知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「文明開化の光と影〜小林清親“東京名所図”〜」

2016年12月09日 07時12分33秒 | 日本の美
 小林清親(きよちか)は明治時代に活躍した版画家です。
 代表作は「東京名所図」。
 川瀬巴水と共に私のお気に入りの版画家であり、40cm×53cmの大きな版画集も所有しています。
 それまでの色鮮やかな風光明媚な風景版画とは一線を画し、色彩を抑えて影を有効活用している印象がありました。
 まさに「文明開化」を感じさせる作風は、当時人気を博したそうです。

 以前録画しておいたNHKの日曜美術館「文明開化の光と影〜小林清親“東京名所図”〜」を視聴しました。
 私が感じていたように「光と影」が彼の作品のキーワードのようです。
 刻々と変化する夕焼けの微妙な表情を表現し、
 街に灯りはじめたガス灯でできる人の影を描く。
 ヘンリー・スミス氏は「水彩画を版画にした功績は大きい」と高く評価していました。
 番組で紹介された清親の写生帳、出版してくれないかなあ。



<解説>
 文明開化で急激な変貌を遂げる東京を、光と影を駆使した独特の詩情あふれる姿で描き、“光線画”と呼ばれた、小林清親(1847-1915)の風景版画、『東京名所図』。明治9年から14年まで5年間で全93景描かれ、「明治初年の東京をうかがい知る無上の資料」と言われる。『東京名所図』が当時圧倒的な人気を呼んだのは、西洋画のようにリアルな光景が、夕陽や月光や雪などが醸し出す風情とともに描き出されていたからである。蒸気機関車や西洋建築の新橋駅、人力車など、文明開化を象徴する時代の最先端の風物を描いても、江戸伝来の同時代の風景版画とは決定的に違う新しさがあった。
清親は、この新たな風景版画をどのようにして描くことができたのか。近年着目されてきたのが、清親が残した9冊の「写生帖」である。東京のあちこちを歩いて、さまざまな季節、さまざまな時間の風景を水彩スケッチで描き、水彩画そのままの版画を作ろうと試みた。
ことしは、清親没後100年。番組では、『東京名所図』に描き込まれた風物を通して、文明開化の世相を明らかにし、「写生帖」などから、清親の創作の秘密に迫る。
















































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