食堂の巨大な木炭のような四天王を見上げて
なぜか穏やかな感じがすると書きました。
ですが国の重要文化財を解除されてなお、そのままの姿で
食堂にたたずむのにはどんな訳があるのでしょう?
東寺に関連した書物にも詳細はほとんど触れられていないので、
少しさかのぼって探してみると「芸術新潮 1995年7月号」
の記事に顛末が書かれていることがわかりました。

20年前の平成7年まさにこの時、昭和5年に燃えた4体のうち2体の
持国天と多聞天が修復されて「東寺国宝展」に出品、
もう2体はまだ資金集めの段階だということだったんですね。
実に60余年陽の目を見ることが無かったようです。

向かって一番右側、「持国天」の見たままの印象です。
表面を樹脂で加工し風化を防いでいるのですが
じっと見つめていると中からまだ熱が放出しているかのように
膨張してくる感じがしました。
昭和5年12月21日、弘法市の法要の最終日の夜に火鉢を
食堂内にしまった際、炭が燃え残っていて座布団に引火し
それが瞬く間に燃え広がり本尊の千首観音と四天王も炎上
してしまったというわけでした。
なお壁の方から火が回り、中心部にあった千首観音は全焼を
免れて黒焦げにはならなかったので、昭和40年に修復され
現在は宝物殿に安置されています。それも後ほど観ていきます。
さて四天王は憤怒の表情で本来おっかないのですが、
平安の世から平成の時を迎えて炭になっても高楊枝、
達観にも似た泣き笑いの顔のように見えてきますね。
なぜか穏やかな感じがすると書きました。
ですが国の重要文化財を解除されてなお、そのままの姿で
食堂にたたずむのにはどんな訳があるのでしょう?
東寺に関連した書物にも詳細はほとんど触れられていないので、
少しさかのぼって探してみると「芸術新潮 1995年7月号」
の記事に顛末が書かれていることがわかりました。

20年前の平成7年まさにこの時、昭和5年に燃えた4体のうち2体の
持国天と多聞天が修復されて「東寺国宝展」に出品、
もう2体はまだ資金集めの段階だということだったんですね。
実に60余年陽の目を見ることが無かったようです。

向かって一番右側、「持国天」の見たままの印象です。
表面を樹脂で加工し風化を防いでいるのですが
じっと見つめていると中からまだ熱が放出しているかのように
膨張してくる感じがしました。
昭和5年12月21日、弘法市の法要の最終日の夜に火鉢を
食堂内にしまった際、炭が燃え残っていて座布団に引火し
それが瞬く間に燃え広がり本尊の千首観音と四天王も炎上
してしまったというわけでした。
なお壁の方から火が回り、中心部にあった千首観音は全焼を
免れて黒焦げにはならなかったので、昭和40年に修復され
現在は宝物殿に安置されています。それも後ほど観ていきます。
さて四天王は憤怒の表情で本来おっかないのですが、
平安の世から平成の時を迎えて炭になっても高楊枝、
達観にも似た泣き笑いの顔のように見えてきますね。