→ <明洞からほど近い、ソウル・南山北麓の歴史記憶エリア ①韓国統監府と、KCIAと、そして・・・>
4月9日の記事の末尾で、2016年8月29日統監官邸跡に新たに造られた「慰安婦記憶の場」(上画像)の除幕式が行われたことを続く記事の予告の意味合いで書きました。
その後10日以上も経ってしまったのは、慰安婦関係という厄介な問題に対して、私ヌルボとしてはどう考えているのかを前提として書いておこうなどと思ったからです。ところが結局長くなりすぎ収拾がつかなくなって断念。で、とりあえずは「いわゆる「反日」でも「嫌韓」でもない」こと、また「どちらに対しても批判点、あるいは疑問に思っていることがいろいろある」ことだけを記しておきます。
さて、「慰安婦記憶の場」ですが、除幕式のニュース記事(聯合ニュース)は→コチラで読めます。
また、準備段階だった2015年11月に早くも青さんがすでにブログ記事(→コチラ)で取り上げているのはさすがです。また2016年6月29日の起工式のことも→コチラで取り上げていますが、そこで「その場所に象徴的な意味を込めることに、どちらかと言えば計画の主眼があるのでしょう」と記しているのは、完成後の説明記事等を見ればまさにその通りです。
この記事の本論は見出しの通りですが、まずこの施設の概容を画像で紹介します。
「世界のへそ」の意味は、上画像の説明を読むまでわかりませんでした。すくなくとも韓国の運動推進団体&個人にはこのようなイメージ(産婦と胎児)があることは注目すべきことだと思います。(後述の本論にも関わる。)
上画像がその「世界のへそ」。韓・英・日・中4ヵ国語で「記憶されない歴史は繰り返される」と刻まれています。
除幕式では、カリグラファー(書芸家)のカン・ビョンイン氏がこのフレーズを大きく書き、参席した人たちがそれを掲げるというパフォーマンスがありました。(右画像) ※カン・ビョンイン氏は、人気の韓国焼酎チャミスルのラベルの字を書いた人です。
この言葉は、「畿湖(キホ)日報」の記事(→コチラ.韓国語)によると2016年「親日人名辞典」に掲載された4389人の行跡を筆写する汎国民運動を始めたソウル市議会が掲げたスローガンでもあります。そして元はというと、アウシュビッツ収容所の前に刻まれた言葉・・・といくつかの韓国記事にあるのをたよりに(かなりテマヒマかけて)探してみると、アウシュビッツ収容所第4棟の入り口に掲げられれているジョージ・サンタヤーナ(1863~1952.アメリカの哲学者)の言葉「The one who does not remember history is bound to live through it again.」であることが判明。(→コチラの記事中の画像参照。) しかし「世界のへそ」の英文は「History not remembered is repeated」だしなー。「世界のへそ」にこの言葉を刻んだ人たちは出典とかにはこだわらないということか。(わかるような気がします。)
※2013年9月の「中央日報」(日本語版)のコラム<アウシュビッツの影=韓国>(→コチラ)「ポーランド語と英語で書かれたジョージ サンタヤーナの警句を見た瞬間、この名言を日本語でも記録しておけばという考えを浮かんだ。」とあるように、いろんなことが相互に結びついているように思えます。
そしてこの部分が「大地の目」。なるほど、目のように見えます。
碑面の左の方には慰安婦被害者247人の名前、中央部分には時期ごとの証言が刻まれています。
そして右の方の絵は何かというと・・・。
金順徳(1921~2004)さんが描いた「連れていかれる」という絵です。右が原画。で、この彼女の手を引っ張っているのは誰だと思いますか? いくつかの記事を比較してみると、「1937年17歳の時、日本の工場で働く女工を募集している朝鮮人の男にだまされ・・・」というのもあれば「職業紹介業者と称する日本人にだまされ」というのもあり、また「日本軍に連れられていく」というのもあります。順番に→コチラの「元慰安婦の証言の信憑性を検証する」と銘打ったブログ記事、次が「しんぶん赤旗」の記事、3つめはソウルの韓国歴史博物館で2014年に開かれた慰安婦特別展の説明文。それにしても、なんと「わかりやすい」のだろう! 「朝鮮人」で、「無理に手を引っ張って、ではない」にしても、だまして本人の意思を無視して非人間的な「仕事場」に押し込めれば十分すぎるほど問題だと思うのに・・・。(個別の「事実」を尊重しないから全体的にウソっぽく見えてしまう、ということを運動団体は考えないのだろうか?)
