高尾山は交通が便利になる以前は山奥でした。
精神病者の療養先になったことも歴史的に頷けます。
■ 高尾山に息づく精神障害者療養の歴史
(2017年06月30日:メディカル・トリビューン)
ミシュランガイドで最高ランクの3つ星観光地に選出され、多くのハイカーで賑わう高尾山(東京都八王子市)。しかし、近代医療が整備される以前、ここが精神障害者の療養の地であったことはあまり知られていない。山中の瀧の近くには精神障害者を収容する民間宿泊施設が存在し、療養の場となっていた。神奈川県立精神医療センターの伊津野拓司氏は、その1施設に伝来する明治から昭和初期にかけての宿帳の全データを分析し、第113回日本精神神経学会(6月22~24日)で発表した。当地には現在,精神科病院があり、前近代からの精神障害者療養の歴史を受け継いでいる。
2つの瀧に近接して精神障害者を受け入れる宿泊施設が存在
伊津野氏によると、わが国では明治以前に、神社仏閣の付属施設、旅館などが精神障害者の療養の場となった例は数多く存在する。明治になって精神科病院が設立されるようになったが、病院で治療を受ける者は少なく、なお民間施設が精神障害者の受け皿となるケースが多かった。古くから山岳信仰の場であった高尾山も、山麓に精神障害者用の民間施設が点在した。
高尾山で特徴的なのは瀧の存在だ。蛇瀧、琵琶瀧の2つが現存するが、かつてはそれぞれの瀧に近接して精神障害者を受け入れる宿泊施設が存在した。蛇瀧近くの施設は「蛇瀧茶屋」(別名、ふぢ屋新兵衛)と呼ばれたが(写真)、同氏の共同研究者である関東労災病院の金川英雄氏が1900(明治33)年から1938(昭和13)年にかけての宿帳を発見、分析を進めている。宿帳から垣間見える精神障害者療養の実態については、両氏がこれまで同学会で発表しており、「先達」「看護人」と呼ばれる人が「脳病」「精神病」などの用語を宛てられる精神障害者を引率していたこと、滞在し蛇瀧に向かう者が大半を占め、現在の解放病棟のような役割を担っていたことを明らかにしている。
今回は、伊津野氏が宿帳の全データをエクセル入力し、宿泊者の利用状況を検討した。
20日を超える長期滞在、瀧で頸部を刺激し感情を鎮静か
宿帳に記載された全宿泊者は3,058人、そのうち病気の療養目的であることが記載されていたのは126人。内訳は精神病が79人と最も多く、脚気23人、眼病5人、付き添い12人、その他7人であった。宿泊者の住所は東京102人、神奈川12人、埼玉4人など。精神病79人の平均年齢は32.1歳、平均宿泊日数は23.1日であった。
宿泊者は大正期に全盛を迎え、昭和になると衰退していった。その理由について、伊津野氏は、1927(昭和2)年に大正天皇の多摩御陵がつくられ、京王線が高尾山口まで延伸したことでアクセスが容易になったことを指摘。さらに、2つの瀧の近くに精神科病院が建設され、高尾山の瀧周辺で展開された精神障害者療養の役割は精神科病院に継承されたとの見方を示した。現在、蛇瀧の近くには駒木野病院、琵琶瀧の近くには東京高尾病院が建つ。民間施設が精神科病院へ転身した事例は、京都のいわくら病院などにも認められるという。
なお、瀧を利用した療養について、同氏は「頸部を刺激することによって、高揚する感情の鎮静効果を得ていたと考えられる」と推測した。
精神病者の療養先になったことも歴史的に頷けます。
■ 高尾山に息づく精神障害者療養の歴史
(2017年06月30日:メディカル・トリビューン)
ミシュランガイドで最高ランクの3つ星観光地に選出され、多くのハイカーで賑わう高尾山(東京都八王子市)。しかし、近代医療が整備される以前、ここが精神障害者の療養の地であったことはあまり知られていない。山中の瀧の近くには精神障害者を収容する民間宿泊施設が存在し、療養の場となっていた。神奈川県立精神医療センターの伊津野拓司氏は、その1施設に伝来する明治から昭和初期にかけての宿帳の全データを分析し、第113回日本精神神経学会(6月22~24日)で発表した。当地には現在,精神科病院があり、前近代からの精神障害者療養の歴史を受け継いでいる。
2つの瀧に近接して精神障害者を受け入れる宿泊施設が存在
伊津野氏によると、わが国では明治以前に、神社仏閣の付属施設、旅館などが精神障害者の療養の場となった例は数多く存在する。明治になって精神科病院が設立されるようになったが、病院で治療を受ける者は少なく、なお民間施設が精神障害者の受け皿となるケースが多かった。古くから山岳信仰の場であった高尾山も、山麓に精神障害者用の民間施設が点在した。
高尾山で特徴的なのは瀧の存在だ。蛇瀧、琵琶瀧の2つが現存するが、かつてはそれぞれの瀧に近接して精神障害者を受け入れる宿泊施設が存在した。蛇瀧近くの施設は「蛇瀧茶屋」(別名、ふぢ屋新兵衛)と呼ばれたが(写真)、同氏の共同研究者である関東労災病院の金川英雄氏が1900(明治33)年から1938(昭和13)年にかけての宿帳を発見、分析を進めている。宿帳から垣間見える精神障害者療養の実態については、両氏がこれまで同学会で発表しており、「先達」「看護人」と呼ばれる人が「脳病」「精神病」などの用語を宛てられる精神障害者を引率していたこと、滞在し蛇瀧に向かう者が大半を占め、現在の解放病棟のような役割を担っていたことを明らかにしている。
今回は、伊津野氏が宿帳の全データをエクセル入力し、宿泊者の利用状況を検討した。
20日を超える長期滞在、瀧で頸部を刺激し感情を鎮静か
宿帳に記載された全宿泊者は3,058人、そのうち病気の療養目的であることが記載されていたのは126人。内訳は精神病が79人と最も多く、脚気23人、眼病5人、付き添い12人、その他7人であった。宿泊者の住所は東京102人、神奈川12人、埼玉4人など。精神病79人の平均年齢は32.1歳、平均宿泊日数は23.1日であった。
宿泊者は大正期に全盛を迎え、昭和になると衰退していった。その理由について、伊津野氏は、1927(昭和2)年に大正天皇の多摩御陵がつくられ、京王線が高尾山口まで延伸したことでアクセスが容易になったことを指摘。さらに、2つの瀧の近くに精神科病院が建設され、高尾山の瀧周辺で展開された精神障害者療養の役割は精神科病院に継承されたとの見方を示した。現在、蛇瀧の近くには駒木野病院、琵琶瀧の近くには東京高尾病院が建つ。民間施設が精神科病院へ転身した事例は、京都のいわくら病院などにも認められるという。
なお、瀧を利用した療養について、同氏は「頸部を刺激することによって、高揚する感情の鎮静効果を得ていたと考えられる」と推測した。