勘助の作品を拾い読みしていると、勘助が兄を形容するときの烈しく冷ややかな言葉に(その理由を知ってはいても)心臓がどきりとし、時に困惑する。
けれど全集を順に追っていくと、彼の兄に対する感情がどういうものであったのかがよりわかってくる。
銀の匙から30年、その人生に最も大きな影響を与えた末子、妙子、金一の三人を立て続けに亡くした昭和17年。
勘助の作品はその多くが随筆なので、時代を追って読むと、彼の人生を一緒に生きているような、そんな錯覚を覚える。子供だった人物が大人になって、それぞれが悩み、苦しみ、その中に微かな歓びを見い出し。そして亡くなって。
なかでも彼が身近な人の死を書くとき、その筆の澄みきった静けさ、美しさは比類ないものとなる。
昭和十七年
五月十四日
お経のあがる日なのをうつかり兄にいふことを忘れたもので、降つたり、やんだり、照つたり、曇つたりの空模様をみて落ち着かなかつた兄は雲がきれてさつと日がさすのをきつかけに玉川へハヤ釣りに出かけた。お経の始まる時にひとりぼつちの自分をみてやつと気がついた私は、困つたなー と思ふひゃうしにこんなことを考へた。姉はきつとまつ白な可愛らしい魚になつて兄の鉤にかかるだらう。そして玉虫みたいな光を放ちながらビクのなかからものをいひかけて兄を発心させるだらう。
十月二十七日
…父の歿後、兄さんの最初の発病以来、三十三年のあひだに母を見おくり、あなたを見おくり、今また兄さんを見おくつて、家族に関するかぎりやつと私の役目を果たした今、ほかの仕事の完成とちがつてそこにすこしの喜びもなく、とにかくおろした重荷のかはりに今度は肩がはりのできない寂寥を背負つて歩かねばならぬことになりました。数十年前の私の予言は不幸にして殆ど完全にあたつた、私の家庭の紛糾は皆が死にたえてはじめてをさまると。
わが泣く涙
数もなく
三つ瀬の川におちて
はやになり
たなごになり
兄の鉤にかかれ
嬉しさうに
満足さうに
ももの苦を忘れて
ほほゑみ顧る
あの顔をみよう
(『蜜蜂』)
はつ鮎
藁科川に初鮎をつるかたがた
もしや脚絆わらぢの釣り支度で
竿をもたない年寄がいつたら
お邪魔でもすこし席をあけて
釣りを見せてやつてください
背の高い半身不随の
ものいへない年寄です
彼はわれとわが心から
淋しく 苦しく 不仕合せで
釣りのほかには楽しみがなく
これといつて慰めもありません
老衰のうへに病気もてつだつて
重たい鮎竿がもてないため
さうふしてひと様の釣りを見てあるきます
そんな老人にお逢ひでしたら
私の伝言を願ひます
私はここにきてゐると
うきや糸まきおもりなど
かたみの品もあるから
ゆつくりよつて休むやうにと
どうぞ皆さんお願ひします
彼は私の亡くなつた兄です
(昭和十九、六、一)