写真:スロベニアのブドウ畑の村「エルサレム」にある田舎料理のレストラン
口に広がる食感と味から幸福感を感じることは、いちいち意識はしていませんが、毎日感じているのだと思います。
でも、口に入れた途端、幻滅を感じたり、哀しくなったりすることもあります。
幼い頃から方々旅に連れ回し、数カ国でホームステーや留学を経験した息子が最も多く学んだ事は、味覚と嗅覚に違いない。。。と、思う事があります。味覚に関しては、息子に超えられちゃったな、、、と口惜しい思いもあり、嬉しい思いもあり…。
そんな私もアスパラガスが出始めると、パリの空気が蘇り、筍が出始めると、里山の空気があたりに漂い、土の香りが鼻に香ってきます。
春になると、ついついブログに書きたくなるのが旬の食べ物のことです。
しかし、本来なら、春の味覚にワクワクするところですが、このワクワク感が停滞しているのは、明らかに放射能のことが頭から離れないからです。他のことは、客観的に捉える事ができるのですが、食べ物好きにとっては、かなりのダメージです。
その上、ニュースでセシウムを測定するための食材を細かく刻み撹拌する機械が映し出される度毎に気持が悪くなり、吐きそうになります。
テレビでニュースを見る=気持悪くなる
という図式がこの数日間で定着してしまい、でも、そうなってしまうのだからどうしようもなく、自分の感覚が治まっていくのを静かに待つしかないようです。
夜だけ見ていたテレビのニュースも、その映像が出るので、テレビを付ける気分が失せてしまいました。
最近では、テレビで放映する津波の映像には必ず考慮されたフリップが出るようになりましたが、具合が悪くなるのが津波の映像だけでは無いことに改めて気付かされています。
「神経質だわ」とか「考え過ぎじゃない」という言葉で終わらせることが出来る人もいれば、こうやって私のように直に感じてしまう人も居るわけです。
自分の五感は、自分だけのものです。だからこそ、「感じること」に素直でありたいと思います。
「こんなことを感じては失礼だ。いやいや、こんなことを感じるのは自分だけだから我慢我慢!」等と、自分で思う事や感じることを自分自身で否定し続けていると、いつしか抑圧的な防衛機制が自分を身体症状や鬱に追いこんでいくようです。
「自分の感じる事を自分自身が否定しない生活」が最低限守られる社会であって欲しいと願うばかりです。
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