キミのまわり、10人中好きな人が何人いる?
高校を卒業する諸君へ
とりあえず、卒業おめでとう! ほとんどが高校に進学した中3の時と違って今度は進学・就職・浪人とか人それぞれだし、生活の場所も変わる人も何人もいるよね。
新しい生活に期待している人も多いだろうし、不安も当然あると思います。そこで皆さんにほぼ共通する話題ということで、人間関係についてちょっと話すことにしました。
最近ぼく自身がふと考えたことがあるんですが、それは自分が属する雑多な集団の中で、気が合う人、ふつうの人、気が合わない人の比率はどれくらいなんだろう?ということ。「雑多な集団」というのは、たとえば学校のクラスや、職場の同僚のことです。
クラスの場合、担任や生徒の顔ぶれによって雰囲気もけっこう違いますが、およそのところで皆さんもちょっと考えてみてください。40人だとめんどうなので仮に10人にしておきましょう。
「気が合う人」と今言いましたが、「好きな人」と言っちゃいますか。そして「ふつうの人」に「好きじゃない人」。順に◯・△・✕と記号にして、それぞれ10人中何人になりますか? あ、皆さん、各自考えた数字は口に出さないでね。
うーんと・・・標準がどんなものか見当がつきませんが、◯が3人、△が6人、✕が1人と仮定しますね。そこでぼくのアタマにひらめいたのは、「この◯△✕の数字は自分自身がまわりからどう見られているかを示している」ということ。つまり、10人中3人に◯をつけた人は10人中3人から好かれているのです。
じっくり考えてみると、これは「自分が好感を持っている相手は、同様に自分に好感を抱いている。逆の場合も同じ」ということが前提になっているので、それなりの誤差はあると思います。しかしおおよそは間違ってないと思いますよ。
ちょっと数学的に見てみますね。A君、B君からJ君まで10人いるとすると、2人ずつのペアは全部で何組になるかな? 順列・組み合わせのとこで習ったね。10×9÷2だから45組だよね。AからFまで10個の点を書いて、それぞれ線で結びます。A君はB君が「○」だとしたら青線にしましょう。この場合B君もA君が「○」というお約束ですよ。同様に「△」は黄色、「×」は赤にして、45本の線を全部引いてみます。3色テキトーに織り交ぜて引いていきますね。
すると10人の中でも青線の多い人、少ない人などがいる全員の状況が視覚的にわかります。
さて、皆さんの感想はどうですか? 「×が8人」と答えた人、もしかしたら内心あせるかもしれません。
もしぼくが幼稚園の先生で、皆さんが園児だったとしたら、「自分から友だちに仲良くすると、友だちも君のことを好きになってくれるよ。みんな仲良くしようね」とでも言うところかもしれない。でも、そんなこと無理でしょ? 大体相性なんて理屈以前のものだし、努力してもどうにもならないし、そもそも努力する必要からしてあるとも思えないしねー。
じゃあ、ぼくがなんでこんな話をしたかというと、ひとつは自分自身を客観的に見る手掛かりになるんじゃないか、ということ。
ところで、つけた○の数がすごく多い人もいるでしょ? 8個以上とか・・・。そういう人はたぶん多くの人から好かれてうらやましがられるかもしれません。だけどね、最近(2021年2月19日)毎日新聞の人生相談を見たらこんなのがありました。高3の女子からの相談です。
人に相談する勇気が出ません。私は優しい人になりたくて友達の相談にたくさん乗ってきました。でも、自分の相談を他の人にした時、それが相手に負担になってしまったら私は優しい人ではなくなってしまいます。また、もし真剣に考えてくれなければ私は自分の短所を打ち明けただけになってしまいます。どうしたら相談できるようになるでしょうか。
うーん、みんなに好かれる人でも悩みがあるんですねー。これに対して、ジェーン・スーさんは次のように回答しています。ちょっと長いけど全文です。
優しい人になりたくて人の相談に乗るのは疲れませんか? 自分の相談が相手の負担になると考えるのは、相談者さんがそう感じたことがあるからではないでしょうか。
誰かに相談することを「短所を打ち明けただけ」にならないかと心配していらっしゃいますが、私はそうは思いません。悩みとは、能力不足の証しではないのです。そのあたりを理解してくれていると思われているから、相談者さんは友人から頼られるのではないでしょうか。あの子なら、弱みを見せても関係性は変わらないでいてくれると。
まず、誰にでも「優しい人であろう」とすることをやめてみてはいかがでしょう。次に、「優しい人」の定義を更新してください。他者に一切迷惑を掛けないひとが「優しい人」ではないと思います。
高校生なら、優しい人でいることが居場所づくりになることも、短所をさらけ出すことが命とりになることもわかります。しかし、このままでは息が詰まってしまう。優しくあるよりも、弱みを見せられる相手を見つけることにシフトチェンジしてください。相談者さんの役に立ちたいと思う友人も、必ず一人はいるはずです。
なるほどなあ。皆から好かれているような人の中にも、問題を抱えている人がいないわけでもないんですね。このジェーン・スーさんにしてもヤマザキマリさんにしても、毎日新聞の人生相談はとても読みごたえがあります。
次に、「自己認識」に続く2つ目の意図は、これから、あるいは近い将来仕事を持って社会に出てからの人間関係についての予備知識として。
学校だと、部活とか、わりと同じような気の合う仲間が集まりやすいですが、会社や役所なんかだとそうもいきません。一部屋に10人足らずの同僚がいるとして、皆が皆○や△の人とも限りません。そういう中でも「ふつうに」つきあっていく。それが大人の人間関係というもので、もし好悪の感情を露わにすることがあったとすれば「大人げないない人」になってしまいます。また×の人であっても、「ふつうに」接してると、その中で仕事上のことでもそれ以外のことでもためになる話が聞けることもあるし、×の評価自体が変わることもあるかもしれません。
そして3つ目、最後に言いたいことです。
先にA君以下10人を3色の線で結んだじゃないですか。あの図だと決定的に抜けているところがあるんですよ。わかりますか? あの図は実は自己認識のためだけじゃないですよね。むしろ相互認識です。自己認識はもちろん自分が自分をどう見るかということですが、肝心なことは自分を集団全体を眺めるところから見つめ直すということです。
ここで皆さんに質問します。自分自身に対しては○△×のどれをつけますか?
自分に×をつけた人。ありきたりの言葉ですが「止まない雨はない」です。どんなにつらい時でも、ただ、いるだけでリッパに「それでいい」のです。すごくつらくて自殺しようと崖の上まで来たとします。そんな危機に立たされたら崖の下をのぞきこんだりしないで、ずっと遠くから崖の上にいる自分を見たらどう見えるか考えてほしいと思います。大空があって広い自然があって、世の中にはたくさんの人がいて、自分はその中のひとつの点ですよ。と考えると自分の悩みなんてあほらしく思えてくるんじゃないかな?
もしかして他の9人に全員×をつけた人はいますか? たぶん9人から×をつけられた人。でも確固たる自己を持っているなら、それはすばらしいことですよ。まわりの人はメイワクでしょうが、ぼくはそういう人の味方でありたいです。隣りの席にそんな人がいて、実際ぼく自身がメイワクしてても・・・。
それに、こんな話をして、最後にこんなことを言うのもヘンかもしれないけど、人が自分をどう見ているかなどということは、自分の仕事とは必ずしも関係するものでもないし、とくに目標、夢といった自分が実現したい生き方とはほとんど関係ないことだと思うよ。
あ、今日も話が長くなっちゃったね。じゃあまた今度、っていつになるのかな?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます