今回は、軽めの随筆・エッセイと、教養書19冊です。
(緑色の地の部分も1998年当時のものです。)
☆印はとくに推奨。×印は品切れまたは絶版中の本(多すぎる!) △は絶版・品切れでも単行本なら出ている本。
195 | 團伊玖磨 | パイプのけむり | 朝日文庫 | 195~200=ユーモアとウィットに富むエッセイ。 195の著者は作曲家、196は「お葬式」等で有名な俳優・監督。どちらもちょっとキザだが教科書的随筆の比ではない楽しさ。またいろんなことを教えてくれる。 197はおかしさの中に風刺も効いている。 198は女流作家とその高校生の娘との間の楽しい話あれこれ。抱腹絶倒の親子だ。(その娘も今は母となる。) 199は競馬にまつわる人間模様。文章が実に巧み。競馬場での声援のかけ方にも<形>があるのだと。 200は漫画家の雑文と馬鹿にするなかれ。<ショージ君>シリーズはくだらなさの中にも蘊蓄(うんちく)が来られていてどれも楽しい。これも名文のうち。 201=外国の1コマ漫画の紹介。絶対笑えるヨ。保証します! (星新一のSFよりずっとおもしろい。) 202=ネコと、ネコをめぐる人々の物語風随筆。著者は詩人。 203=庭を歩いているニワトリや野良犬を食っちゃう話など、キョーレツだが、生命や自然について深く考えさせられる。 204=山はいいなあ──と溜め息をつきながら読む本。また三ッ峠山(河口湖からラクに上れる。オススメ!)にでも登って、ボケーッと富士を眺めていたいなあ・・・・。 205~207=音楽家に名文家は多い。 205の著者は著名なヴァイオリニスト。民衆と社会に向ける眼の的確さとその行動力には敬服。(音楽もさることながら、生きた社会の勉強になる。) 206はピアニスト自身が過去のピアニストたちについて記す。大正期のスター久野久のエピソードは痛切極まりない。 207の著者は国際的指揮者。プロでも本番で楽譜をとばして演奏してしまうことがあるんですと・・・・。クラシック・ファン(+ブラバン)の人は寝るのが惜しいくらい夢中になれる本。 208=単なる画集に止まらず、画家や作品の運命、時代背景等も紹介。1枚1枚の絵からいろいろな世界を見せてくれる。 209=浮世絵を緻密に解き明かす。江戸文化の深さに驚く。 210・211=リクツ(抜き?)の楽しさ。クイズ好きの人に。 210は“強弁”と“詭弁”の例がおもしろい。しろうとハンターの会話。「おいっ! おまえ、うちの家内を撃ったな?」「すまん。代わりにあそこにいるうちの奴を撃ってくれ」。 212=楽しく深い遊びの本。だまし絵等、視覚的に楽しめる。 213=甲子園での箕島-星稜の歴史的一戦等の野球や、ボクシング、棒高跳等を扱った感動のスポーツ・ノンフィクション。 |
196 | 伊丹十三 | 女たちよ! | 文春文庫 | |
197 | 井上ひさし | 日本亭主図鑑 | 新潮文庫 | |
198 | 佐藤愛子 | 娘と私の部屋 | 集英社文庫 | |
199 | 岩川隆 | 馬券学入門 | 中公文庫 | |
200 | 東海林さだお | ショージ君の「さあ!なにを食おうかな」 | 文春文庫 | |
☆ 201 | 星新一 | 進化した猿たち | 新潮文庫 | |
202 | 長田(おさだ)弘 | ねこに未来はない | 角川文庫 | |
× 203 | 田島征三 | 土と草と風の絵本 | 新潮文庫 | |
204 | 深田久弥 | 日本百名山 | 新潮文庫 | |
205 | 黒沼ユリ子 | メキシコからの手紙 | 岩波新書 | |
206 | 中村紘子 | ピアニストという蛮族がいる | 文春文庫 | |
207 | 岩城宏之 | 楽譜の風景 | 岩波新書 | |
208 | 世界名画の旅 | 朝日文庫 | ||
× 209 | 高橋克彦 | 浮世絵ミステリー・ゾーン | 講談社文庫 | |
210 | 野崎昭弘 | 詭弁論理学 | 中公新書 | |
211 | 織田正吉 | ジョークとトリック | 講談社現代新書 | |
212 | 岩根巌夫 | 遊びの博物誌 | 朝日文庫 | |
213 | 山際淳司 | スローカーブを、もう一球 | 角川文庫 |
