◆伝説の営業マン“島田安浩”が明かす、売れる道程!
No48 )指導編 『 取締役 』
俺は、6年間S社でお世話に成った。
S社では本当にたくさんのことを学んだし、お金も稼げた!
前も話したように、S社は俺が入社して3年で株式上場を果たした(当時業界最短記録だった)ので、社員は持ち株を持っていた。
まだ、バブルの絶頂期だったので、株がガンガン上がった。
26歳の俺の口座残高は1千万以上に成っていた。
車も、カバンに3百万円入れて、日産に現金で買いに行ったりした。
本当にバブッていた。
たぶん感覚がおかしくなっていたような気がするが、意外と無駄使いはしないで、家の頭金に使った。
28歳の時に1件目の家を購入した。
考えてみると、画家を目指して東京に出て来て、最初に暮らしたのが3畳一間の部屋だった!月の家賃が五千円!!
トイレも、洗面も共同で、風呂は銭湯に通った。そこに、3ヵ月住んだ。
その後に、浪人生活に突入し、6畳一間の洗面付き、トイレ・洗濯機共同風呂は銭湯だった。家賃が1万7千だった。
大学に受かって、引っ越した。
初めて、トイレのついた部屋に越した。6畳とキッチンが1畳ほどの部屋だった。ただし、風呂は無かったので大学の風呂に入っていた。家賃が2万8千円に上がった。
そして、2年暮らしてから、大学の近くの6畳、4畳半、キッチン2畳、風呂、トイレ付3万5千円に引越した!!初めて風呂が付いた!!!(ただし、外から火を付けるタイプだったが、・・・)
ここには、5年ほど暮らした。S社に入ってからも暮らしていた。
その後、1度目の結婚の前にまともなところに引越した。3LDKの新築のアパートだった。家賃も10万ぐらいだったような記憶がある。
そして、家を買った。
S社様様である!感謝感謝なのだが、5年目にはもう辞めようと決心していた。
Fと言う支店長のお陰である。
今では、感謝しているが、当時は大っ嫌いだった!!
Fと俺は同期でFが中途なので新卒の俺より数か月先輩に成る。彼が、支店長で俺の支店に来た時は、同じ係長だった。
彼のことは全然知らなかったが、表裏の非常にある人だと1年付き合って分かった。
S社は営業成績で、昇進できるのだが、一応形だけの昇進試験が有った。
係長まではすんなり上がった俺だったが、課長補佐には最後まで成れなかった。
数字は係長に上がってからず~とクリアーしていた、でも、昇進は出来なかった。
Fがず~と推薦を上司に挙げていなかったせいだと、これも1年経って分かった!!
課長補佐への昇進は、6ヶ月の数字で判断されるので、クリアーするのは非常に大変だった。
最初クリアーした時は、Fに替わったばかりの頃で、彼も係長だったので昇進をさせたくなかったのだろう、いろいろ言い訳をして次の6ヶ月もう一度数字をやったら推薦を上げると言う話に成った。
何となく納得はいかなかったが、次の6ヶ月も頑張ってクリアーした。
そうすると、それじゃあ、推薦するからと書類を書かせたり色々してくれて、結果、「ダメだった!」と言って来た。
まあ、支店長の言う事なので、信じて次の6ヶ月もクリアーした。・・・同じだった。
俺は、当時、支店長以上の人と話したりすることのない人間だった。
今、思えば馬鹿なのだが、田舎もんで、いたずらばっかりして職員室や校長室に呼び出されてばかりいたので、本社ビルに行くのが嫌だった。
でも、3度も駄目だと何となく「おかしいな~?」と言う気に成って、営業部長に会った時に聞いてみたら「何それ?推薦なんて上がったこと無いよ・・・」だって!
もう、笑うしかなかった!
それからは、信じられなくなったのは勿論仕事をする気も無くなった。
Fは毎日支店で株の売買や先物ばかりやっていた。
なんで、こんな奴のために!と思うと一生懸命やるのがバカバカしく、自分で独立して自分で会社をやろうと考え始めていた。
若し、Fが居なかったら今でもS社に居続けた気がする。
会社自体は好きだったし、何より、顧客がたくさんあったので、適当にやっても売り上げは安定して稼げていた。
そんな時に、憧れの先輩Iさんに呼び出された。
朝、7時に池袋のマクドナルドに来るように言われて、朝早く行ったのを思い出す。
「一緒に会社やらない?」と言う話だった。
当時、Iさんは福岡の支店長をしていたので、全然接触はなかったので、まあ、そんな話かな~とは思っていたが、福岡で会社をやると言うので、俺は東京でやるつもりだったので、そのまま「考えておきます。」と日本人らしい断り方をした。
それから、1年後にもう我慢が出来なくなって、「独立しよう!」と決心した。
ただ、一人でやるのが心細かった。
そこで、Tさんに相談した。
「俺も考えていたので、一緒にやろう!」とTさんに言ってもらえたので、非常に嬉しかった。
そして、何回も夜打ち合わせをした。
Tさんが社長、俺は副社長、そんなふうに考えていた。
そして、退社すると決めた2ヶ月ほど前に渋谷で打ち合わせしようと呼び出されてビックリ!!!!!~した。
Tさんの隣に、Iさんが座っていた。
「あ~、2人はツルんでいたんだ!!」すぐに読めた。
Iさんが、
「島田さ~、Tの右腕として東京でやってくんない?」
結局、Iさんの会社の東京支店をTさんは常務としてやると言う話だった。
俺の副社長は?・・・ん~んどうする???って考えた。
でも、IさんもTさんも尊敬していた先輩だったので、断れなかったし、家の頭金でお金は無くなっていたので、自分でやりたくても金が無かった。
「良いですよ!でも条件が有ります。1つは取締役にして下さい。2つ目は株を持たせて下さい。」と言う条件付きでIさんTさんと一緒に会社をスタートさせることに成った。
とは言っても、福岡に取締役で営業マンが1名と事務と技術の人間が1名ずつ、東京は、Tさんと俺だけ、俺は「取締役営業課長」として偉くなったような、単なる営業マンのような感じで第2の営業人生がスタートした。
最初の東京の事務所が、代々木だったが狭かった。
何もないその部屋で、空き缶を灰皿に一人吸った煙草の味が忘れられないな~!(今はもう、煙草も吸わなくなったけど・・・)
Tさんが退社するまで3ヵ月俺一人で準備をした。
その部屋は、靴を脱いで上がる1ルームだった。
8畳ぐらいはあったかな~?中古の店で、安い机と、椅子を買って来て事務所らしくした。飲み屋で昼間働きたいと言う女の子に事務員の面接だ~って事務所に来てもらった時は、椅子が無くて立って面接した!もちろん断られたな~・・・(笑)
取締役島田のスタートです!
これからは、第2部として、営業マンから経営者?へと進化するお話を書きますね。
乞うご期待下さい。
今日も読んで頂きありがとうございます!
今後も、頑張って書いて行きますのでよろしくお願い致します。
★お年玉~!!申込み頂いた皆様ありがとうございます!
今回、10名様ほどが申込み頂きました誠にありがとうございました。
後、10名分空きがございます。今は有料受付に入りましたが、「ブログを読んでます。」と書いて頂ければ、今回に限り無料にてご招待します!!
日時:1月26日(土曜日)13時~15時講習会 15時~17時相談会
内容:「売れる営業マンの常識は売れない営業マンの非常識」と言う題名で行います。
① 売れない営業マンが売れるように成った軌跡。
② ビジネスの基本と考え方。
③ 営業マンの立ち位置、考え方。
④ SPからEPへの変換。
また、相談会は、個別で8名様限定です。(申込順8名で締切、後4名様!事前に相談内容をメール等で頂いた上での相談とさせて頂きます)
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あなたに何の損も有りません。土曜日に2時間だけ自己啓発に使えるだけです。
以上、よろしくお願い致します。
ありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとう
り
が アクト株式会社 代表取締役 島 田 安 浩
と 電話049-256-9421 FAX049-256-9431
う HP http://www.cotucotu.com
あ mail shimada@cotucotu.com
り メルマガ http://www.mag2.com/m/0000246022.html
が
ありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとう
No48 )指導編 『 取締役 』
俺は、6年間S社でお世話に成った。
S社では本当にたくさんのことを学んだし、お金も稼げた!
