風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

六月大歌舞伎 昼の部 @歌舞伎座(6月7日)

2014-06-08 23:24:37 | 歌舞伎




今月最初の観劇はもちろん歌舞伎座昼の部!
梅雨というには少々激しすぎる雨の中、行ってまいりました~
色とりどりの傘と歌舞伎座も、なかなか風情があっていいですネ。

※3階1列目中央


春霞歌舞伎草紙(はるがすみかぶきぞうし)】

この舞踊、美しくて切なくて幻想的で、好き!

衣装もみんな素敵
時蔵さん(阿国)。黒地の着物&オレンジの帯&片袖脱ぎの真紅の襦袢が、色っぽくてお似合いでした~。菊ちゃんと上手で二人寄り添って座るところは、裾の形がとても綺麗で見惚れた

菊之助(山三)も美しかった。伊達男には見えないけど笑、透明感が
あってクールないい男。菊ちゃんって力んだ演技のときよりも、こういうふとしたさりげない表情の演技の方がより感情が感じられて、好きです。すっと涙を拭う仕草が切なかった。昨年の江島生島を思い出しました(あのときとは立場が逆ですけどね)。
菊ちゃん&時蔵さんのカップル、大変ツボでございました。
山三が消えてしまった後の、時蔵さんの表情、すごく綺麗だったなぁ。泣きながら微笑んでいるような。愛する人にもう一度会えた嬉しさと、二度と会えない悲しみと。
というわけで今回は主役二人ばかり集中して見ていたため、背後の若手達は殆ど見ていなかったり^^;
しかしこれに限ったことじゃないけれど、この手の舞踊の“その他大勢”の表情にイマイチ覇気がないのは、もうお約束なのだろうか。。あ、米吉他何人かはよかったデス。


【実盛物語】

床本を読んでから行って、よかった^^;
小万ちゃん(菊之助)が運び込まれる辺りまではなんとなく気分がノらずボー…と観てしまったのだけど、それ以降はとても楽しめました。
正月の国立も相当だったけど、このお話のツッコミどころの多さといったら、笑。物は試しと腕を接着したら死体が息を吹き返すなんて!ぶっとんでますねー。この『源平布引滝』の作者って、三大狂言の作者なんだそうですね。そんな荒唐無稽すぎる展開に笑ってしまってもおかしくないはずなのに、なんかホロリときちゃいました。死者が蘇って再びいなくなるって、すごく切ないよねぇ…。一時期ブームになった『黄泉がえり』も、江戸時代に既に元ネタはあったのね。
育ての父ちゃんが井戸の底に向かって名前を呼ぶのも、興味深かったです。現代の私達から見ると、ちょっとぞくっとする感じ。wikiによると「黄泉とは、大和言葉の「ヨミ」に、漢語の「黄泉」の字を充てたものである。漢語で「黄泉」は「地下の泉」を意味し、それが転じて地下の死者の世界の意味となった。」とのこと。へぇ~。

左團次さんの瀬尾。
熱演だぁ~。主のために家族を殺す話が歌舞伎には多いけれど、瀬尾は孫を敵方の源氏の家来にしてもらうために自分が死ぬのですね。それはもちろん孫への愛情でもあるだろうけれど、私は死んだ娘への愛情をより強く感じました。

梅枝の葵御前。
妊婦だからといってお腹を膨らませるわけじゃないのですね。
そういえば歌舞伎でお腹の大きな妊婦さんって、まだ観たことない気がする。梅枝はいつもの健気な姫系ではなく、この役柄らしい凛とした品があってよかったです。

菊五郎さんの実盛。
立派で大きな実盛でした。
私は菊五郎さんの笑顔が好きらしい。子供を相手にする菊五郎さんが好きらしい。お馬さんに乗る菊五郎さんが好きらしい。
綿繰り馬に乗る子役ちゃん(太郎吉)も可愛らしかった(*^_^*)
だからこそ葵御前の「げにその時にこの若が、恩を思ふて討たすまい」という言葉に縋りたくなっちゃうのだけれど、やっぱり数十年後にこの子は実盛の首を切るのですね・・・。史実でもそうだし、当人達もそう言ってるし。でも『対面』の場合と違って、実盛は確かに小万を殺したけれど、それは小万が守っていた
源氏の白旗を平家に奪われないようにするためだったのになぁ。それは小万の願いでもあるわけで。そして葵御前が言うように、義仲の命を救ったのも実盛なのにぃー。その一連のことをこの聡明そうな子は理解していそうなのに、無邪気に「かか様の敵!」と刀を向ける姿にちょっぴり違和感。
爺ちゃんを殺したこともまったく気に掛けていないし。あなたのために死んだのだよ、爺ちゃんは・・。
けどま、大人たちがみんな満足そうだから、いっか

最後の花道の菊五郎さん、いいな。
なかなか動かないお馬さんに「はいっ。・・・はいっ」。ムダにいい声、笑。
花道をかける菊五郎さん、かっこよかった!


