地理の部屋と佐渡島

2009年4月よりの佐渡単身赴任があけ、2014年4月より長岡へ。別れが絆をより深めた。今後ともよろしくお願いします。

小さな旅・北五十里

2005年08月15日 07時49分08秒 | 佐渡地理

 両津の街から北東へ、加茂線と呼ばれるバス路線をしばらく行くと北五十里という小さな集落がある。両津湾に面した小さなこの集落。唯一目立つものと言えば金峰神社の大杉である。

 だが、道路から一歩山側へ入ると実によい谷あいの田園風景が広がる。佐渡帰省のおりの小さな旅。北五十里を訪れての報告である。


 

▲金峰神社の大杉の遠景である。集落内の加茂線に沿う道端には車は止めにくい。そのためバス通りを避け、一歩山側へ入って車を止めた。稲穂が実りつつある田圃越しに大杉を撮したが、大杉といわれるだけのサイズではある。

 

▲畦の草も丁寧に刈り込まれた谷あいの水田地帯。その中を二人の子供が虫取り網を持って歩いている。どこかほっとさせる風景。(写真ではその子供達がわかりにくいのが残念。)

 

 

▲この辺は不明瞭であるが、海岸段丘と言えそうなものが点在している。その上がどうなっているのかを確認はしていないが、写真の竹藪と杉林の見られる傾斜地上部は平坦そうに見える。この写真、左側はすぐに北五十里の集落であるが、その先はすぐに海である。 北五十里前後の集落、椿や白瀬も同様の景観を呈する集落である。いずれ紹介しようと思う。

 

▲さて、大杉に近づいてきた。遠景でもその堂々とした姿は認識されたが、近づくほどに他を圧倒する大きさであるとわかる。海から見れば、ここが北五十里だと良い目印になるかも知れない。

 

▲大杉についた。近くにちゃんとしたものがあるのかも知れないが、神社といっても小さな祠があるだけ。ただ、木の根本に立つとその大きさには特別なものを感じる。 バス通りに小さな標識があるが、注意をしないと見逃す。また、大きい木であるが、意識していないと移動する車中からでは見逃してしまう。

 

▲大木の楽しみは幹の大きさだけではない。その枝一本一本のスケール。大きく脈打つような樹皮のしわ一つとっても同様だ。枝葉もしっかりしているので、まだまだ大きくなるであろう。順調にいけばこの樹の最期を見届けることは無かろうが、長く北五十里の集落を見守って欲しいものである。

 

 

▲大杉のあるあたりから北五十里の集落を見ている。小河川流域の小さな水田地帯。その向こうが北五十里の集落。そして穏やかな両津湾。

 

▲畦の草が美しく刈り込まれたきれいな水田地帯。こういう風景に目を癒されぬ者がいようか。杉や竹、雑多な広葉樹が入り交じった典型的な佐渡の里山の風景。たばこを一服。ほっと一息。 いつしか、虫捕りの子供達もいなくなり、田には人影が無くなった。

 

▲北五十里川。小さな川であるが、流域の水田を潤す川である。その清冽な流れの中を小さな鮎たちが群れ泳いでいる。使われているのかどうかはわからぬが、収穫した稲を干すためのハゼ(佐渡では竹製が多い)が、良い被写体となってくれる。

 

▲最後にもう一枚。美しく刈り込まれた畦道の近影である。右側の田の稲穂はすでに頭(こうべ)を垂れ始めている。「実れば実るほど、頭を垂れる稲穂かな。」その言葉どおり。きっと良質な米であろう。大杉はそんな北五十里の田を見守っていた。 

<写真撮影 2005.8.13>


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