さて、ここまできてやっと本論です。(ありゃりゃ)
・・・というのが当初の心づもりだったのですが、するとさらに延々と文章が続くし、ここまででもまあなんとか見出しを変えればそれなりにまとまっているかも、と思って方針変更。
このシリーズの続きは(いつになるかわからない)中央情報部関係の記事にして、予定していた本論は続きは別立ての記事にします。
4月9日の記事の末尾で、2016年8月29日統監官邸跡に新たに造られた「慰安婦記憶の場」(上画像)の除幕式が行われたことを続く記事の予告の意味合いで書きました。
その後10日以上も経ってしまったのは、慰安婦関係という厄介な問題に対して、私ヌルボとしてはどう考えているのかを前提として書いておこうなどと思ったからです。ところが結局長くなりすぎ収拾がつかなくなって断念。で、とりあえずは「いわゆる「反日」でも「嫌韓」でもない」こと、また「どちらに対しても批判点、あるいは疑問に思っていることがいろいろある」ことだけを記しておきます。
さて、「慰安婦記憶の場」ですが、除幕式のニュース記事(聯合ニュース)は→コチラで読めます。
また、準備段階だった2015年11月に早くも青さんがすでにブログ記事(→コチラ)で取り上げているのはさすがです。また2016年6月29日の起工式のことも→コチラで取り上げていますが、そこで「その場所に象徴的な意味を込めることに、どちらかと言えば計画の主眼があるのでしょう」と記しているのは、完成後の説明記事等を見ればまさにその通りです。
この記事の本論は見出しの通りですが、まずこの施設の概容を画像で紹介します。
「世界のへそ」の意味は、上画像の説明を読むまでわかりませんでした。すくなくとも韓国の運動推進団体&個人にはこのようなイメージ(産婦と胎児)があることは注目すべきことだと思います。(後述の本論にも関わる。)
この言葉は、「畿湖(キホ)日報」の記事(→コチラ.韓国語)によると2016年「親日人名辞典」に掲載された4389人の行跡を筆写する汎国民運動を始めたソウル市議会が掲げたスローガンでもあります。そして元はというと、アウシュビッツ収容所の前に刻まれた言葉・・・といくつかの韓国記事にあるのをたよりに(かなりテマヒマかけて)探してみると、アウシュビッツ収容所第4棟の入り口に掲げられれているジョージ・サンタヤーナ(1863~1952.アメリカの哲学者)の言葉「The one who does not remember history is bound to live through it again.」であることが判明。(→コチラの記事中の画像参照。) しかし「世界のへそ」の英文は「History not remembered is repeated」だしなー。「世界のへそ」にこの言葉を刻んだ人たちは出典とかにはこだわらないということか。(わかるような気がします。)
※2013年9月の「中央日報」(日本語版)のコラム<アウシュビッツの影=韓国>(→コチラ)「ポーランド語と英語で書かれたジョージ サンタヤーナの警句を見た瞬間、この名言を日本語でも記録しておけばという考えを浮かんだ。」とあるように、いろんなことが相互に結びついているように思えます。
碑面の左の方には慰安婦被害者247人の名前、中央部分には時期ごとの証言が刻まれています。
そして右の方の絵は何かというと・・・。
さて、ここまできてやっと本論です。(ありゃりゃ)
・・・というのが当初の心づもりだったのですが、するとさらに延々と文章が続くし、ここまででもまあなんとか見出しを変えればそれなりにまとまっているかも、と思って方針変更。
このシリーズの続きは(いつになるかわからない)中央情報部関係の記事にして、予定していた本論は続きは別立ての記事にします。
当時の代表的なルートである、長崎経由で上海に行っていますので、証言の信ぴょう性は相当に高いですね。「元慰安婦の証言の信憑性を検証する」のようなクソサイトは、ハナから信用したらダメです。
きちんと元の証言にあたるべきだと思いますが。
早トチリしないでください。私は金順徳さんの証言の真偽自体を問題にしているのではありません。
また私は、「(狭義の)強制連行で無理に引っ張っていかれたのか、騙されて行ったのか」は現在の論議の焦点ではないことは承知しています。また、「騙された」にしても、騙した人物が日本人か朝鮮人かということも論議の本筋とは関係のないことです。
その上で、逆にお聞きしますが、サトぽんさん(「元慰安婦の証言の信憑性を検証する」は「論外」だとして)「しんぶん赤旗」の記事と韓国歴史博物館での説明文はどちらが正しいと思いますか?
また、この絵で金順徳さんの手を引っ張っている人物の絵を描くとすればどんな絵を描きますか?(あるいは、思い描きますか?)
私は、絵を見たり資料等を読んだりする人が自分の主観的想像力で不明な部分を「補完」してしまう事例が多いということを問題にしているのです。
また、この絵について言えば、右側の人物を描かないことによってそんな「主観的な補完」の余地を広げていること。これは決して金順徳さんに対する批判・非難ではありません。実際に「手を引っ張られ」て連れて行かれたのではなく、象徴的なイメージとして描かれたとしてもそれは咎めだてされることでもありません。
ただ、慰安婦論議では、「思い込み」の度合いの強い人ほど主張する声が大きいという傾向が顕著に見られます。この絵の場合、そうした「思い込み」を助長する余地が大きい、という問題があるということです。
私は非常に大まかに言えば「戦時中の慰安所には大きな問題があった」という見方をしています。いくら「当時は普通の施設だった」等々と100%是認できるものではありません。したがって、どちらの側にも「思い込み」があるからといって「どっちもどっち」と問題自体を霧消させようというものでは決してありません。
話は飛びますが、最近読んだ「満州安寧飯店」という実録的小説の中に次のような記述がありました。
軍隊のあるところ、ピー屋(女郎屋)があり、便利屋と呼ばれた男たちがいた。男たちは貧しい農村を回っては娘を買い漁り、普通の商人を装って、「満州では旅館や料理屋で人でが不足しており、二、三年も働けば大金が稼げる」などの甘言で女を連れて来て遊郭に売り飛ばした。「女工募集」の名前に釣られて、満州にやってきて、軍隊専門のピー屋に売られた女たちも、少ない数ではなかった。
最下層のピー屋で働く女の多くは、朝鮮人や地元の女たちだが、三分の一程度の日本の女がいた。朝鮮の女たちも、また日本の女と同じような手段、いやそれ以上に卑劣な手段によって拉致されて来た。
この文章にあるように、当時のピー屋で働いていた女性の出自はさまざまです。
では今の「慰安婦論議」で、補償や謝罪の対象とされるべき女性はどんな人たちなのでしょうか? 日本人や、(どんな事情があっても)自発的な売春婦は除外? 軍の慰安所ではない民間の売春宿はとりあえず関係ない?
戦時の性暴行被害ということで言えば、中国で日本軍に殺された多くの中国人女性がいた一方、この本でも旧満州に押し寄せてきたロシア人兵士に数多くの日本人女性(一部朝鮮人女性も含む)も暴行されたり殺されたりしています。
こんなに多様な戦時悲惨な目にあった女性たちの間に「線を引く」発想は私にはできません。
運動体の一部には「元慰安婦のハルモニを「売春婦」というのは侮辱だ!」というような「売春」という仕事のみならずその女性をも人間としてあからさまに蔑視しているような人もいるのは何なんだ!?と思います。
以前の記事のコメント欄でも書きましたが、私は「慰安婦問題の論議」には熱くなれません。しかし、「なぜ熱くなれないか?」については「熱く語れる」かも。上述のもろもろはその一端です。いずれ記事にするかも・・・。
ということで今回はここまでにしておきますが、サトぽんに対する要望を1つ。
「元慰安婦の証言の信憑性を検証する」のようなクソサイトは、ハナから信用したらダメです」というだけでは「はい、信用しません」ということにはならないのは私だけではありません。その根拠を少しでも提示してほしいと思います。なお、私はどんなサイトでも100%信じたり、逆に全否定したりはしないような姿勢で読んでいます。
最後にもう1つ質問します。「現実」に、「人権」それも「生存権」の危機に直面している人が多数いる北朝鮮の人権問題よりも、慰安婦問題に大きな関心を寄せる理由は何ですか?
とりあえずここから。
>「満州安寧飯店」
私も読んでますが、岡田和裕氏は実際に慰安所のことを知ってるわけではありません。なぜ、
>この文章にあるように、当時のピー屋で働いていた女性の出自はさまざまです。
と断言できるのか。なぜ、数ある「証言」本の中から岡田氏の本をピックアップしたのか、全く分かりませんね。
>最後にもう1つ質問します。「現実」に、「人権」それも「生存権」の危機に直面している人が多数いる北朝鮮の人権問題よりも、慰安婦問題に大きな関心を寄せる理由は何ですか?
関心がないことはないですよ。私、学生の時から石丸さん知ってますもん。というか、なぜ、そう決めつけるんですかね。と、ここらへんはお答えいただかなくても結構ですがね。
数ある本・資料は文字通りたくさんあります。たまたま手許にあった最近読んだ本の中からピックアップしただけです。(サトぽんさんは彼女たちの出自が「さまざまではない」と理解しているのですか?)
>なぜ、そう決めつけるんですかね
これはサトぽんさん個人に対する質問というよりも、慰安婦問題に取り組んでいる運動団体をはじめとするこの問題に熱い関心を持ってとりくんでいる皆さん全体に対する問いかけというのが正直なところです。また、メディアの取り上げ方も「慰安婦問題>>>北朝鮮人権問題」と大きな差があるし・・・。
サトぽんさんが関心をお持ちなら、的外れの質問でしたね。(ただ、ポイントは「北朝鮮の人権問題「よりも」・・・」という所にあるのですが・・・。)
>嘘臭いことを書かないでください。
具体的にどの部分かを示してください。
>たまたま手許にあった最近読んだ本の中からピックアップしただけです。
これが分かりませんね。「手許にあった最近読んだ本」に、まともなことが書かれているかは全くの別問題ですね。自分の先入観を補強してくれる本だから、引用したということでしょう。
私も岡田さんの本からの引用を、サイトで使っていますが、満州の慰安所のことなんか、岡田さん、ほとんど何も知りませんよ。
http://satophone.wpblog.jp/?page_id=1414
>ただ、ポイントは「北朝鮮の人権問題「よりも」・・・」という所にあるのですが・・・。
これはナンセンスですね。北朝鮮の人権問題よりも、慰安婦問題に関心があるのは、極めて普通でしょう。シリアの人権問題同様、基本的に他国の問題です。そりゃイカン「関心」を持つ以上の具体的な行動をしろと言われたら、これはなんともお答えのしようがありませんね。だが、慰安婦問題については、私には明確にできることがある。朝鮮人「慰安婦」女性の、「出自はいろいろ」と言う明白な憶説を叩き潰すことです。
>具体的にどの部分かを示してください。
これはまた続きで。
「普通」であろうがなかろうが、私は北朝鮮の人権問題も、そしてシリアの人権問題も今まさにそこにある喫緊の問題だと思います。この辺りは「価値観の相違」なのでどちらが正しいというものでもないので、論議してもしょうがないことですが。
同様の観点から、「過去、性奴隷の状況にあった」人よりも「現在、性奴隷の状況にある人」を救済することの方がはるかに重要なことだと思います。それが世界のどこであっても。(日本と韓国が、今の慰安婦論議と並行して「世界の性奴隷をなくそう」キャンペーンをやればいいのに、と夢想したり・・・。)
>私には明確にできることがある。朝鮮人「慰安婦」女性の、「出自はいろいろ」と言う明白な憶説を叩き潰すことです。
「明白な憶説」かどうかは別として、正確な史実を追求することはとても意義のあることだと思います。(リンク先のサトぽんさんのサイトにある書資料は興味深いものが多く、これまでしばしば読んだりしてきました。)
なお、ちょっと確認ですが、私は慰安婦を2万~数十万人(?)という総体をまず念頭において見ています。私が「出自はさまざま」というのは、日本人も含めてその人たち皆のことです。サトぽんさんは、その中の数万~数十万人(?)の朝鮮人「慰安婦」女性についての出自のことを言っているのですね?
