→ <[韓国]民族主義の色濃い伝統的な地理観? <白頭大幹>をめぐって①>
→ <[韓国]民族主義の色濃い伝統的な地理観? <白頭大幹>をめぐって②>
昨年6月、私ヌルボはサークル仲間と計4人ので聞慶方面漫遊の旅に出かけ、聞慶からはバスで店村に出て、そこから店村→栄州→堤川→清州とぐるっと韓国内陸部のローカル線の旅を楽しんできました。
その時は<白頭大幹>のことは言葉さえ知りませんでした。ところが、後になって知ったところでは、その頃「白頭大幹観光列車」という観光列車が運行していたのです。そして、われわれ4人がマッコリを飲みながら「何の変哲もない田舎だな~」とぼんやりと景色を眺めたりしていた栄州~堤川も、その観光列車の路線の一部だったのです。(その時の旅行記録は→コチラ。)
その「白頭大幹観光列車」については、<コネスト>の記事で詳しく説明されています。(→コチラ。)
それによると、運行期間は2013年4月12日~12月31日。
「O-train」と「V-train」の2種類があり、「O-train」は堤川~栄州~太白~堤川の路線を約5時間で1周する循環列車、「V-train」は白頭大幹の峡谷部を往復する峡谷列車で、汾川~鉄岩間を約1時間かけて運行します。
【「O-train」と「V-train」の運行地図。】
この観光列車はなかなかの人気だったようで、「100日間で10万人突破」というニュースが7月<聯合ニュース>等で報じられました。(→コチラ。)
関係の動画もいろいろありますが、次の動画は国土交通部(日本の国土交通省に相当)作成のもので、KORAIL(韓国鉄道公社)及び慶尚北道・忠清北道・江原道の3自治体も名を連ねています。
タイトルが<몸과 마음의 정화, 백두대간 탐방열차 타고 에코힐링여행 떠나요(体と心の浄化、白頭大幹探訪列車に乗ってエコヒーリング旅行に出かけましょう)>。この文言だけでも<白頭大幹>がどんなイメージで宣伝されているかがよくわかります。
では、このような<白頭大幹>のブームはいつ頃から起こったのでしょうか?
これまで見てきたように、90年代登山家の間で注目され、縦走が行われるようになったのが最初です。
雑誌「山(산)」の2003年4月号に<백두대간 종주기 발행 붐 뜨겁게 인다(白頭大幹縦走記ブームが熱い)>という記事がありました。(→コチラ。)
この記事によると、.登山家たちの間に白頭大幹の縦走ブームが続いたのは95年前後から。その中で、とくに1994年7月17日~9月25日の71日間を単独無支援で縦走したキル・チュンイルさんが96年に縦走記「71일간의 백두대간(71日間の白頭大幹)」を刊行。悪条件の中を苦労して縦走した体験とともに準備や所要時間、日程表等の情報や資料も載せたこの本は「しばらくの間、大幹縦走者たちに教科書のような本として人気を集めた」そうです。その後、白頭大幹の全行程を1度に縦走するのでなく、週末等に少しずつ何回、何十回にも分けて縦走を達成する形式もふつうに行われるようになり、またその記録もさまざまなものが書かれるようになりました。中には、行くことのできない北朝鮮部分の白頭大幹を「地図の上で歩く」、つまり仮想山行記まで書かれるようになったとか。
また、この記事の中でやっぱり、と思ったのは「このように絶えず出ている大幹縦走記の共通点は、<大幹を縦走する間に生まれる私たちの国土を愛する心>である」という点です。
この白頭大幹縦走ブームは、日本での「日本百名山ブーム」にも相通じる部分が少しあるかもしれませんが、<愛国心>という要素は韓国らしいところです。
