ひな菊の丘から

カンレッキーのこと その4

いよいよ彼の60年の歴史を振り返るコーナーがやってきました。



差し棒(ちゃんと手の形してるやつ)は、このためにドンキで買ってきたそうです。




山口の片田舎でフォーク少年だった高校時代です。



大阪に出てきました。



ビル・モンロー来日で、彼を囲んでの記念撮影。たくさんの見知った方々が写ってますが、私はまだこの時ブルーグラスという音楽を知らない高校生でした。写真に写りこんでいるシルエットは、日本のブルーグラスの歴史を研究している米原のT田さんだと思います。



毎日ホールでのコンサートで、恐れ多くもブルーグラスの父と同じステージに立ってしまった写真。この数十年後、本当にブルーグラスボーイになれるチャンスがあったのを後進に譲った、という話も事実です。(単に恐れおののいたらしい。)



学外で組んだバンド、Hearts & Flowers、このバンドのリユニオン、楽しみにしてたのにな。バンジョー弾きさんさえ帰ってくれば、今は多少時間が自由になるらしいベース弾きさんは、東京から駆けつけてくださると思います。



学内のバンド、アーリータイムズ。私が入部した時の部長さんのいるバンドでした。懐かしいなあ。



コレハスゴイ!トニーさまと一緒にステージに上がってます。



この頃、京都円山音楽堂では、春と秋と、二回ブルーグラスの1dayフェスが行われていました。春がキカメ屋で、秋が十字屋でしたっけ?



1976年の夏、24時間ハードドライビングバンド、とかいうバンドがあった、というのは風の噂に聞いています。なんかすごい勢いでフェスに行き倒してた年のようです。大分のA尾さんや、Y本先生がこの写真に写っていたのを発見したときは衝撃でした。



Tumbleweeds、男4人オカマ1人のバンド、ってMCで言うてましたっけ?私の憧れのバンドでした。Mのりちゃん、かっこいい!



1981年、初渡米の年。ビーンブロッサムで、もちろん父ビル・モンローを堪能したことでしょう。AHOでの渡米だったはず。



淡路同棲時代。同棲相手は奇才M田H郎。



このラブラブツーショットは、たぶん私が撮りました。



いろんな人が入れ替わり立ち代り訪れていた長屋。この日は私と後輩の天才肌のフィドラーがご飯食べに行ってたみたいです。あと、割と近所に住んでいた、中華鍋を振らしたらすんごい奴もよく来ていました。北海道と鹿児島から、大人数のゲストを迎えたこともありました。



ブレてて良かった。



これもブレて助かった。



出発は二人だったんですが、なぜかバンドメンバーが合流したワシントンD.C。この後、ミシガン州マイランのフェスには、バンドで参加しました。演奏はしてないですけどね。



このあたりで飽きてきたので写真がだいぶ飛んでます。写ってないバンドさんごめんなさい。これは今おっさん3人で毎週練習しているバンド、フレンズ&ネイバーズです。



GローショーバンジョーのF嶋くんを擁したオリジナルぽっとでいじー。他のバンドメンバーが全く覚えてなかった前回の練習の内容を、彼がぽつりと指摘して、「あ!!そうやった!そんなアレンジにしたんやった。」とみんなが納得したことが何度あったか・・・。



その彼もバンジョーをそっとステージに置いて退いてしまったので、新たな出会いを求めて熟女バンドと化した新生ぽっとでいじーです。



このキャプションは、僕が考えたんとちゃうから、と弁解していました。



彼が5分以上続けて喋ってるのを見たのは初めてだ、と言った人がいましたが、なんのなんの、よう喋りますよ。このおかげで後のプログラム(元は白紙でしたが)がだいぶ押しました。
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