うんです。それでも生きていかなきゃいけないんだということを僕は演じたかったし、内在的な自分の闘いみたいなものを切り取りたかったんですね、あの作品を通じて」
ちなみに彼はALSについて、あるいは筋ジストロフィーについて学んだことを、付け焼刃ではなく、血肉化した知識として話すことができた。彼はふたつの疾患の違いをわかりやすく説明した。「ALSは筋肉がやせ細っていく症状ですけど、筋ジストロフィーは違っていて、筋繊維がどんどん消滅していってしまうんです。ALSは運動ニューロンの欠乏なんですよね」と。それくらい彼は勉強熱心でひたむきだった。
子役時代の恩師が病床で最後に掛けてくれた言葉
2012年には彼にとって大きな転機となる出来事が起きていた。彼がその話をしてくれたのは、誰かに影響を受け、その結果自分が大きく変わったという経験はあるかと尋ねた時のことだ。
地球ゴージャスのプロデュース公演『海盗セブン』の稽古をしていた時、児童劇団で演技指導を受けた恩師の容体を知らせる連絡が入った。
「村木さんといって、現場にいつも付いてきてくださった講師兼俳優の方です。今の僕のサインを一緒に考えてくれた方で、僕が14歳で児童劇団を離れたあと、長年連絡を取っていなかったんですね。その人がもう助からない末期がんだと」
子役時代の彼を親身になって世話した村木勲さんは、心配を掛けたくないという思いから「春馬には絶対に連絡するな」と周囲に釘を刺していたそうだが、関係者から連絡を受けた彼はその病室をこっそり訪ねた。
「行ったら、信じられないっていう顔をしてましたね、村木さん。そこで最後に言ってくれた『絶対に焦るんじゃないぞ』という言葉を、これから先も思い出しながら、ずっと自分の糧にしていくんだろうなと思います。忘れられません、その言葉が」
「今、正直に生きていますか」
そういった経験を経て、彼は自分自身のペースを見出すようになり、2016年のミュージカル『キンキーブーツ』では力強い歌声とともにドラァグクイーンを演じ、読売演劇大賞杉村春子賞を受賞するなど高い評価を得ることとなった。彼に初めて取材をしたのは彼が20歳の時だったが、20代半ばを迎えたこの頃には、彼はもう実力派の俳優として確固たるキャリアを歩みはじめていた。
2018年の取材の際に、彼にこう問いかけた。今、正直に生きていますかと。これは『こんな夜更けにバナナかよ』において、彼の役柄が「お前は正直に生きているのか」と問いかけられるのに応じた質問だった。彼は答えた。
「今は本当に正直に生きています。僕は思ったことをわりと抱え込んでしまうタイプだけど、何も溜め込むことなく、すごく健全に、いい仕事、いい生活ができている。これから先も溜め込まなくていい仕事、溜め込まなくていい人生を送れるような仲間やパートナーと一緒にいられたらいいなと思います」
「きれいな言葉を抱えてしまうと、駄目な部分や悪い部分を見せたくないと思ってしまう」
僕はこの時、2日間にわたった取材を次のような質問で締めくくった。
――昨日、今日と話をうかがってきて、三浦さんはすごく端正な生き方をされているように思いました。でも人間だから、当然みっともない一面もありますよね?
すると、彼は言った。
「自分でハードルを上げているような気がしますね、最近生きていて(笑)。いろいろな方にそうやっていい言葉をいただくと本当に思う。何でしょうね……見栄っ張りではないと思うんですけど。別に知ったかぶりでもないし、知ったかぶりはやめたし。だけどそういったきれいな言葉を抱えてしまうと、本当に駄目な部分や悪い部分を見せたくないと思ってしまうんです。それがよくないんですよね。それが人間だともちろん思うし、ちゃんとガス抜きしていかないとなって。折に触れてお酒を飲んで、弾けて(笑)」
この頃、彼は空き時間を利用して英語の勉強に取りくんでいた。2017年にイギリスに短期留学して以降、海外作品に出演する機会が訪れた時のために備えておかなければと思うようになったからだ。「でも全然伸びないんですよね、英語」彼は少し照れくさそうに話していた。
彼がなぜあのような決断をしてしまったのかわからないし、ここに書いたことは僕が目の当たりにしたごく断片的な事実でしかない。けれども確かに、2018年11月の彼は将来の自分像を思い描き、みずからの人生を正直に生きようとしていた。
(門間 雄介)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます