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薩摩藩の琉球征服

2018-09-29 | Weblog

 1609(慶長14)年 島津家久、琉球に侵攻。実質的な支配下に置く。

Shimazu Iehisa, load of the Satsuma domain, mounts a military expedition against the Ryukyu Islands.
一路(いちろ)王宮 支配しようね。
  1609年   琉球王国   島津家久  尚寧

1609年薩摩藩の島津氏による侵攻を受け奄美諸島を薩摩藩の領土として割譲されたうえ琉球は事実上薩摩藩の属国となった。

After an invasion by the Shimazu clan of Satsuma Domain in 1609, the islands came under the rule of the Satsuma Domain with a secession of some territories.


[ポイント]

1.琉球尚寧王のとき、1609年島津家久の侵攻で、征服された。

[解説]

1.薩摩藩島津家久(1587~1638)は、1609年、3000の兵を率いて琉球に侵攻し、首里城(しゅりじょう)を落して国王尚寧(1564~1620)を捕え服属させた。これにより琉球王国は、日明(のち清)両属の形となる。この時以後、与論島以北は薩摩藩領となる。

2.琉球国王は清国からも冊封を受けつづけ、冊封使が来琉した。琉球は清国に、毎年進貢船を派遣し、清の下賜品を持ち帰った。この朝貢貿易の利益を薩摩藩が搾取し、国力を蓄えた。


3.薩摩の琉球侵攻後の1634年から、琉球国王即位の際に派遣される謝恩使と、幕府新将軍就任の際に派遣される慶賀使とが、幕末の1850年まで間に18回行われた。


〈2013慶大・経済〉

Ⅱ 沖縄の歴史について述べた次の文章を読んで、以下の問6~11に答えなさい。

 沖縄本島では、15世紀前半に琉球王国が成立し、周辺地域と広く交易を行って繁栄し、独自の文化を発展させた。豊臣秀吉や徳川家康によって日本の統一が進むと、琉球王国はBこれらの政権による対外政策の影響を受けるようになり、17世紀初めに幕藩体制に組み込まれた。

問7 下線部Bに関連して、豊臣・徳川政権と琉球王国との関係について述べた次の1~4の文章の中から、誤りを含むものを1つ選びなさい。

 1.豊臣秀吉は薩摩の島津氏を通じて琉球王国に服属と朝貢を求め、島津氏は秀吉に朝鮮への出陣を求められた際に琉球王国に兵糧の提供を要求した。

 2.島津氏は徳川幕府の許可を得て琉球王国に侵攻してその支配下におくと、明朝との関係を断絶させ、明との通商交易権を奪った。
 3.薩摩藩は、琉球王国にも検地・刀狩りを行なって農村支配を確立し、那覇に役人を派遣して、特産物の黒砂糖などを上納させた。
 4.徳川幕府は琉球王府に対して、国王の代替わりごとにその就任に感謝する謝恩使を、将軍の代替わりごとにそれを奉祝する慶賀使を派遣させた。」

(答:2 ※対外的には薩摩の支配下にあることを秘して、中国に服属する独立国として装わせることで朝貢貿易を継続させ、その貿易の利益を搾取した)〉

〈2012明大・法

 沖縄では、1609(慶長14)年に、薩摩の島津家久の軍により、琉球国王であった[ 3 ]が捕えられ、琉球王国は薩摩藩の支配下に入った。しかし、琉球王国はそれ以後も中国から冊封を受け、複雑な両属関係にあった。」

(答:尚寧 ※原問には尚姓の4人分選択肢あり)



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