日々いろいろなニュースがありますが…
そんなことが本当にあるのか、と
驚くよりも暗澹とした気持ちになるような
ニュースもあります。
特に、子供の虐待の話しは、いつも
聞かなければよかった、と
思うようなことが多いですし
ペットの虐待のことも
同じような思いをすることがあります。
今朝は別な話題をアップする予定でしたが
このお話がとても心に残ってしまったので…。
読んで心地よくなる話題ではないので
こういう話題はちょっと…
という方は今日はここまでにして頂いた方が
いいかも、です。
奇形の顔 「受け入れられない」
…家族が手術拒否、ミルク飲めず赤ちゃん餓死
障害のあるお子さんがいらっしゃる親御さんの
気持ちを、察することは出来ても
当事者ではないので、本当にはわかりません。
ただ、このまま赤ちゃんが手術しないでいると
命に関わる、と小児科医より説明を受けて
それを拒否する、なんてあるのか、と。
手術しないと死んでしまう、とわかっていて
しない、という選択は
その子に死んでくれ、と思っている
ということだったのでしょうか??
奇形の顔が受け入れられないとしても
食道の手術はOKしてもいいんじゃないか?
と思うのですが…その時の親御さんの心情は
どのようなものだったのか?
と、思います。
しかし、親御さんは
児童相談所の職員の説得にも応じず
病院に面会にも来なくなった…と。
(病院では)
小児外科と産科で話し合い、結局赤ちゃんは
産科の新生児室で診ることになりました。
したがって、私は直接赤ちゃんの最後の日々を
目にしていません。のちに聞いた話では、
一人の産科医が、時間さえあれば赤ちゃんの
そばに寄り添っていたそうです。
(本文記事より)
助ける方法はあるのに、治療できず
寄り添って見守っていた産科医の先生は
どんなに辛かっただろうと思います。
松永先生の仰るように
そんな事件があってから、病院内で問題意識が
広がらず、このような痛ましい出来事が
教訓にもならなかったようであることが
残念です。
赤ちゃんの受け入れを拒否している親を
それほど時間のない中で、
その心や考え方を変えようというのは
現実的ではないように思います。
私は全く専門的な知識がないので
的外れなことかもしれませんが…
この場合は
親が子供を育てることを
放棄していることになるかと思うので
ネグレクトとして
児相が介入して命を救わなくてはいけなかった
事例ではないか、と思います…
ただ
この出来事があった頃は、児相が介入できる事が
少なかったのかもしれません。
この記事を読んで
亡くなった赤ちゃんを、その親御さんは
引き取って葬儀などしたのだろうか?
亡くなった子を見て
どんなことを思っただろうか、と思いました。
ホッとしたのか、悔やんだのか…
悔やんでいて欲しいですが…
ホッとしたのかもしれない、とも思います。
また、この記事を読んで
ペットを簡単に買ったり、捨てたり
ネグレクトしたり
良かれと思ってとんでもないことをしていたり
する人がいることを思いました。
赤ちゃんのことと、ペットのことは同列には
できないことかもしれませんが…
表象的な現象は違っても
ひどい目に遭わされてる対象が
赤ちゃんか、ペットかという違いで
問題の構図は似ているような気がします。
身勝手な行動や、無責任な態度、
一時的な感情や思いで、後先考えない行い、
間違った情報や誤った理解、思い込みを基に
良かれと思って、ホントは全く
相手の為にならないことをしてしまう。
そのために、辛い目にあったり
ひどい目にあったりしているコが救われない…。
考え方を変えたり
行動のクセを変えることは、難しいです。
間違いに気がつくことも難しいですし
間違いに気がついても、それを改めることは
もっと難しいことだったりします。
自分を見つめてよく考えて貰うことが必要ですが
それはじっくり時間をかけてやっていくことなので
まずは、そこにはぶつからず、
対象を救うことを優先に行動することを考えて
行くほうが、良い結果に結びつくのかな…
と思いました。
こんなニュースを見聞きした時
よく思うことがあります。
お母さんを選んで
赤ちゃんは生まれてくるという話がありますが
それが本当なら
激しく虐待されて亡くなってしまう子供は
なんでその親を選んだの??