【大石最後の一日】

今回奮発してA席をとった理由のひとつが、この演目なのです。
私が初めて観た幸四郎さんの舞台がこれで(2009年)、そのときに、いいなぁと思ったのです。
しかしあれから悪夢のアマデウスやら他の歌舞伎やらを観てすっかり苦手な部類の役者さんとなってしまい、「あのとき良いと感じたのは気のせいだったのか?」とずっ
と気になっていたのです。なので今回幸四郎さんでこの演目がかかるとわかり、ぜひもう一度観てみようと思ったわけです。
結論は、

やっぱり良かった

仮名手本と元禄のどちらが作品として好きか?と問われれば私は仮名手本なのですが、この幸四郎さんはすごく好き。
新歌舞伎が幸四郎さんに合っているのか、理由はわかりませんが、私が苦手なこの方の“演技のクサさ”が全く気にならないのです。この作品の内蔵助がヒーロー的でなく、とても人間くさいからかもしれません。
謹慎部屋で内蔵助は、「初一念を忘れるな」と言います。
内蔵助の最後の仕事。それは浪士達が心を動揺することなく、最初の気持ちを忘れず、見苦しくなく最後を迎えるようにさせること。2年前に内匠頭が死んで御家取り潰しになり、仇討ちを誓い、でもそれぞれに迷いや躊躇いがあって、それを乗り越えてついに仇討ちが成って、今沙汰を待っていて。けれどなかなか下りることのない沙汰と、世間の様々な雑音は、浪士達がただ心静かに過ごすことを許さない。それらが彼らの心にさざ波を起こすことを、内蔵助は嫌った。
そんな中で、明らかに心にわだかまりを抱えていたのが磯貝だった。おみのが磯貝に会いたいと訪ねてきたとき、内蔵助は、彼女が磯貝と会うことは彼が平静に最期を迎える妨げになるのではないかと、一旦は断る。けれど磯貝の心のわだかまりが消えていないことが気になってもいた彼は、「偽りを誠に返してみせる」と言うおみのの言葉に、やはり磯貝と会わせることにする。
結果、恋人達の心は通い合いました。
しかし「偽りを誠に返す」という彼女の言葉の真の意味は、この後に判明します。
切腹の場に向かう内蔵助と
磯貝を迎えたのは、胸に短刀を刺したおみのの姿でした。夫が心静かに最後を迎えられるようにと、自害したのです。彼女はこうすることで、自身の偽りも磯貝の偽りも、全て誠に返したのです。
おみのが嘘を誠に返したことで、磯貝だけでなく内蔵助もまた、彼の「初一念」を届けることができました。

最後の最後にそれを遂げさせたのが、一人の女性であったというのが、この作品のいいところですね。


「この内蔵助は最後の一瞬時のその時まで四十六人の足取りを見届けねばならぬ役目だ」と静かに言うところ、泣けたなぁ…。この人はこれまでもこうして統率者として
、一人離れたところで一番辛い仕事を引き受けてきたのだなぁ。彼自身にもこの2年、皆と同じように迷いや躊躇いも沢山あったはずで…。そんな彼の、最後の役目。
一番最後に名を呼ばれ、花道を歩く表情、本当に本当に素晴らしかった。周りでも、何人もすすり泣いていました。
幸四郎さん、ありがとう!!高麗屋!!

そして、脇もことごとくよかったです。
隼人の内記。
よかったよ~。賢そうで、優しくて、暖かくて、若様の品もあって、浪士に憧れるキラキラな少年らしさがあって、育ちの良さからくる明るさがあって。
昨年末の国立の主税もそうだったけど、こういう役が合いますねぇ。

錦之介さんの磯貝も、優しげな美青年!でも討入りに参加しそうな
正義感の強さも感じられて。内蔵助から「おみの殿という方を存じておろう」と聞かれて狼狽するところ、よかったなぁ。

孝太郎さんのおみのがまた、すごく切なくて……。必死の覚悟。表情を見ているだけで泣けた…。

表情だけで泣けたといえば、我當さんの十左衛門と彌十郎さんの伝右衛門!
お二人とも完璧!ブラボー!
武士の風格がありながら、浪士達に対する慈愛と暖かさが滲み出ていて。特に最後の花道の内蔵助を見送る彌十郎さんの表情といったら…(号泣)!!