慰安婦全体、あるいは朝鮮人慰安婦全体の数から見ると、慰安婦追悼公園記念碑に名前が刻まれた247人はそのごく一部であり、また存命者はその一部で、ナヌムの家にいる人はごくごく一部です。ごく一部だからと言って無視していいということではなく、同じような関心を元慰安婦として名乗りを上げなかった人、あるいは戦時中の亡くなった人、そして日本人の職業的売春婦等も含めて尊重し考える視点が必要、というのが私の意見です。
いかんともしがたい慰安婦問題全否定論者のことを考えると、サトぽんさんの立場は私とかなり近いと思っていたし、今でも思っているのですが、それでもずいぶん認識の隔たりがあるものです。それをある程度自覚していたことも論議に加わろうと思わない(というより、論議しようにも最初からかみあわない)理由です。
私としては、サトぽんさんとは互いの相違点を確認した上で早めに終わりにしたいのですが・・・。(申し訳ないのですが、内容のことよりも、精神的にすごく疲れるのです。)
元「慰安婦」女性の証言を、軽視する人間が、「現在、性奴隷の状況にある人」を救済しようとする気があるとはとても思えませんがね。集団レイプやスカトロと呼ばれるジャンルのAVに出演している女性の大半は、知的な障害を持っている人たちだと言います。「性犯罪」の犠牲になるのは、その時代の弱者たちであり、まさに、戦時中の朝鮮人女性たちがそれにあたります。彼女らは軍のヒエラルキーの最下層に存在しました。
>ごく一部だからと言って無視していいということではなく、同じような関心を元慰安婦として名乗りを上げなかった人、あるいは戦時中の亡くなった人、そして日本人の職業的売春婦等も含めて尊重し考える視点が必要、というのが私の意見です。
まったく分かりません。そんな難しいこと考えたこともないです。朝鮮人慰安婦の大半は、誘拐及び強制連行によって連れて行かれたまぎれもない犯罪被害者であり、それについて、日本は明白に責任をとる必要があると、私は考えています。ちょっと前の発言を引きましょう。
>私は非常に大まかに言えば「戦時中の慰安所には大きな問題があった」という見方をしています。いくら「当時は普通の施設だった」等々と100%是認できるものではありません。したがって、どちらの側にも「思い込み」があるからといって「どっちもどっち」と問題自体を霧消させようというものでは決してありません。
普通の施設なんぞであるわけがないでしょう。慰安所は軍が兵士の性欲処理のために設置した施設です(永井和)。この文章を読んで、秦郁彦の「慰安所=文部省の食堂説」を思い出して、ビックリしてしまいましたがね。
>申し訳ないのですが、内容のことよりも、精神的にすごく疲れるのです。
植村隆さんは、気弱なことを言うと、奥さんに慰安婦女性に比べれば、あんたの苦労なんかなんでもないと言われるそうです。
もう少し頑張って下さい。私の方はまだまだあります。なんだったら、応援呼んできても構いませんよ。
「精神的に疲れる」理由の1つは、サトぽんさんの誤読にあります。
>元「慰安婦」女性の証言を、軽視する人間が、・・・
私は全然軽視していません! この大きな誤解には正直なところ腹立たしさを覚えます。どの部分が「軽視」と受け取られるのでしょうか?
