たとえば・・・
父親ではあるけれど、もはや夫ではないかもしれない。
そんな人は沢山いるだろう。
その事を考えると、不倫を騒ぎ立てるのは、
どこか白々しくもあり、行き場を失ったエネルギーの陰も感じる。
同じように母親ではあるけれど、
実質上は、もう妻ではないかもしれない。
そんな人も沢山あるだろう。
その事を考えると不倫を上手に嗜むのも
母親をやりながら、もっと自由な女であり続けたい、
そんな人としてのストレートな性的刹那すら漂ってくる。
これらの事は、性別を入れ替えても構わない。
大人になってからの期間が、より健康的で長くなっていく。
同じくして、こどもであり続ける期間も短くなっていく。
大人社会と子供社会の境い目は融合し、
分かりにくくすらなって来ている。
家族の絆。
そんな形式にこだわった時代もあったらしい、
となるのだろうか。
ところで、私はどう備えようか。
罪滅しのつもりで受けた親切と出会ったならば・・・
親切を愛情と自惚れて安心していようか。
たとえ厚かましいと言われようが、
伝統的純粋を保っていられる人間が、少なくともまたひとり確保できるぞ。
いや、地球からはみ出ようとする時代だ。
絆なんてちっぽけな鎖に、負けてはいけないのかもしれないぞ。