モデルでタレントのローラがInstagram上で「美しい沖縄の埋め立てをみんなの声が集まれば止めることができるかもしれないの」と米ホワイトハウスへ提出する嘆願書への署名に誘導し10万人を超える署名を集めたことが大きな話題になり、当然ながらネット上では賛否の声とローラへの誹謗中傷があふれていた。
その後、国内メディアや辺野古新基地建設に反対する野党や有識者らは、目立った行動をしていなかったようである。
それにもかかわらず2019/1/8現在200,000筆突破(総合5位)となっている。
【Democracy and Dugongs 辺野古・大浦湾を海洋保護区に】
また最近では、大御所芸人の動画が話題を呼んでいる。
「所ジョージも『辺野古埋め立て反対』ソングでメッセージ なぜかローラの時とは違うネットの声」
ブライアン・メイに続き、なんと所ジョージさんも #辺野古 基地問題について動画で歌ってます。しかも結構ダイレクトなメッセージで!!
— グリーンピース・ジャパン (@GreenpeaceJP) 2019年1月9日
ホワイトハウス署名ページはまだオープン中 >> https://t.co/gIPCh1EElo
残り9000筆くらいで、署名数は歴代4位に??https://t.co/DTbNVt1i4H
所ジョージさんが、米軍基地の建設予定地とされている沖縄・辺野古で「♪アメリカの飛行機、アメリカに降りてョ?」という曲を弾き語りする様子をYouTubeにアップロード。 https://t.co/OzJuYTVcaP
— 東ちづる Chizuru.Azuma (@ChizuruA1) 2019年1月9日
ところが肝心の沖縄県内ではこんなことが起きていた。
宮古島市、宜野湾市、沖縄市と自公推薦の首長なので政権の顔色をうかがっていることは分かるが、市民の投票権を奪う権限はない。
— 無職労オジサン (@649rouojisan) 2019年1月8日
沖縄県、事務代行を検討 辺野古県民投票、自治体不参加相次ぎ:朝日新聞デジタル https://t.co/iep8cJ7wkG
「沖縄の有権者の1割に相当 県民投票、沖縄市が不参加へ 『○か×か、あまりに乱暴』」と主張する沖縄市長に言わせれば、「(1997年の)名護市の住民投票では市民が分断され雰囲気が暗くなった。こういう経験をさせたくないので市民には絶対に住民投票はさせたくない」、「手法に異義がある。直接民主制を否定するものではない。議会与党全員の2度にわたる否決は重い。行政の長として民意を知りうるのは議会。尊重せざるを得ないと考える」ということらしい。
市長が県民投票に不参加を表明している沖縄、宜野湾、宮古島と、態度を保留しているうるま、糸満、石垣の計6市の18歳以上有権者数を2018年9月30日執行の知事選時点でみると、計41万197人で、県全体114万6815人の35.8%に上る
これでは参加市町村の全員が投票しても、64.2%の投票率となり、実際には過半数を下回る可能性もある。
実質上、安倍政権の思惑通りに事が運びそうな状況になっている。
そうした中、県民投票の事務処理拒否は、憲法上も問題があると指摘する木村草太首都大学東京教授が「木村草太氏が緊急寄稿 『県民投票不参加は憲法違反』」と沖縄タイムスに寄稿していた。
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沖縄県議会で昨年10月に成立した住民投票条例に基づき2月24日、辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票が実施されることになった。地方自治法252条の17の2は、「都道府県知事の権限に属する事務の一部を、条例の定めるところにより、市町村が処理することとすることができる」とする。今回の住民投票条例13条は、この規定を根拠に、投票に関する事務は「市町村が処理する」こととした。
なぜそうしたのかと言えば、投票所の設置や投票人名簿の管理は、国や県よりも地元に密着した市町村が得意とする事務だからだ。つまり、今回の事務配分は、各市町村に投票実施の拒否権を与えるためではなく、あくまで県民投票を円滑に実施するためのものだ。
しかし、宜野湾市や宮古島市で、県民投票の事務処理を拒否する動きが進んでいる。この動きには、地方自治法・県条例のみならず、憲法の観点からも問題がある。