あー、こういうリストというのはハダカをさらけだすようなもので、とてもはずかしい。教師でなけりゃ作ってなかっただろう。これが9度目の改訂版かな。以前、生徒にきかれた。「これ、全部読んだんですか?」 はいはい、この十倍は読みましたよ。そりゃあ風呂場でも読んでるんだから年間3ケタはいく。恋愛小説など読む暇があったら本物の恋愛に熱中する方がずーっといいし、金もうけの話を読むより実際に金がもうかる方がいいに決まっている。アホなもんだね、活字中毒なんてね。疑似体験にしか感動が得られないとすると、それは実生活の貧困の証明かも。 高校生諸君はというと、とくにこの頃は本を読むのはごく少数のオタク族で、大多数はほとんどといっていいくらい読まないそうで、たしかに授業でもそんな印象は受ける。「水滸伝」「知らん」「白鯨」「知らん」「大地」「知らん」「ヴェルヌにウェルズ」「知らん知らん」。今は知らないことが恥ではない時代なのだろうか。だけどねー、それで「私は英文科に進みたいの」などと涼やかに口にしないでおくれ。聞いてる私の方が恥ずかしくなってしまう。このリストのネライは<勉強じゃない読書の魅力>を知ってもらうことだが、本を全然読まない学問というのもないんだからね。 |
「パイプのけむり」の中の、「木の芽時」という表題だったか・・・。ネコは人間の服というものがわかっているのかどうかを確かめるため、ネコの前で服を脱ぎ、裸になって鳴き声の真似なんかしている時に家人(夫人?)が部屋に入ってきて・・・、という話はよく覚えています。他にもいろいろ。
「女たちよ!」では、女性の頭皮が張っていないことや額の骨の彎曲の度合いのこと、全然別の話でスパゲティのゆで方のこと等々も記憶に残っています。
文章の巧みさ、内容のおもしろさはその人の専門とはほとんど関係ないみたいですね。
久野久という女性ピアニストについての中村紘子「ピアニストという蛮族がいる」の記述は、必ずしも公正なものでもなさそうです。(参考→ウィキペディア。)
「スローカーブを、もう一球」をここに置いたのはちょっとしたミスだったかも・・・。
伊丹十三はこの「女たちよ!」と「ヨーロッパ退屈日記」がベストではないかと思います。後になるにつれて岸田秀の精神分析学などの影響が強くなり、キザでありながら洒脱・痛快だった初期の文章がどんどん説教くさくつまらなくなってしまいました。
映画「タンポポ」の冒頭、大友柳太朗から渡辺謙がラーメンの食べ方の伝授をうけている場面は、東海林さだおの「ラーメンをいかに食するか」というエッセイがほぼそのまま使われていましたね。伊丹十三もショージ君ものを愛読していたのではないでしょうか。
中村紘子や岩城宏之の本も斜め読みしましたが、クラシック音楽関連では今後出てくるのかも知れませんが、吉田秀和の評論・随筆や、小澤征爾の自伝や対談、武満徹の文章などを愛読しました。賛否両論ありますが、小林秀雄の「モオツァルト」にも一時期いかれました。
クラシックではありませんが、ジャズ・ピアニストの山下洋輔のエッセイも面白かったですねえ(遅れてきたビートルマニアなのでビートルズ関連の本も腐るほど読みましたが)。
山関連では、私は植村直己の著作や、エッセイではなく小説が中心ですが新田次郎が好きでした。音楽関連でもありますが、天才フルーティストとして期待されながら若くして遭難死した加藤恕彦の「アルプス山嶺に消ゆ」という本も懐かしいです。
エッセイ・随筆ということでは、「父の詫び状」など、向田邦子もいずれ出てくるのでしょうか?
(たとえば「白鳥の湖」中の「情景」の冒頭を聴いて、それがチャイコフスキーの「白鳥の湖」とわかる高校生は、一定のレベル以上の数少ない高校に偏在しているのではと思います。公立校のトップレベルの高校でも決して常識ではありません。中位以下の学校では、作曲家名さえ知らない生徒もふつうにいます。常識テストで「チャイコ・フスキー」と書かれた答案を見ても驚くべきことではありません。)
ここに挙げた本は、吹奏楽部員なら読めそうなので入れました。
山下洋輔のスリリングな演奏は好きで、LPも数枚持っていました。書いたものも好きです。坂田明も同じく。
もっとも40代半ばの私が高校受験をした際、試験問題にかなり難解な武満徹の文章が出たのを今でも覚えています。
おかげでその後、氏の文章に親しむ機会を得ましたが、吉田秀和や小林秀雄の文章そのものは高校生にとっても決して難しいものだとは思いませんが、具体的な作曲家や曲の名前、楽譜などが出てくるため、クラシック音楽好きの生徒以外には訳が分らないかも知れませんね。