五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

湖東三山2・近江の旅10

2014年08月15日 | 第2章 五感と体感
湖東三山:百済寺・金剛輪寺・西明寺
昨日は、百済寺を書きました。

百済寺で出会った東京からの女性二人の旅人は、白洲正子の本を辿り湖北の寺社巡りを終え、湖東に来られたそうです。
そういえば、菅浦で出会った女性3人(一人は菅浦出身)も白洲正子の「かくれ里」を読み、男性一人旅の方も白洲正子を語っていらっしゃいました。

私と云えば、歴史を学ぶにつれ、知るにつれ、近江という地がいかに日本の歴史の分かれ道であったことかを知り、湖南あたりの聖武天皇、天武天皇の足跡や謡曲を辿ることを始まりとしていくうちに、どんどんと湖東、湖北へと興味が広がっていきました。太古の昔、水辺を求めた人々が暮らしを営み、特に湖西の山裾には並ぶように豪族の古墳が多く築かれました。
海にほど近い古墳よりも圧倒的に多く川や湖に添って古墳は造られています。
情報通信にしても落ち伸びるにしても、この地のどこかの山に逃げ込みさえすれば、西から東へと逃げることができるし、または近江の山を背景にした平地が合戦がしやすい地形でもあります。
関ヶ原は壬申の乱でも使われ、瀬田の粟津ヶ原、賤ヶ岳も然りです。このように近江の地は歴史上多くの合戦場となりました。
堅田の庄で時期を窺う源氏方も鞍馬山から義経を脱出させ、さらにその後、頼朝の追っ手を逃れ安宅から一気に蝦夷の国へ逃げ切ります。
頼朝、義経の父にしても琵琶湖を越えた長田の庄にて命を奪われます。
そして、今回勉強になった淳仁天皇にしても、孝謙天皇との軋轢が菅浦に伝説を生み出すわけです。

近江の地を歩くことで、改めて歴史上の出来事がリアルに伝わってくることにとても満たされた気分になりました。

ここからが、また学びだとも思います。

そのような思いを籠めて琵琶湖を廻ると近江の神仏が益々愛おしく思えてくるのです。
美しい仏像との出会いも有難いものでした。

山門のから暫く歩き、階段をひたすら上り切った処にある金剛輪寺は、聖武天皇の祈祷寺として741年に建立。
本尊の観世音菩薩は行基作と云われています。
茶室を持つ庭園も素晴らしく、手入れが行き届いておりました。三山は共通して庭園に見応えがあります。

金剛輪寺からほど近いところに西明寺があります。834年平安時代に建立。
ここも名神高速道路の寺専用の橋を渡ります。
本尊は、薬師如来立像。三山とも御開帳の時期にのみ本尊を拝見することができるのですが、住職一世一代一回きりにしか開帳できないそうです。西明寺は昨年開帳したそうです。
とはいえ、寺院の仏様の美しさは、素晴らしく、日光菩薩、月光菩薩は特に印象に残りました。
本堂の裏手には弁財天が安置されており、この美しさを目の当たりにできるとは幸運でした。大河ドラマ「江」の竹生島参拝のシーンに登場した弁財天は、実は西明寺であったそうです。

そして、大きな画表装の千体仏を拝見することができました。表装の形態も全て描いたものを画表装と云います。
この画表装、しかも仏表具です。仏表具の画表装を拝見するのは初めてです。
案内してくださった寺の方が、裏まで見せてくださり、今回の近江の寺巡りの終着地で画表装を見ることができたことは大変勉強になりました。

金剛輪寺と西明寺の本堂は国宝です。戦国時代、焼き討ちに遭いながらも戦火を逃れることができたのは奇跡と云うべきものでしょう。西明寺には頼朝も詣で戦勝祈願をしていると伝えられています。
歴史に名だたる人物がこれらの本堂に入り本尊に合掌したことを想像すると歴史を紐解く時代に生まれた私は何と幸運なんだろうと、改めて思うのでした。

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