前も話したように、S社は俺が入社して3年で株式上場を果たした(当時業界最短記録だった)ので、社員は持ち株を持っていた。
まだ、バブルの絶頂期だったので、株がガンガン上がった。
26歳の俺の口座残高は1千万以上に成っていた。
車も、カバンに3百万円入れて、日産に現金で買いに行ったりした。
本当にバブッていた。
たぶん感覚がおかしくなっていたような気がするが、意外と無駄使いはしないで、家の頭金に使った。
28歳の時に1件目の家を購入した。
考えてみると、画家を目指して東京に出て来て、最初に暮らしたのが3畳一間の部屋だった!月の家賃が五千円!!
トイレも、洗面も共同で、風呂は銭湯に通った。そこに、3ヵ月住んだ。
その後に、浪人生活に突入し、6畳一間の洗面付き、トイレ・洗濯機共同風呂は銭湯だった。家賃が1万7千だった。
大学に受かって、引っ越した。
初めて、トイレのついた部屋に越した。6畳とキッチンが1畳ほどの部屋だった。ただし、風呂は無かったので大学の風呂に入っていた。家賃が2万8千円に上がった。
そして、2年暮らしてから、大学の近くの6畳、4畳半、キッチン2畳、風呂、トイレ付3万5千円に引越した!!初めて風呂が付いた!!!(ただし、外から火を付けるタイプだったが、・・・)
ここには、5年ほど暮らした。S社に入ってからも暮らしていた。
その後、1度目の結婚の前にまともなところに引越した。3LDKの新築のアパートだった。家賃も10万ぐらいだったような記憶がある。
そして、家を買った。
S社様様である!感謝感謝なのだが、5年目にはもう辞めようと決心していた。
Fと言う支店長のお陰である。
今では、感謝しているが、当時は大っ嫌いだった!!
Fと俺は同期でFが中途なので新卒の俺より数か月先輩に成る。彼が、支店長で俺の支店に来た時は、同じ係長だった。
彼のことは全然知らなかったが、表裏の非常にある人だと1年付き合って分かった。
S社は営業成績で、昇進できるのだが、一応形だけの昇進試験が有った。
係長まではすんなり上がった俺だったが、課長補佐には最後まで成れなかった。
数字は係長に上がってからず~とクリアーしていた、でも、昇進は出来なかった。
Fがず~と推薦を上司に挙げていなかったせいだと、これも1年経って分かった!!
課長補佐への昇進は、6ヶ月の数字で判断されるので、クリアーするのは非常に大変だった。
最初クリアーした時は、Fに替わったばかりの頃で、彼も係長だったので昇進をさせたくなかったのだろう、いろいろ言い訳をして次の6ヶ月もう一度数字をやったら推薦を上げると言う話に成った。
何となく納得はいかなかったが、次の6ヶ月も頑張ってクリアーした。
そうすると、それじゃあ、推薦するからと書類を書かせたり色々してくれて、結果、「ダメだった!」と言って来た。
まあ、支店長の言う事なので、信じて次の6ヶ月もクリアーした。・・・同じだった。
俺は、当時、支店長以上の人と話したりすることのない人間だった。
今、思えば馬鹿なのだが、田舎もんで、いたずらばっかりして職員室や校長室に呼び出されてばかりいたので、本社ビルに行くのが嫌だった。
でも、3度も駄目だと何となく「おかしいな~?」と言う気に成って、営業部長に会った時に聞いてみたら「何それ?推薦なんて上がったこと無いよ・・・」だって!
