ダンポポの種

備忘録です

おしぼり

2018年05月08日 23時08分20秒 | 近鉄特急


久しぶりに、近鉄特急に乗りました
紙おしぼりを、もらってきた。(→紙おしぼりは、特急車内の洗面所に準備されています)

細かいところだけど、いま、おしぼり袋の印刷は〝運転開始70周年〟デザインなのですね。
近鉄特急の車両ラインナップ(イラスト)がプリントされていますが、よく見たら、ビスタカーが描かれてない
今さらですが、時代の移り変わりを感じました。



この塗装色は、いずれ見納めに(?)

2015年11月15日 21時48分50秒 | 近鉄特急


今後、近鉄特急が〝イメージ・チェンジ〟するらしい
おなじみの、オレンジと紺色のツートン・カラーをやめて、新しいデザイン(車体塗装)に生まれ変わるそう。
見た目の印象だけでなく、これからの近鉄特急の在り方について 同社内でよくよく検討されたうえで、特急サービスの向上が目指されるみたい。
11月12日付にて、近鉄電車のホームページに情報が出ています。

この話題については、また後日、当ブログでも取り上げたいと思います。

◇          ◇          ◇

明日から、青年部会の「おはなし会」本番が始まるので、そちらに気持ち集中して、頑張りたいと思います。




乗り初め(?)

2014年01月12日 23時09分00秒 | 近鉄特急
昨日(1月11日)のことですが…、土曜日にも関わらずポカッと時間が空いたので、ふら~っと、乗りに出かけてきました。(なんだそりゃ…
新年を迎えての〝乗り初め〟っていう感じかな(←だから、なんだそりゃ…って

ふら~っと出かけただけやし、行き先もそんなに格別ではなくて (…と言ったら失礼かもしれないが)、おなじみの名古屋へ…、行ってきました。
電車に揺られて、京都から名古屋まで〝行って帰ってきた〟だけ
新幹線「こだま号」で行って、近鉄特急(名阪乙&京伊リレー)で帰ってきました。ただそれだけ!
なお、今回は、道中で画像を撮っておりません。あしからず…。

未乗線区走破の取り組みも続けたいし、今年もまた、スケジュールの空きを見つけて、各地の鉄道に乗りに出かけたいと思います


◎おまけ画像


↑きのう私が乗車した『近鉄名古屋→京都』の近鉄特急券。 (←京都は〝近鉄京都〟って呼ばないのです。不思議でしょう
 名古屋から京都までの特急料金は1850円。別途、乗車券が2520円です。∴乗車券+特急券=4370円。
 ちなみに、東海道新幹線ならば、名古屋~京都の乗車券2520円、自由席特急券2410円、合計4930円です。
 というわけで、『京都-名古屋間は、近鉄特急で行くほうが、片道につき560円安い』と結論。
 (京都~名古屋間の普通運賃って、新幹線と近鉄線と、奇しくも同額なんやねー

 言うまでもなく、所要時間では新幹線が断然速い(所要時間短い)けれどね…
 近鉄特急の所要時間は、上の券面記載にあるように「名古屋14時30分発→京都17時20分着」です。所要2時間50分…
 確かに時間はかかるけれど、名古屋線~大阪線~橿原線~京都線と、沿線の車窓風景を満喫できますぞっ



↑昨日、道中で写した数少ない写真画像。
 大和八木にて。名阪特急から京都ゆきに乗り換えるときに撮りました。
 名古屋から乗ってきた名阪乙(左の列車)と、対向の鳥羽ゆき特急(右の列車。伊勢志摩ライナー)です。



↑私も、大和八木からは、賢島発の京都ゆき<伊勢志摩ライナー>に乗り継ぎました。



きょうは写しただけ…

2013年10月06日 18時58分55秒 | 近鉄特急
特急色に戻された 18400系 を見た


↑今朝9時34分ごろ、近鉄京都線の宮津~狛田間で撮影。18400系2両編成が賢島を目指して通り過ぎていきました。
 (なんで、こっちサイドから撮るんだ~ 車体側面が陰ですなー