一番の問題は、憲法14条1項が定める「法の下の平等」に反することだ。一部の市町村で事務執行がなされないと、住んでいる場所によって「投票できる県民」と「投票できない県民」の区別が生じる。「たまたま特定の市や町に住んでいた」という事実は、県条例で与えられた意見表明の権利を否定するだけの「合理的な根拠」とは言えない。したがって、この区別は不合理な区別として、憲法14条1項違反だ。
この点、投票事務が配分された以上、各市町村は、その区域に居住する県民に投票権を与えるかどうかの選択権(裁量)を持つはずだとの意見もある。しかし、「県条例が、そのような選択権を認めている」という解釈は、県民の平等権侵害であり、憲法14条1項に反する。合憲的に解釈するならば、「県条例は、そのような選択を認めていない」と解さざるを得ない。
この点については、昭和33年(1958年)の最高裁判決が、「憲法が各地方公共団体の条例制定権を認める以上、地域によって差別を生ずることは当然に予期されることであるから、かかる差別は憲法みずから容認するところ」との判断を示していることから、自治体間の差異は許されるのではないか、との疑問を持つ人もいるかもしれない。
しかし、この判決は、各自治体の条例内容の差異に基づく区別についての判断だ。今回は、各市町村が自らの事務について独自の条例を定める場面ではなく、県条例で与えられた県民の権利を実現する責任を負う場面だ。最高裁判例の考え方からも、地域による差別は許容されない。
さらに、平等権以外にも、問題となる権利がある。県民投票は、県民全てに開かれた意見表明の公的な場である。県民の投票へのアクセスを否定することは、憲法21条1項で保障された「表現の自由」の侵害と認定される可能性もある。さらに、憲法92条の規定する住民自治の理念からすれば、「県政の決定に参加する権利」は、新しい権利として憲法13条によって保護されるという解釈も成り立ちうる。
このように考えると、各市町村の長や議会には、県民の憲法上の権利を実現するために、「県民投票に関わる事務を遂行する義務」がある。議会が関連する予算案を否決したり、長が地方自治法177条の原案執行を拒否したりするのは、この義務に反する。訴訟を検討する住民もいると報道されているが、市町村が事務執行を拒否した場合、裁判所も厳しい判断をする可能性がある。
もちろん、「県民投票反対の市民の声を代表しなくてはならない」との責任感を持つ市町村長や議員の方々がいるのは理解できる。しかし、宜野湾市や宮古島市にも、県民投票に参加したいと考える市民は多くいる。そうした市民の声にも耳を傾けるべきだろう。
ちなみに、県条例は棄権の自由を認めているから、県民投票反対の県民は、市長や市議会議員に代表してもらわなくても、棄権という形で抗議の意思を表明できる。市民全員に棄権を強制することは不合理だ。
前回の参議院議員選挙では、徳島県と合区選挙となった高知県で、大量に「合区反対」と書いた棄権票が投じられたことが話題となった。今回の県民投票でも、棄権票に「県民投票反対」と書いて、強い反対の意思を表示することもできる。宜野湾市で、千単位、万単位のそのような棄権票が出れば、大きな話題となるはずだ。
県民投票は、県民の重要な意見表明の機会だ。沖縄県内の市町村長・議会議員の方々には、ぜひ、県民の権利を実現する憲法上の義務のことも考えてほしい。(首都大学東京教授、憲法学者)
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こんな意見に対しては、あたかも政府の意を受けたかのような、「辺野古基地とは『世界一危険な基地』と称される普天間基地の廃止を実現化する為のもので、辺野古基地反対とは普天間が存在し続けることでもあるという点を踏まえる必要がある問題である。」と思い込んでいる御仁が、「不参加は『憲法違反』なんかじゃない・沖縄県民投票」という冗長的な長文で、木村草太の「憲法違反」という指摘に対して反論、批判していた。
しかしその根拠には「占領軍GHQが押しつけた憲法だから」という安倍晋三と全く同じ妄想が存在している。
改憲派による現憲法攻撃と、辺野古新基地建設推進を結びつける論法はかなり無理がある。
あえて言えば、『世界一危険な基地』と称される普天間基地の即時廃止渉を米軍と真正面から取り込もうとしない安倍政権の弱腰を批判すべきではないだろうか、とオジサンは思う。