4月最初の週末に公演をしたあと、やはり身体が変化したのを実感している。
上演した作品の作用がはじまっているのだと思う。
作品が身体を変える。そういうことが過去にもあったが、今回は久々にそれを実感している。
上演した『トラ・ラ・ラ』という作品の後半に、バルトークの農民歌を踊るシーンがある。
死者への思いを踊り描くシーンで稽古にかなり苦労したが、ここから得たものは多かった。
1分にも満たない曲だが、ピアノで弾き録音し、踊り、踊った録画を見てまたピアノに向かい、という行為を繰り返しながら、近づいたり遠ざかったり。測り合うように過ごした。遠くの音に耳を澄ますようでもあった。
バルトークを踊ったのは久々で、(過去作では、この作曲家のオペラに刺激された『サヴァイヴァ』という作品もあったが楽曲は全てオリジナルだったから、20代のアンサンブル以来かもしれない。)踊ったのは、農村で口ずさまれる労働歌のメロディを譜面に書きとめたものだが、これは失われてゆく歌かもしれない、とバルトークは考えて書き留めたのではないかと思った。
自分の心を表現するのも芸術だが、失われてゆくものを何らかの形で表現し心に留めてゆこうとするのも芸術の核だと思えた。失われてゆくものについて考えること、それは他者や関係について、つまり、世界について考えることにも相似しているのではないかと思うのだった。
『トラ・ラ・ラ』の背景には崩壊や喪失をめぐる体験や予感が渦巻いていたが、そのダンスを踊りながら、僕はしばしば「avec ici(ともに、ここに)」という言葉を思い返していた。どこで聴いたのか、ずっとどこかに引っかかっている響きなのだ。
ダンスのソロ(独舞)は文字通り単身で踊ることを言うが、それは死者や不在や非在と「ともに」踊ることでもあると僕は認識している。
個体は、実は他者につながっているからこそ存在できるのかもしれないと、僕はいつからか強く思うようになっている。奇妙な言い方かもしれないが、実存は「ともに」あることだ、と言ってもいいかもしれない。ある存在がワタクシなるものとして存在するリアリティは、他者なしには、あり得ないのではないかと思うのだ。
他者、とは、あなた、でもある。あなたには死者も、天使も、つまり喪失や不在さえもがふくまれている。
あなた、という言葉は、かなた、にも通じている。
わたし、という言葉がどこまでも深い淵を思わせるのに対して、あなた、という言葉には、とても広い広がりを感じる。
無数の、異なる、存在。知り得ないかもしれない、あなた、なるもの。
たとえばそういうことをどこかに響かせているような踊りに向かっていきたいという思いも、最近はある。
次への稽古を始めて2週間以上になる。
舞台の検証をしながら、こんどは長期間かけて構想をしているものを選んでもいいのかなあと思ったりもする。
上演した作品の作用がはじまっているのだと思う。
作品が身体を変える。そういうことが過去にもあったが、今回は久々にそれを実感している。
上演した『トラ・ラ・ラ』という作品の後半に、バルトークの農民歌を踊るシーンがある。
死者への思いを踊り描くシーンで稽古にかなり苦労したが、ここから得たものは多かった。
1分にも満たない曲だが、ピアノで弾き録音し、踊り、踊った録画を見てまたピアノに向かい、という行為を繰り返しながら、近づいたり遠ざかったり。測り合うように過ごした。遠くの音に耳を澄ますようでもあった。
バルトークを踊ったのは久々で、(過去作では、この作曲家のオペラに刺激された『サヴァイヴァ』という作品もあったが楽曲は全てオリジナルだったから、20代のアンサンブル以来かもしれない。)踊ったのは、農村で口ずさまれる労働歌のメロディを譜面に書きとめたものだが、これは失われてゆく歌かもしれない、とバルトークは考えて書き留めたのではないかと思った。
自分の心を表現するのも芸術だが、失われてゆくものを何らかの形で表現し心に留めてゆこうとするのも芸術の核だと思えた。失われてゆくものについて考えること、それは他者や関係について、つまり、世界について考えることにも相似しているのではないかと思うのだった。
『トラ・ラ・ラ』の背景には崩壊や喪失をめぐる体験や予感が渦巻いていたが、そのダンスを踊りながら、僕はしばしば「avec ici(ともに、ここに)」という言葉を思い返していた。どこで聴いたのか、ずっとどこかに引っかかっている響きなのだ。
ダンスのソロ(独舞)は文字通り単身で踊ることを言うが、それは死者や不在や非在と「ともに」踊ることでもあると僕は認識している。
個体は、実は他者につながっているからこそ存在できるのかもしれないと、僕はいつからか強く思うようになっている。奇妙な言い方かもしれないが、実存は「ともに」あることだ、と言ってもいいかもしれない。ある存在がワタクシなるものとして存在するリアリティは、他者なしには、あり得ないのではないかと思うのだ。
他者、とは、あなた、でもある。あなたには死者も、天使も、つまり喪失や不在さえもがふくまれている。
あなた、という言葉は、かなた、にも通じている。
わたし、という言葉がどこまでも深い淵を思わせるのに対して、あなた、という言葉には、とても広い広がりを感じる。
無数の、異なる、存在。知り得ないかもしれない、あなた、なるもの。
たとえばそういうことをどこかに響かせているような踊りに向かっていきたいという思いも、最近はある。
次への稽古を始めて2週間以上になる。
舞台の検証をしながら、こんどは長期間かけて構想をしているものを選んでもいいのかなあと思ったりもする。