高校2年の時に同じクラスだった石田昭三君が亡くなったことを聞いたのは
高校を卒業してからすぐだったような気がします。
彼は音楽が好きでよくレコードを買ってもらいました。
今でも覚えているのは「1910フルーツガムカンパニー」の「サイモン・セッズ」という曲です。
彼が鼻歌で歌っているのをよく聞きました。
この頃流行っていた「バブルガムミュージック」が好きだったんですね。
彼は音楽についていろんなことを知っていました。
一番驚いたのは
1968年(S43年)の3月に発売され、その後すぐ歌詞の問題で発売中止になった
「ザ・フォーク・クルセダーズ」の「イムジン河」の歌詞をちゃーんと知っていたんですねー。
私が欲しいと思った時は中止になっていました。
ちょうど修学旅行の時、バスの中でずーっとその「イムジン河」を彼から口伝えで教えてもらいました。
バスからの景色も見ずに、その歌を彼は真剣に教えてくれました。
その後「イムジン河」は1995年にアルバム「ザ・フォーク・クルセダーズ/ハレンチ+1」の中に
スタジオ・ヴァージョンとして収録されたり、
2002年の「ザ・フォーク・クルセダーズ 新結成記念 解散音楽会」では
新たな歌詞を加えて歌っていました。
また、2011年にきたやまおさむさんとD50Shadowsというグループで出した
アルバム「あの素晴らしい愛をもう一度」の中でさらに新たな歌詞が加えられています。
その歌詞は1番2番は今までどうりの歌詞ですが、3番4番が以下のようになってます。
イムジン河 春の日に 岸辺に 花かおり
雪解け水を得て 北と南むすぶ
ふるさとの 歌声よ 渡る風となれ
イムジン河 とうとうと 青き海に帰る
喜びも 悲しみも 裏切りも 再会も
流された 涙は 川の水のように
北と南むすぶ 歌よ 橋となれ
もう一度 会いたくて あなたに 会いたくて
もう一度 会いたくて あなたに 会いたくて
「イムジン河」を聞いたり、歌ったりするといつも彼のことを思い出します。
もう一度 彼に会いたかった!
高校を卒業してからすぐだったような気がします。
彼は音楽が好きでよくレコードを買ってもらいました。
今でも覚えているのは「1910フルーツガムカンパニー」の「サイモン・セッズ」という曲です。
彼が鼻歌で歌っているのをよく聞きました。
この頃流行っていた「バブルガムミュージック」が好きだったんですね。
彼は音楽についていろんなことを知っていました。
一番驚いたのは
1968年(S43年)の3月に発売され、その後すぐ歌詞の問題で発売中止になった
「ザ・フォーク・クルセダーズ」の「イムジン河」の歌詞をちゃーんと知っていたんですねー。
私が欲しいと思った時は中止になっていました。
ちょうど修学旅行の時、バスの中でずーっとその「イムジン河」を彼から口伝えで教えてもらいました。
バスからの景色も見ずに、その歌を彼は真剣に教えてくれました。
その後「イムジン河」は1995年にアルバム「ザ・フォーク・クルセダーズ/ハレンチ+1」の中に
スタジオ・ヴァージョンとして収録されたり、
2002年の「ザ・フォーク・クルセダーズ 新結成記念 解散音楽会」では
新たな歌詞を加えて歌っていました。
また、2011年にきたやまおさむさんとD50Shadowsというグループで出した
アルバム「あの素晴らしい愛をもう一度」の中でさらに新たな歌詞が加えられています。
その歌詞は1番2番は今までどうりの歌詞ですが、3番4番が以下のようになってます。
イムジン河 春の日に 岸辺に 花かおり
雪解け水を得て 北と南むすぶ
ふるさとの 歌声よ 渡る風となれ
イムジン河 とうとうと 青き海に帰る
喜びも 悲しみも 裏切りも 再会も
流された 涙は 川の水のように
北と南むすぶ 歌よ 橋となれ
もう一度 会いたくて あなたに 会いたくて
もう一度 会いたくて あなたに 会いたくて
「イムジン河」を聞いたり、歌ったりするといつも彼のことを思い出します。
もう一度 彼に会いたかった!
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