このような白頭大幹縦走記は今ネット上でいくつも読むことができます。
そんな中、2008年の<アジア経済>に「白頭大幹、縦走ブームに毀損深刻」という記事が掲載されました。(→コチラ。) 10年来の縦走ブームや開発等によって白頭大幹の生態系が脅かされているというもの。これまたさもありなん、という内容です。
ところで、白頭大幹という概念が太白山脈等学校教育の中で教えられてきた山脈図を否定するような形で注目されてきたということは、もしかして学問的に問題を生ずることがあるのでは・・・、ということを前の記事で書きましたが、韓国のサイトをいろいろ見てみると、次のような記事が見つかりました。
2005年<ハンギョレ21>の「山地図の激突が始まる」と題した記事です。(→コチラ。)
それによると、国土研究院は地表の指標の高低データと衛星映像などを活用して、3次元映像による新しい朝鮮半島の山脈地図を発表したが、この山脈地図は既存の小•中•高の地理の教科書に掲載されたものと非常に異なっている。新たに描かれた韓半島の山脈は、既存の14の山脈ではなく、48個の山脈を含んでおり、山の位置や外見も差が大きい。この発表の通りなら、韓国の国民は100年近く「事実でない知識」を「騙されて学んだ」ことになる。また、この地図は登山家や在野の学者が支持する「山経表」の山並みの体系と似ている。
一方、これに対して地理学界の反応は冷ややかで、「国土研究院の山並み概念は、自然科学で扱う山脈とは異なる概念である。山地の規模と連続性のほかにも、山脈の生成原因、地質などが山を分ける重要な基準になる」との批判があるということだ。
・・・さて、この対立する2つの概念はどういう形で決着がつけられたのかはよくわかりません。
ただ、山林庁の公式サイト(→コチラ)を見ると、「2つの方式の表記の長短所」という次のような表が載せられています。
・・・つまりは、両論併記ということですね。
そして、この<白頭大幹>概念の復活に当初からつきまとっていた要素が近年いよいよ形をとって現われてきたようです。
それは風水思想とか(民族の)<気>といった考え方。
たとえば、2012年11月の「中央日報(日本語版)」の<植民地時代に断絶された「梨花嶺」を復元>という記事(→コチラ)を読んでみてください。
日本語版では白頭山脈と表記されていますが、原文はもちろん白頭大幹です。白頭大幹の一部である聞慶に近い梨花嶺は日本強制占領期の1925年に道路が造成されて脈が途切れたが、87年ぶりに韓国政府が復元に着手して、従来の道路の上にトンネルを造成した、というものです。
また2012年2月の「朝鮮日報」の記事(→日本語)によると、白頭大幹は植民地時代や開発時代に各種の道路工事が行われる過程でおよそ50ヵ所が断ち切られたが、43億6000万ウォンをかけて梨花嶺のトンネル造成を進める他にも、「政府は江陵の大関嶺、聞慶のボル峠、尚州のヌル峠・ピ峠・化寧峠、南原のサチ峠・女院峠など計13ヵ所を2020年までに復元することとした」とのことです。
【梨花嶺。以前は道路によって分断されていた分水嶺(左)が、トンネルが造成されてつながったのです。(右)】
いやあ、これは2ちゃんねらー等々のかっこうのネタになるというか、すでになってますね。
しかし、太白山脈の北の、北朝鮮領内の楸哥嶺(チュカリョン)構造谷という低地帯では鉄道(京元線)がトンネル一つなく敷設されているそうだし、運河も低地帯に沿って突き抜けているというし、そこにも将来的にはトンネルを造って白頭大幹をつなげるという構想なのでしょうか?
