公演準備、作品の、身体の見直し。自作と対決が始まった。
ふと、シュナーベルを思う。あの、壊れた皿によって描かれた花の絵、つい最近観た新たな映画、その主人公、作品に、その要素のひとつひとつに、嫉妬すれすれの共感をおぼえてきた。踊りつつ感じ続けているものに重なる。(とりわけ、6月に改訂上演する自作「TABLA RASA」には、その観が濃い。)バイト先のレストランで捨てられた皿を叩き割って花を描く。まばたきだけで意志を伝え続けて本を書く。崩れ落ちる氷河を撮影し、逆回転させて・・・。それらは、現実に体当たりしながら夢を紡ぐ方法にも感じる。夢もまた、ここに在る。
いま今日この時間この肉に場所に、むしゃぶりつく瞬間が「踊り」。
なりふりかまわず現実のカラダに関われば、凛としたヘタクソダンスが生まれ、喪失も絶望も、はなはだ危ういままに希望さえもが、踊るという、この「行為の破裂」には含まれて悲喜劇だ。
私は、私自身への、道の途上にある・・・。踊る程に、そう感じる。
しかし、この現在はすでに終点かもしれないのだ。
まだない何かを探す前に、ここにある「限りある」すべてを呑み込んでしまいたくて踊る。
歴史や主義や他人と比べているヒマはない。時が惜しい、デタラメの限りを尽くす。尽くせたか、いま・・・。
稽古であれ、阿呆になる勇気の時間。床の温度や空気の重量、骨から皮膚からこぼれてくる、痛がゆいような錯乱と快楽を受け止めたりさらけだしたりする。
鎧を脱ぐのだ、何度でも。
カラダに、自分自身に遭遇するため?
いや、カラダから逃げない、とっくに遭遇している自分自身から目をそらさないため。そのほうがダイレクト。
両方、ここにあるのだから。
踊りに多くの意味を求める必要はないと思う。しかし、リアルでありたい。実体として。
ふと、シュナーベルを思う。あの、壊れた皿によって描かれた花の絵、つい最近観た新たな映画、その主人公、作品に、その要素のひとつひとつに、嫉妬すれすれの共感をおぼえてきた。踊りつつ感じ続けているものに重なる。(とりわけ、6月に改訂上演する自作「TABLA RASA」には、その観が濃い。)バイト先のレストランで捨てられた皿を叩き割って花を描く。まばたきだけで意志を伝え続けて本を書く。崩れ落ちる氷河を撮影し、逆回転させて・・・。それらは、現実に体当たりしながら夢を紡ぐ方法にも感じる。夢もまた、ここに在る。
いま今日この時間この肉に場所に、むしゃぶりつく瞬間が「踊り」。
なりふりかまわず現実のカラダに関われば、凛としたヘタクソダンスが生まれ、喪失も絶望も、はなはだ危ういままに希望さえもが、踊るという、この「行為の破裂」には含まれて悲喜劇だ。
私は、私自身への、道の途上にある・・・。踊る程に、そう感じる。
しかし、この現在はすでに終点かもしれないのだ。
まだない何かを探す前に、ここにある「限りある」すべてを呑み込んでしまいたくて踊る。
歴史や主義や他人と比べているヒマはない。時が惜しい、デタラメの限りを尽くす。尽くせたか、いま・・・。
稽古であれ、阿呆になる勇気の時間。床の温度や空気の重量、骨から皮膚からこぼれてくる、痛がゆいような錯乱と快楽を受け止めたりさらけだしたりする。
鎧を脱ぐのだ、何度でも。
カラダに、自分自身に遭遇するため?
いや、カラダから逃げない、とっくに遭遇している自分自身から目をそらさないため。そのほうがダイレクト。
両方、ここにあるのだから。
踊りに多くの意味を求める必要はないと思う。しかし、リアルでありたい。実体として。