コメント
すごく興味あります。
(
空猫
)
2010-01-31 05:41:52
私の好きなジャンルの本です。
倍速読書の訓練用にその手の本を読み漁ってしまったので、最近は少し遠のいてしまっていました。
「相手をじっくり観察してみるチャンス」
と前向きに考えられるのはいいことですよね。
私は比較的楽天家ですので、よくそのような考え方をするのですが、ぐるぐる考え悩んだあとで、「結局こういうことを考えていること自体が、その人の言ったことの呪縛なんじゃないだろうか。こんなこともうやめて、気分転換でもした方が今後のためだったのでは?(しかもなんだかイライラして子供にあたっちゃったし)」…とか考えることがほとんどです。
…そこまで書いてあるのかな(笑)
また読み漁ってみようかと思います。
引用の追加
(
小川
)
2010-01-31 23:51:42
松田さん、こんばんは。
空猫さんに参考になりそうなところを引用してみます。ちょっと極端な例かもしれませんけど。
《ところで、「アウシュビッツ」は、遠いヨーロッパの、遠い昔の過ぎ去った出来事ではありません。今もなお身近な組織や人間関係の中に、威圧や強制を伴った息苦しい状況として顔を覗かせ、私たちをアパシーへといざなっているように見えます。
「アウシュビッツ」に比べれば遥かに恵まれた境遇にいる現在の私たちですが、思い通りでなかったりすると、とかく腹を立て、傷つき、自己嫌悪になり、アパシーになる、という一連のあり方(フラストレーション徴候)に陥りやすいのです。
しかも、その中でつい自分に都合のよい思い込み、「私は間違っていない」「あいつが悪い」に逃げ込んでしまい、その結果、ますます思い通りでなくなる、という悪循環に陥りやすいのです。
この悪循環は私たちにとって対処せずにはいられないフラストレーション問題です。
そこで『夜と霧』の記録を手がかりにして、怒り、傷つき、自己嫌悪、アパシーなど一連のあり方を、都合のよさ(自己正当化できる、思い通りでない現実から逃避日できる、心の装甲になる)のゆえに、私たちが選び取っていること、しかしその代償として、都合の悪さ(消耗する、心が凍りつく、生ける屍になる)をも取り入れてしまっていることに、私たちが気づけたとすると、ゆとりが生まれ、はじめて別のあり方を選ぶ余地が開けることでしょう。
それら一連のあり方を自分が選び取っていると気づくことが、自分のあり方を見直すことを可能にするのです。》
ではまた。
小川さん、ありがとうございます。
(
空猫
)
2010-02-01 04:56:55
私のコメントのために、こんな作業を…ありがとうございました。というか、すみません…(汗)
こちらは例の「少し難しい理論の部分」ですね。ここを引用として持ってこられるということは、内容を理解したということですよね。
…すごいです!
つまりは、私がグルグル考え悩んだ末に「もうやめよっと」と思う行程が、《しかしその代償として、都合の悪さをも取り入れてしまっていることに、私たちが気づけたとすると、ゆとりが生まれ、はじめて別のあり方を選ぶ余地が開ける》ということなんでしょうね。(自信ありませんが…)
そして結果的には、この経験を重ねるうちに、のっけから「これは気にすべきことではない」というような、前向き反応が身に付くのではないかという楽観的観測をも肯定できてしまいそうな予感(?)。なるほどなるほど。
これは本全体を読むと、もっと楽しめそうですね~。
早速図書館で探してみようと思います。
ありがとうございました!
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倍速読書の訓練用にその手の本を読み漁ってしまったので、最近は少し遠のいてしまっていました。
「相手をじっくり観察してみるチャンス」
と前向きに考えられるのはいいことですよね。
私は比較的楽天家ですので、よくそのような考え方をするのですが、ぐるぐる考え悩んだあとで、「結局こういうことを考えていること自体が、その人の言ったことの呪縛なんじゃないだろうか。こんなこともうやめて、気分転換でもした方が今後のためだったのでは?(しかもなんだかイライラして子供にあたっちゃったし)」…とか考えることがほとんどです。
…そこまで書いてあるのかな(笑)
また読み漁ってみようかと思います。
空猫さんに参考になりそうなところを引用してみます。ちょっと極端な例かもしれませんけど。
《ところで、「アウシュビッツ」は、遠いヨーロッパの、遠い昔の過ぎ去った出来事ではありません。今もなお身近な組織や人間関係の中に、威圧や強制を伴った息苦しい状況として顔を覗かせ、私たちをアパシーへといざなっているように見えます。
「アウシュビッツ」に比べれば遥かに恵まれた境遇にいる現在の私たちですが、思い通りでなかったりすると、とかく腹を立て、傷つき、自己嫌悪になり、アパシーになる、という一連のあり方(フラストレーション徴候)に陥りやすいのです。
しかも、その中でつい自分に都合のよい思い込み、「私は間違っていない」「あいつが悪い」に逃げ込んでしまい、その結果、ますます思い通りでなくなる、という悪循環に陥りやすいのです。
この悪循環は私たちにとって対処せずにはいられないフラストレーション問題です。
そこで『夜と霧』の記録を手がかりにして、怒り、傷つき、自己嫌悪、アパシーなど一連のあり方を、都合のよさ(自己正当化できる、思い通りでない現実から逃避日できる、心の装甲になる)のゆえに、私たちが選び取っていること、しかしその代償として、都合の悪さ(消耗する、心が凍りつく、生ける屍になる)をも取り入れてしまっていることに、私たちが気づけたとすると、ゆとりが生まれ、はじめて別のあり方を選ぶ余地が開けることでしょう。
それら一連のあり方を自分が選び取っていると気づくことが、自分のあり方を見直すことを可能にするのです。》
ではまた。
こちらは例の「少し難しい理論の部分」ですね。ここを引用として持ってこられるということは、内容を理解したということですよね。
…すごいです!
つまりは、私がグルグル考え悩んだ末に「もうやめよっと」と思う行程が、《しかしその代償として、都合の悪さをも取り入れてしまっていることに、私たちが気づけたとすると、ゆとりが生まれ、はじめて別のあり方を選ぶ余地が開ける》ということなんでしょうね。(自信ありませんが…)
そして結果的には、この経験を重ねるうちに、のっけから「これは気にすべきことではない」というような、前向き反応が身に付くのではないかという楽観的観測をも肯定できてしまいそうな予感(?)。なるほどなるほど。
これは本全体を読むと、もっと楽しめそうですね~。
早速図書館で探してみようと思います。
ありがとうございました!
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