もしかするとサトぽんさんは人間として信頼することと、その証言が真実であることを同一視してはいませんか? 人の記憶は時を経たり、あるいは周囲の雰囲気によって変わることは(自分のことをとっても)ありうることです。証言をきちんと聞いた上で、その裏付け調査をするというのは基本的なことは言うまでもないことです。
※サトぽんさんは最初の質問の中の①「元慰安婦の証言の信憑性を検証する」 ②「しんぶん赤旗」 ③韓国歴史博物館での説明文 のどれが正しいと思いますか? という問いにまだ答えてくれていません。
繰り返しますが、これは金順徳さんという方に対する不信では決してなく、彼女の証言を我田引水的に安易に利用する人たちがいることにたいする疑問です。
こういう人たちこそ彼女たちの証言を軽視し、歴史の事実を軽視しているのではないですか!?
>集団レイプやスカトロと呼ばれるジャンルのAVに出演している女性の大半は、知的な障害を持っている人たちだと言います。
私はこうしたことがどれほど事実であるのかわかりません。しかし私の「思い込み」や「決めつけ」を批判するからには、ちゃんとした根拠があるということなのでしょうか?(←自分でも「あげあしとり」的ないいがかりかな?という感もありますが・・・。)
>普通の施設なんぞであるわけがないでしょう。
誤読しないでください(その2)
「普通の施設だった」と言ったりしているのは私ではありません!
※どうもサトぽんさんは「かくあるべき規範」といった意味の「普通」と、単に「一般的によくある」といった意味の「普通」を厳密に区分しないで使っているように思われますが・・・。
>まったく分かりません。そんな難しいこと考えたこともないです。
私は考えています。わかりやすい例かどうかわかりませんが、サトぽんさんは映画「日本春歌考」の中で歌われている「満鉄小唄」をご存じのことと思います。
雨のショポショポ降るパン(晩)に カラス(硝子)のマト(窓)からのそいてる 満鉄の金ポタンのパカヤロー
・・・という歌詞からわかるように朝鮮人の売春婦で、満鉄の社員相手、ということは軍の慰安所ではなく民間の売春宿でしょうか。(公娼施設かもしれませんね。)
日本の国・軍隊が間接的にであっても関与していれば謝罪や補償の対象となると私は思いますが、この歌の女性の場合はそのように線引きすると外れてしまうのではないですか? 国による補償とは「そういうもの」でしょうが、女性の人権問題として考える時、そのような「線引き」から外れてしまう人を無視してはいけないと思います。
>植村隆さんは、気弱なことを言うと、奥さんに慰安婦女性に比べれば、あんたの苦労なんかなんでもないと言われるそうです。
植村さんは「当事者」なので、がんばらざるをえない理由があります。しかし私は当事者ではありません。が、極力誠実に答えたいと思います。
それにしても、誤読された部分以外に、私の文章のどこを問題にされているのか、いまだにわかりません。これも疲れる大きな理由です。
聞かれてませんからね。話ぽんぽん飛びますし。
>いくつかの記事を比較してみると、「1937年17歳の時、日本の工場で働く女工を募集している朝鮮人の男にだまされ・・・」というのもあれば「職業紹介業者と称する日本人にだまされ」というのもあり、また「日本軍に連れられていく」というのもあります。
李順徳さんの証言は一貫してますよ。騙されて長崎まで連れて来られた。そのあと、軍用船で上海に連行された。基本線はどれも変わりませんよね。そもそも、このクソサイトは、彼女たちの証言が「コロコロ変わる」ということを宣伝するために書かれています。正直、こんなとこ見てブログ書く神経が分かりません。
軍の管理下に入ったら、もう逃げられません。長崎から連れていかれているわけだから、これは強制連行以外の何物でもないでしょう。軍が知らずに女性を船に乗せるなどということはあり得ません。彼女の例を「強制連行」の例だと言う人がいても、全く問題ないと思いますね。別の言葉でいえば、軍と業者がグルになった上での「誘拐」です。
彼女の証言がウソかというと言うと、これはありません。1937年のことですから、第二次上海事変で、軍の慰安所が中支に続々と作られたころのことだからです。サイトでは省略されていますが、公文書で分かることと、彼女の証言は非常に細部まで一致します。一旦、長崎に連行されたというのがミソです。彼女の乗せられた船は数隻の輸送船団のうちのひとつで、日本からの「慰安婦」移送が、民間の連絡船に移行する前の話ですね。朝鮮から直接に船で上海に送られた例は、私が知る限り、被害者の証言例はありません。李順徳さん移行は、ほとんどすべて華北まわりで鉄道で中国に移送されることになります。
彼女のあと、南京に朴永心さん、武昌に宋神道さんが連行されていますが、いずれも中支の日中戦争初期の慰安所の例、軍が業者を使って「慰安婦」を集めるだけで済んでいたころの話ですね。
この方たちの証言、まともに読んだことありますか?。
すると、「誤読」部分しか残らないわけですね?