と思ってしまいます。
生まれてくる子供は選んでみたものの
やっぱりどんな親か、よくわかってなかった
ということか、とか
この世は修行の為に生まれてくるそうですから
修行の為にそんな親を選んだのか??とか
でも、やっぱり、嬉しい思いや
楽しい気持ちを感じて、幸せになりたいと
思って生まれてきてると思います。
ワンコだって、ニャンコだって
命なんですから、
同じ思いで生まれてくると思います。
そんなことを思ったりします。
そんなことが本当にあるのか、と
驚くよりも暗澹とした気持ちになるような
ニュースもあります。
特に、子供の虐待の話しは、いつも
聞かなければよかった、と
思うようなことが多いですし
ペットの虐待のことも
同じような思いをすることがあります。
今朝は別な話題をアップする予定でしたが
このお話がとても心に残ってしまったので…。
読んで心地よくなる話題ではないので
こういう話題はちょっと…
という方は今日はここまでにして頂いた方が
いいかも、です。
奇形の顔 「受け入れられない」
…家族が手術拒否、ミルク飲めず赤ちゃん餓死
障害のあるお子さんがいらっしゃる親御さんの
気持ちを、察することは出来ても
当事者ではないので、本当にはわかりません。
ただ、このまま赤ちゃんが手術しないでいると
命に関わる、と小児科医より説明を受けて
それを拒否する、なんてあるのか、と。
手術しないと死んでしまう、とわかっていて
しない、という選択は
その子に死んでくれ、と思っている
ということだったのでしょうか??
奇形の顔が受け入れられないとしても
食道の手術はOKしてもいいんじゃないか?
と思うのですが…その時の親御さんの心情は
どのようなものだったのか?
と、思います。
しかし、親御さんは
児童相談所の職員の説得にも応じず
病院に面会にも来なくなった…と。
(病院では)
小児外科と産科で話し合い、結局赤ちゃんは
産科の新生児室で診ることになりました。
したがって、私は直接赤ちゃんの最後の日々を
目にしていません。のちに聞いた話では、
一人の産科医が、時間さえあれば赤ちゃんの
そばに寄り添っていたそうです。
(本文記事より)
助ける方法はあるのに、治療できず
寄り添って見守っていた産科医の先生は
どんなに辛かっただろうと思います。
松永先生の仰るように
そんな事件があってから、病院内で問題意識が
広がらず、このような痛ましい出来事が
教訓にもならなかったようであることが
残念です。
赤ちゃんの受け入れを拒否している親を
それほど時間のない中で、
その心や考え方を変えようというのは
現実的ではないように思います。
私は全く専門的な知識がないので
的外れなことかもしれませんが…
この場合は
親が子供を育てることを
放棄していることになるかと思うので
ネグレクトとして
児相が介入して命を救わなくてはいけなかった
事例ではないか、と思います…
ただ
この出来事があった頃は、児相が介入できる事が
少なかったのかもしれません。
この記事を読んで
亡くなった赤ちゃんを、その親御さんは
引き取って葬儀などしたのだろうか?
亡くなった子を見て
どんなことを思っただろうか、と思いました。
ホッとしたのか、悔やんだのか…
悔やんでいて欲しいですが…
ホッとしたのかもしれない、とも思います。
また、この記事を読んで
ペットを簡単に買ったり、捨てたり
ネグレクトしたり
良かれと思ってとんでもないことをしていたり
する人がいることを思いました。
赤ちゃんのことと、ペットのことは同列には
できないことかもしれませんが…
表象的な現象は違っても
ひどい目に遭わされてる対象が
赤ちゃんか、ペットかという違いで
問題の構図は似ているような気がします。
身勝手な行動や、無責任な態度、
一時的な感情や思いで、後先考えない行い、
間違った情報や誤った理解、思い込みを基に
良かれと思って、ホントは全く
相手の為にならないことをしてしまう。
そのために、辛い目にあったり
ひどい目にあったりしているコが救われない…。
考え方を変えたり
行動のクセを変えることは、難しいです。
間違いに気がつくことも難しいですし
間違いに気がついても、それを改めることは
もっと難しいことだったりします。
自分を見つめてよく考えて貰うことが必要ですが
それはじっくり時間をかけてやっていくことなので
まずは、そこにはぶつからず、
対象を救うことを優先に行動することを考えて
行くほうが、良い結果に結びつくのかな…
と思いました。
こんなニュースを見聞きした時
よく思うことがあります。
お母さんを選んで
赤ちゃんは生まれてくるという話がありますが
それが本当なら
激しく虐待されて亡くなってしまう子供は
なんでその親を選んだの??
と思ってしまいます。
生まれてくる子供は選んでみたものの
やっぱりどんな親か、よくわかってなかった
ということか、とか
この世は修行の為に生まれてくるそうですから
修行の為にそんな親を選んだのか??とか
でも、やっぱり、嬉しい思いや
楽しい気持ちを感じて、幸せになりたいと
思って生まれてきてると思います。
ワンコだって、ニャンコだって
命なんですから、
同じ思いで生まれてくると思います。
そんなことを思ったりします。
許せません!
私の学校にも奇形の人いました。
慣れれば何の問題もない。
先生が可愛そうです。
私もこの記事しか情報はわからないのですが…
どうも親が罪に問われた感じは無いようです。
でも、無責任を越えている事例ではないか?
と感じます。
一度もママからミルクを貰えずに
亡くなってしまった赤ちゃんを思うと
本当にかなしいです。