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叡尊(思円)

2020-06-07 | 入試問題+ゴロ合わせ

A村最大自立

叡尊(えいそん))(西大寺宗)
叡尊(1201~90)は、実名以外に思円の名でもよばれ、武士を含め庶民を戒律(仏法上の守るべき教え)により救済すること6万人にもおよんだと言われる。

2.叡尊は、やハンセン病者の救済や橋をかけるなど民衆のための社会事業に努めた。その救済は、さまざまな苦労を背負うらを文殊菩薩の化身とみなして、救いを施すもの。1269(文永6)年には、大々的に文殊供養をおこなっている。文殊は、貧困・孤独・苦悩の衆生として姿を現すと信じられた。

3.この宗派(律宗)は、このように寺院外で活動する僧たちを組織化していたので、鎌倉新仏教に位置づける見解がある。

4.叡尊は、北条時頼の招きで鎌倉に下向し、多くの人々に授戒した(仏法上の守るべきことを諭(さと)した)。その時の記録に、弟子性海(しようかい)による『関東往還記(かんとうおうかんき)』がある。

5.性海のほか、弟子に北山十八間戸で知られる忍性がいる。

〈1998岡山大・文・教育

 鎌倉時代に西大寺復興に活躍した[ ウ ]も、法隆寺の堂舎整備に尽力している。」

(答:叡尊)〉

〈2012東大前期:「※(註:以下の説明文(3)~(5)を示した上、設問Bを問うている)

(3) 鎌倉幕府の御家人熊谷直実は、法然が「罪の軽重は関係ない。念仏を唱えさえすれば往生できるのだ」と説くのを聞き、「手足を切り、命をも捨てなければ救われないと思っておりましたのに、念仏を唱えるだけで往生できるとはありがたい」と感激して帰依した。

(4) 1205年、興福寺は法然の教えを禁じるように求める上奏文を朝廷に提出した。このような攻撃の影響で、1207年に法然は土佐国に流され、その弟子親鸞も越後国に流された。

(5) 1262年、奈良西大寺の叡尊は、北条氏の招きによって鎌倉に下向し、多くの人々に授戒した。彼はまた、京都南郊の宇治橋の修造を発願し、1286年に完成させた。

設問B 鎌倉時代におこった法然や親鸞の教えは、どのような特徴を持っていたか、また、それに対応して旧仏教側はどのような活動を展開したか。4行以内で述べなさい。」

(解答例:法然らは、仏門に入り阿弥陀堂を造立するなどを雑行として捨て、南無阿弥陀仏を唱える(称名念仏)だけでよいと説き、貴族の仏教から、簡単(易行(いぎょう))だから誰にでもできる武士を含む民衆の仏教へと革新した。これに対し旧仏教側は政治力に訴え新仏教を弾圧する一方、新仏教から影響を受けて、叡尊のように受戒の対象を武士などに広げ社会事業を行うなど自己革新に向かう僧もでた。)

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