▲小舟で脱出した公使館員
●明治時代(明治天皇)
Imo Mutiny: Revolt of traditionalist Korean troops in reaction to the Japanese-inspired modernization of the Korean army.
ベック式!ゴロ合わせ
一派敗れた 壬午軍。
1882年 大院君 壬午軍乱
1876年、江華条約(日朝修好条規)を結んで以来、朝鮮では米の値段が暴騰。
1882年、日本に接近していた閔氏政権に対し、大院君に扇動された軍隊が漢城(現在のソウル)で反乱。
事変を察知した閔妃はいち早く王宮を脱出し、当時朝鮮に駐屯していた清国の袁世凱の力を借り窮地を脱した。
大院君側は、閔妃を捕り逃がしたものの、高宗から政権を譲り受け、企みは成功したかに見えた。
しかし、反乱鎮圧と日本公使護衛を名目に派遣された清国軍が漢城に駐留し、鎮圧活動を行った上で乱の首謀者と目される大院君を軟禁。
これによって政権は閔妃一族に戻り、事変は終息した。以後、朝鮮の内政・外交は清国の代理人たる袁世凱の手に握られることになった。
日朝間には済物浦条約が締結され(済物浦は「チェムルポ」、仁川の旧称)、清国は朝鮮への宗主権を強め、閔派は親清策に転じた。
◆大院君(高宗の父)
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