ひな菊の丘から

今日は誕生日(写真なし)

朝、SNSにお友だちの誕生日のお知らせが来ていて、オメデトウメッセージを送って、ふと気がついた。いやいや、我が家の子ども二人も今日誕生日じゃないか!もうどちらも家を出て久しいし、このご時勢なかなか帰っても来られないので、家族のLINEでおめでとうだけ伝えておいた。

34年前の昨日、もうそろそろ生まれるかなあ、と構えていたら、夜になって陣痛がやってきた。初めての赤ちゃんで、予定日を2日すぎたところだった。陣痛もきつくなったけど、途中でどうも破水したみたいなので、病院に連絡したらすぐ来るように、とのこと。この時相方は飲んでなかったのかなあ?タクシーで行ったのかな?
当時は上新庄に住んでいたので、大阪市の住人だった。何の知識もなかったけど、電話帳か何かで探して通った産科病院、のちにハイヒールモモコが出産したり、フレンチのコース料理や美容室みたいなシャンプーで話題になったところ。母親教室で、大学の同期だったカズさんとばったり会ったり、予定日が1ヶ月違い位だった、こちらも大学の同期、K西ちゃんと診察室で遭遇したりしたっけ。


夜遅くに入院して、立ち合い出産の許可を貰っていたので、相方も一緒に分娩室に入った。私は痛みであまり記憶はないのだが、たぶんお腹をさすったりしてはくれてたはず。日付が変わって7月12日、午前1時53分に3428gで息子がこの世に現れた。

生まれてからは夜も昼もない入院期間。アカンボの部屋は別だったけど、時間が来れば授乳室に呼び出されて、出もしないおっぱいを含ませ、痛いマッサージをさせられて。そんなイメージが残っている。すべて初体験だったから、そんなもんかな、と思いつつ、私はお医者様のいうことはちゃんと聞くよいこちゃんなので、言いつけを守って入院期間を終えた。看護師さん、怖かったな。でも助産師さんが、相方の同郷の人で、言葉のイントネーションもなんか嬉しかった。

出産直後に引越しをし、実家の力を借りつつ仕事をつづけ、二人目の予定日4日前までお出かけを楽しんだ。その予定日はなんと息子の誕生日。「お母さんは、お誕生日におうちに居られないかもしれないから、先にお祝いしようか。」と彼とふたりでランチに行ったのは近くの不二家。そこでちゃんとお祝いをしてから夕方に陣痛が来た。息子は実家でじじばばおじおばにおめでとう、と言って貰ったようだ。

私の方は、今度は地元の個人医院、下ふたりはここで産んだのだが、なんとも家庭的。夕食食べずに入院したもので、女医先生が「お腹空いてない?ありもので悪いけど、これ食べて」とお盆に食事を持ってきてくださった。陣痛は来てるけど進まないので、ゆっくり気を付けて階段を上がり降りしなさい、と言われた。(ふつうの民家のようなつくり)入った部屋はこの時はベッドだったけど、末っ子の時は和室にお布団だったな。

二人目だし早いだろう、との先生の読みは外れ、深夜になってもお産は進まない。相方は仕事もあるし、で家に帰る。翌朝早く、窓の下に彼の車が止まり、「生まれたか?」「まだ~」なんとものんびりした子だった。結局、午前の診察時間が始まり、隣の部屋では普通の診察をしている横でおじいちゃん先生、息子先生、女医先生と3人に囲まれて長女が生まれてきたのは10時26分。あまりにおっとりしているので、まだだろうと昼休みにやってきた相方が、「もう生まれてるよ」と言われてビックリしていた。

30年以上前の話なので、覚えてないこともたくさんあって、母子手帳にちょっと助けてもらったけど、とりあえずこんな感じ。
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