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爺さんの独り言

雑木林から街中に帰ってきた爺さん

母の最後の言葉

2014年03月08日 | 日記
 大雪が降り始める2日前、母はまだ話が出来た。『自分の身体を大事にしろよ』と繰り返し言った。お別れのようなことを言うなあ、とちょっと気になっていた。話が出来たのはそれが最後だった。大雪の後、月曜日には、もうはっきりとした言葉は出なくなっていた。それでも、側で手を握って歌を歌ってやると手で拍子を取っていた。

 カラオケ教室にも行き、町の文化会館で歌ったりして、田舎町ではちょっとした名物ばあさんだったようだ。NHKの“のど自慢”に出たくて、一度予選に出たが、年上のおばあさんが一人いてその人が選ばれて、出れなかった。こちらに来てからは、いつか『親子二人でのど自慢に出よう』と話していた。実現はしないだろうとは思っていたが、そんな話をすること自体が楽しかった。

 自分の身体を大事にして、母と同じ年、98迄は無理としても90くらい迄は元気でいたいものだと思う。
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母の三つの教え

2014年03月04日 | 日記
 母が死んだ。

 
大変な苦労のあった98年と6ヶ月の生涯を終えた。

 子供の頃、母から何度も聞かされた三つの教え。

 (1)酒は飲んでも良いが、タバコは吸うな。
 (2)嫁さんをもらったら嫁さんを大事にしろ。
 (3)お金を馬鹿にするな。

 母は一番の資産家の家に嫁に来た。しかし、家は徐々に傾き、山を売り、田畑を売り、最後に家屋敷を手放した。よくある話である。父は『お金が何だ!』、というところがあったのでだろう。それが三つ目の教えとつながる。『お金がないくらい辛いことはない。』涙を流していた。甘えん坊の次男はその聞き役。母もそれまでは金の苦労をしたことのない女性だった。

 故郷、四国を遠くはなれた栃木の地での終焉。特に痛みも苦しみもなく甘えん坊だった次男坊とその嫁に見守られた安らかな最後。終わりよければ全て良し、そう思ってくれていたであろうか。そう思いたい。
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