またこの作品は一見台詞が多く理屈っぽいけれど、それだけじゃなく、「語らず」の効果もとてもいい。
照明と梅の花だけで、彼らの「最後の一日」が表されている。
第一場の、明るく穏やかな陽のあたった庭の白梅。第二場の、伝右衛門が浪士達の赦免の話をしている隣で、内蔵助がふっと視線を移す中庭の紅梅。内蔵助のどこか寂しげな、静かな表情。傾き始めた陽と、散る赤い花びら。
そして第三場でさらに陽が傾き、第四場ではすっかり沈む。

ところで泉岳寺に行かれたことのある方はご存知だと思いますが、浪士達の墓は「お預け」になった4つの家ごとに並べられています。そして墓石に刻まれた日付はすべて同じ、元禄16年2月4日(新暦3月20日)。当然といえば当然なのですが、実際に見ると独特な感覚を覚えます。ご興味のある方は、ぜひ一度行かれてみてください。東銀座から浅草線ですぐです。

この作品は、芥川の短編『或日の大石内蔵助』を三次元で観ているようで、それも嬉しい。
以下、小説のラストからの引用です。

それから何分かの後である。厠へ行くのにかこつけて、座をはずして来た大石内蔵助は、独り縁側の柱によりかかって、寒梅の老木が、古庭の苔と石との間に、的れきたる花をつけたのを眺めていた。日の色はもううすれ切って、植込みの竹のかげからは、早くも黄昏がひろがろうとするらしい。が、障子の中では、不相変(あいかわらず)面白そうな話声がつづいている。彼はそれを聞いている中に、自らな一味の哀情が、徐に彼をつつんで来るのを意識した。このかすかな梅の匂につれて、冴返る心の底へしみ透って来る寂しさは、この云いようのない寂しさは、一体どこから来るのであろう。――内蔵助は、青空に象嵌をしたような、堅く冷い花を仰ぎながら、いつまでもじっと彳(たたず)んでいた。

(芥川龍之介 『或日の大石内蔵助』)



【お祭り】

幕が開く前からいっぱいの拍手。
私に幸福感を与えてくれるナンバーワン役者
、仁左衛門さん!

おかえりなさい

今回奮発して3階1列目をとった理由その2。それは仁左衛門さんのお顔をこの目で見つつ、絶対に拍手を送りたかったからでございます(オペラグラスを覗いてると拍手ができませんからね)。
浅葱幕が落ちた瞬間、「ああ、仁左さんが歌舞伎座の舞台の上にいる」と、幸福感でいっぱいになりました。
仁左衛門さんだけが持つ、この独特の華!

そしてもちろん。

「待っていたとはありがてえ!」

これ!!!この声!!!
色っぽくて明るくて優しいのに、男らしいの(>_<)

掛け声&
拍手を被せなかった大向うさん&観客の皆さま、GJでございました

この舞踊を見るのは二度目で、昨年の三津五郎さんもとってもカッコよかったけれど、仁左衛門さんもすんごく素敵(当然)!!ほんのりほろ酔い機嫌の、めちゃ
色っぽい鳶頭。
インタビューによりますと「演じようと計算するといやらしくなりますから、舞台に立つときは自分を粋な男と思い込んでいます。見終わったお客さまに『ああ、さっぱりした』という気持ちになって帰っていただければありがたいです」とのこと。
そんな思い込みなど御不用でございます!仁左さまは素でいい男ですから!


とはいえ粋な色男仁左さまも、千之助くんと踊ると、途端に好々爺の表情に。ニザさん、孫への愛情は隠しきれないのね・・・笑。

ああ、幸せ。ほんとうに幸せ。
歌舞伎座に帰ってきてくださってありがとうございます!!!




雨粒に濡れた、水も滴る大幹部様たち。よっ色男!




昭和通り沿いの紫陽花がキレイでした
梅雨の季節の楽しみですね。


※東京新聞インタビュー:「六月大歌舞伎」 70歳仁左衛門「お祭り」復帰
※松本幸四郎インタビュー(2006年):『元禄忠臣蔵』人間・大石内蔵助の真の魅力

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