「話ぽんぽん飛びます」については、私に責任があります。この問題に熱心に取り組んでいる人にこの際いろいろ訊いてみたかったので・・・。
>李順徳さんの証言は一貫してますよ。騙されて長崎まで連れて来られた。そのあと、軍用船で上海に・・・
私は、長崎、上海云々は承知していますよ。そのことは最初から書いていません。「誰が」連れて行ったのかが違っていることだけを問題にしているのです。李順徳さんの証言は一貫しているかどうかの問題ではありません。
最初のレス冒頭に「早トチリしないでください。私は金順徳さんの証言の真偽自体を問題にしているのではありません。」と書きました。同じことを何度繰り返さなければならないのですか?
>この方たちの証言、まともに読んだことありますか?。
「まともに」の意味が気になりますが、数多く、というレベルではないにしても読みました。
絵のことは土井敏邦監督のドキュメンタリー『記憶と生きる』で観て知っていました。
>「元慰安婦の証言の信憑性を検証する」のようなクソサイトは、ハナから信用したらダメです。
・・・そのサイトのことを書いたのが問題というのでしょうか?
「ハナから信用したらダメです」とのことですが、私は「「元慰安婦の証言の信憑性を検証する」と銘打ったぶログ記事」と、距離感を持たせた表現にしました。もしかして、私自身が信用していると思ったのですか? としたら、それも誤読です。
なお、いきなり「クソサイト」とか「ハナから信用したらダメです」などと書くと、「そうですか。どうも御親切に」とはならず、「この人(サトぽんさん)何?」と訝しがられると思います。(以前犬鍋さんに「まず結論ありきの人」と書かれたりしたのはそのあたりのことでしょう。) 信用できない具体例をまず挙げる方がいいですよ。「嘘臭いことを書かないでください」も同様。「〇〇の部分は事実と違うので訂正(削除)してください」ですんなり済むところ、わざわざ反発を買いに行っているようなものです。
元「慰安婦」女性の証言を、重視する皆さんなら当然、「現在」中国東北地方で性奴隷的状況に置かれている多くの脱北女性のことにも強い関心を持っているのかと思ったらそんな意見等を見ないのはなぜなのでしょうね? 考え方の相違とはいえ、先の「基本的に他国の問題」というお答えは大変残念に思いました。
「現在、性奴隷の状況にある人」を救済しようとする気があるとはとても思えませんがね。」というところを見ると、休載しようとする気はおありなのですね?
そもそも、最初の誤読に基づく質問がコトのすべてだったように思います。
その後のやりとりもすれ違いばかり目立つし・・・。
サトぽんさんのサイトの膨大な資料集は大変有意義で、興味深いものが多々あります。(全部読んだわけではありませんが・・・。)
ごくごく一般論ですが、そこからどういうことを導き出すか?がむずかしいですね。
「朝鮮人「慰安婦」女性の、「出自はいろいろ」と言う明白な憶説を叩き潰すことです」という目的が達せられるか、私も注目しています。
また、未読の証言集も読んでみることにします。
私はとくに返信を希望していません。やっぱり疲れるばかりです。