・・・白頭大幹について3回にわたり長々と書きました。
12月8日の<★ジュニア向き教養書「大東輿地図」を読む>からだと4回です。
思わぬところから韓国人の伝統的地理観や、その喪失と復活及びその背景等々を知ることとなりました。
例によって細々と書きすぎた感もありますが、基本的には読者の皆さん向けというより(勝手ながら)自分が調べたことの備忘録のようなものなのでご容赦を・・・(!)。
→ <[韓国]民族主義の色濃い伝統的な地理観? <白頭大幹>をめぐって②>
昨年6月、私ヌルボはサークル仲間と計4人ので聞慶方面漫遊の旅に出かけ、聞慶からはバスで店村に出て、そこから店村→栄州→堤川→清州とぐるっと韓国内陸部のローカル線の旅を楽しんできました。
その時は<白頭大幹>のことは言葉さえ知りませんでした。ところが、後になって知ったところでは、その頃「白頭大幹観光列車」という観光列車が運行していたのです。そして、われわれ4人がマッコリを飲みながら「何の変哲もない田舎だな~」とぼんやりと景色を眺めたりしていた栄州~堤川も、その観光列車の路線の一部だったのです。(その時の旅行記録は→コチラ。)
その「白頭大幹観光列車」については、<コネスト>の記事で詳しく説明されています。(→コチラ。)
それによると、運行期間は2013年4月12日~12月31日。
「O-train」と「V-train」の2種類があり、「O-train」は堤川~栄州~太白~堤川の路線を約5時間で1周する循環列車、「V-train」は白頭大幹の峡谷部を往復する峡谷列車で、汾川~鉄岩間を約1時間かけて運行します。
【「O-train」と「V-train」の運行地図。】
この観光列車はなかなかの人気だったようで、「100日間で10万人突破」というニュースが7月<聯合ニュース>等で報じられました。(→コチラ。)
関係の動画もいろいろありますが、次の動画は国土交通部(日本の国土交通省に相当)作成のもので、KORAIL(韓国鉄道公社)及び慶尚北道・忠清北道・江原道の3自治体も名を連ねています。
タイトルが<몸과 마음의 정화, 백두대간 탐방열차 타고 에코힐링여행 떠나요(体と心の浄化、白頭大幹探訪列車に乗ってエコヒーリング旅行に出かけましょう)>。この文言だけでも<白頭大幹>がどんなイメージで宣伝されているかがよくわかります。
では、このような<白頭大幹>のブームはいつ頃から起こったのでしょうか?
これまで見てきたように、90年代登山家の間で注目され、縦走が行われるようになったのが最初です。
雑誌「山(산)」の2003年4月号に<백두대간 종주기 발행 붐 뜨겁게 인다(白頭大幹縦走記ブームが熱い)>という記事がありました。(→コチラ。)
この記事によると、.登山家たちの間に白頭大幹の縦走ブームが続いたのは95年前後から。その中で、とくに1994年7月17日~9月25日の71日間を単独無支援で縦走したキル・チュンイルさんが96年に縦走記「71일간의 백두대간(71日間の白頭大幹)」を刊行。悪条件の中を苦労して縦走した体験とともに準備や所要時間、日程表等の情報や資料も載せたこの本は「しばらくの間、大幹縦走者たちに教科書のような本として人気を集めた」そうです。その後、白頭大幹の全行程を1度に縦走するのでなく、週末等に少しずつ何回、何十回にも分けて縦走を達成する形式もふつうに行われるようになり、またその記録もさまざまなものが書かれるようになりました。中には、行くことのできない北朝鮮部分の白頭大幹を「地図の上で歩く」、つまり仮想山行記まで書かれるようになったとか。
また、この記事の中でやっぱり、と思ったのは「このように絶えず出ている大幹縦走記の共通点は、<大幹を縦走する間に生まれる私たちの国土を愛する心>である」という点です。
この白頭大幹縦走ブームは、日本での「日本百名山ブーム」にも相通じる部分が少しあるかもしれませんが、<愛国心>という要素は韓国らしいところです。
このような白頭大幹縦走記は今ネット上でいくつも読むことができます。
そんな中、2008年の<アジア経済>に「白頭大幹、縦走ブームに毀損深刻」という記事が掲載されました。(→コチラ。) 10年来の縦走ブームや開発等によって白頭大幹の生態系が脅かされているというもの。これまたさもありなん、という内容です。
ところで、白頭大幹という概念が太白山脈等学校教育の中で教えられてきた山脈図を否定するような形で注目されてきたということは、もしかして学問的に問題を生ずることがあるのでは・・・、ということを前の記事で書きましたが、韓国のサイトをいろいろ見てみると、次のような記事が見つかりました。
2005年<ハンギョレ21>の「山地図の激突が始まる」と題した記事です。(→コチラ。)
それによると、国土研究院は地表の指標の高低データと衛星映像などを活用して、3次元映像による新しい朝鮮半島の山脈地図を発表したが、この山脈地図は既存の小•中•高の地理の教科書に掲載されたものと非常に異なっている。新たに描かれた韓半島の山脈は、既存の14の山脈ではなく、48個の山脈を含んでおり、山の位置や外見も差が大きい。この発表の通りなら、韓国の国民は100年近く「事実でない知識」を「騙されて学んだ」ことになる。また、この地図は登山家や在野の学者が支持する「山経表」の山並みの体系と似ている。
一方、これに対して地理学界の反応は冷ややかで、「国土研究院の山並み概念は、自然科学で扱う山脈とは異なる概念である。山地の規模と連続性のほかにも、山脈の生成原因、地質などが山を分ける重要な基準になる」との批判があるということだ。
・・・さて、この対立する2つの概念はどういう形で決着がつけられたのかはよくわかりません。
ただ、山林庁の公式サイト(→コチラ)を見ると、「2つの方式の表記の長短所」という次のような表が載せられています。
区分 | 白頭大幹 | 山脈体系 |
性格 | ○山と川を基礎として山並みを形成 ○山並みは山から山へのみに続く ○地形と一致する自然な線 | ○地下の地質構造線を根拠として土地の上の山を分類 ○山脈線が中間で川によって途切れる |
長所 | ○景観上よく見られる断絶のない分水嶺を中心として河川・山並み等の把握が容易 ○したがって山地利用計画と実践に便利 ○風水地理的韓国の地形と山系の理解に便利 | ○国際慣行に符合している ○山脈形成の原因と関連性が深い |
・・・つまりは、両論併記ということですね。
そして、この<白頭大幹>概念の復活に当初からつきまとっていた要素が近年いよいよ形をとって現われてきたようです。
それは風水思想とか(民族の)<気>といった考え方。
たとえば、2012年11月の「中央日報(日本語版)」の<植民地時代に断絶された「梨花嶺」を復元>という記事(→コチラ)を読んでみてください。
日本語版では白頭山脈と表記されていますが、原文はもちろん白頭大幹です。白頭大幹の一部である聞慶に近い梨花嶺は日本強制占領期の1925年に道路が造成されて脈が途切れたが、87年ぶりに韓国政府が復元に着手して、従来の道路の上にトンネルを造成した、というものです。
また2012年2月の「朝鮮日報」の記事(→日本語)によると、白頭大幹は植民地時代や開発時代に各種の道路工事が行われる過程でおよそ50ヵ所が断ち切られたが、43億6000万ウォンをかけて梨花嶺のトンネル造成を進める他にも、「政府は江陵の大関嶺、聞慶のボル峠、尚州のヌル峠・ピ峠・化寧峠、南原のサチ峠・女院峠など計13ヵ所を2020年までに復元することとした」とのことです。
【梨花嶺。以前は道路によって分断されていた分水嶺(左)が、トンネルが造成されてつながったのです。(右)】
いやあ、これは2ちゃんねらー等々のかっこうのネタになるというか、すでになってますね。
しかし、太白山脈の北の、北朝鮮領内の楸哥嶺(チュカリョン)構造谷という低地帯では鉄道(京元線)がトンネル一つなく敷設されているそうだし、運河も低地帯に沿って突き抜けているというし、そこにも将来的にはトンネルを造って白頭大幹をつなげるという構想なのでしょうか?
・・・白頭大幹について3回にわたり長々と書きました。
12月8日の<★ジュニア向き教養書「大東輿地図」を読む>からだと4回です。
思わぬところから韓国人の伝統的地理観や、その喪失と復活及びその背景等々を知ることとなりました。
例によって細々と書きすぎた感もありますが、基本的には読者の皆さん向けというより(勝手ながら)自分が調べたことの備忘録のようなものなのでご容赦を・・・(!)。
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