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会社自体は好きだったし、何より、顧客がたくさんあったので、適当にやっても売り上げは安定して稼げていた。
そんな時に、憧れの先輩Iさんに呼び出された。
朝、7時に池袋のマクドナルドに来るように言われて、朝早く行ったのを思い出す。
「一緒に会社やらない?」と言う話だった。
当時、Iさんは福岡の支店長をしていたので、全然接触はなかったので、まあ、そんな話かな~とは思っていたが、福岡で会社をやると言うので、俺は東京でやるつもりだったので、そのまま「考えておきます。」と日本人らしい断り方をした。
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ただ、一人でやるのが心細かった。
そこで、Tさんに相談した。
「俺も考えていたので、一緒にやろう!」とTさんに言ってもらえたので、非常に嬉しかった。
そして、何回も夜打ち合わせをした。
Tさんが社長、俺は副社長、そんなふうに考えていた。
そして、退社すると決めた2ヶ月ほど前に渋谷で打ち合わせしようと呼び出されてビックリ!!!!!~した。
Tさんの隣に、Iさんが座っていた。
「あ~、2人はツルんでいたんだ!!」すぐに読めた。
Iさんが、
「島田さ~、Tの右腕として東京でやってくんない?」
結局、Iさんの会社の東京支店をTさんは常務としてやると言う話だった。
俺の副社長は?・・・ん~んどうする???って考えた。
でも、IさんもTさんも尊敬していた先輩だったので、断れなかったし、家の頭金でお金は無くなっていたので、自分でやりたくても金が無かった。
「良いですよ!でも条件が有ります。1つは取締役にして下さい。2つ目は株を持たせて下さい。」と言う条件付きでIさんTさんと一緒に会社をスタートさせることに成った。
とは言っても、福岡に取締役で営業マンが1名と事務と技術の人間が1名ずつ、東京は、Tさんと俺だけ、俺は「取締役営業課長」として偉くなったような、単なる営業マンのような感じで第2の営業人生がスタートした。
最初の東京の事務所が、代々木だったが狭かった。
何もないその部屋で、空き缶を灰皿に一人吸った煙草の味が忘れられないな~!(今はもう、煙草も吸わなくなったけど・・・)
Tさんが退社するまで3ヵ月俺一人で準備をした。
その部屋は、靴を脱いで上がる1ルームだった。
8畳ぐらいはあったかな~?中古の店で、安い机と、椅子を買って来て事務所らしくした。飲み屋で昼間働きたいと言う女の子に事務員の面接だ~って事務所に来てもらった時は、椅子が無くて立って面接した!もちろん断られたな~・・・(笑)
取締役島田のスタートです!
これからは、第2部として、営業マンから経営者?へと進化するお話を書きますね。
乞うご期待下さい。
今日も読んで頂きありがとうございます!
今後も、頑張って書いて行きますのでよろしくお願い致します。
★お年玉~!!申込み頂いた皆様ありがとうございます!
今回、10名様ほどが申込み頂きました誠にありがとうございました。
後、10名分空きがございます。今は有料受付に入りましたが、「ブログを読んでます。」と書いて頂ければ、今回に限り無料にてご招待します!!
日時:1月26日(土曜日)13時~15時講習会 15時~17時相談会
内容:「売れる営業マンの常識は売れない営業マンの非常識」と言う題名で行います。
① 売れない営業マンが売れるように成った軌跡。
② ビジネスの基本と考え方。
③ 営業マンの立ち位置、考え方。
④ SPからEPへの変換。
また、相談会は、個別で8名様限定です。(申込順8名で締切、後4名様!事前に相談内容をメール等で頂いた上での相談とさせて頂きます)
1年最初で最後の、無料講習会&相談会です。
詳しくは、今すぐhttp://www.cotucotu.com/kousyuukai.html にアクセスして下さい。
お申し込みは、http://www.cotucotu.com/anketkou.html から出来ます。
『成功者は決断が早く、変更が遅い』そうです。
今すぐ決断して、http://www.cotucotu.com/anketkou.html までお申し込み下さい。
あなたに何の損も有りません。土曜日に2時間だけ自己啓発に使えるだけです。
以上、よろしくお願い致します。
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が アクト株式会社 代表取締役 島 田 安 浩
と 電話049-256-9421 FAX049-256-9431
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