本日運転された、『懐かしの18400系、特急色復刻塗装・京伊復活運転!』の団体貸し切り列車(ツアー)です。
事前に申し込みをした人だけが乗れる、という列車ですね。
私は、ツアーの参加募集があったことにさえ気付いていなかったという…。(←それでも、近鉄沿線に暮らす鉄道ファンかって
そんなわけで、今日は、線路沿いから18400系を写してみただけ~

来月11月にも、18400系を用いた団体貸し切り(イベント列車)が予定されているようです。
私もスケジュールが合えば、最後にいっぺん乗っておこうか…と思うねんけれど、実際、ちょっと日程が合いそうにない感じ



18400系、最後の秋

2013年10月04日 21時06分40秒 | 近鉄特急
近鉄18400系車両(ミニ・スナックカー)が、この秋をもって引退するのだそうです。(あっ 鉄道ファンの皆さんなら先刻ご承知か

最後の花道を飾るということで、今後10月から11月末にかけて、現存する18400系車両を用いた〝さよなら運転〟(特別運行)が何度か行われるみたい。
一度きりじゃなく、何度か行われる…とは、なかなか入念なお別れイベントですな。

18400系は、特急運用を離脱した後、2両編成1本だけが団体車両「あおぞらⅡ」仕様に改装され、今日まで活躍を続けていました。
今回のお別れイベント(さよなら運転)に際して、再び車体塗装が改められ、もとの特急色(オレンジと紺色)に戻されるのだそう。
今年11月末日で、引退だそうです。

詳しいことは、近畿日本鉄道のページを見てください。(←当ブログ画面の左サイドにある、ブックマーク欄に登録してあるよ



↑再掲。1988年か89年に写したもの。興戸→新田辺間の〝新田辺カーブ〟(ブログ内呼称)で写しました。
 私が自分で写した18400系の写真画像は、これ一枚しかありません。


◎参考 (…になるかどうか分からんけど
当ブログ2008年6月7日付『ミニ・スナックカー』の記事



新しい顔です

2009年04月08日 18時58分29秒 | 近鉄特急
この4月から登場した、近鉄特急の新型形式「22600系」を初めて見ました。

これからだんだんと編成数(車両数)は増えていくのでしょうが、
現在はまだ数が少ないので、頻繁には目撃できません。


↓きのう(7日)、新田辺駅ホームから撮影したものです。


↑近鉄特急の新型車両22600系。4月1日に営業デビューしたばかり。
 車両愛称は「ACE」。(エースと読む)
 正面左右の窓まわりが黒色で塗られているのが特徴です。
 窓を含めた黒色の部分を〝左右の眼〟に見立てると、オレンジ色とのコントラストは「スズメバチの顔みたい」と、
 すでに鉄道ファンの間でも話題(?)になっています。
 

画像の列車は、賢島12時05分発の京都ゆき特急。(京都には14時57分着)
新田辺駅を通過するのは14時40分ごろ。

22600系が、どういう車両運用で使われているのかは知りませんが、
この前日の同時刻の列車にも22600系が使われているのを私は目撃したので、
きのうは〝ダメもと〟でカメラを持って出かけてみた次第です。

『これでもし、サニーカーとかが走ってきたら…、いよいよわしは間抜けなおっさんだぞ…!』
と、ちょっと緊張しましたね。

22600系が走って来てくれて、良かったです。



ビスタカーⅢ世 (昭和53年)

2008年11月23日 20時58分49秒 | 近鉄特急
『ビスタカーⅢ世』(三代目ビスタカー)

車両系式:30000系
登場初年:昭和53年(1978年)
製造両数:60両(4連×15本)
※昭和54年「ブルーリボン賞」受賞車両(近鉄第5号)
※平成8年(1996年)以降、車両更新により全編成が『ビスタEX』に改造された。



↑30000系ビスタカー。ビスタEXになる前の姿です。1988年か89年に撮影。京都線の木津川鉄橋にて。



↑これも、ビスタEXに改造される前の30000系。
 同じく1989年ごろに撮影したもの…だと記憶しています。今里駅にて。
 名古屋ゆきノンストップに運用されているところです。



 昭和34年に登場した10100系「新ビスタカー」は、近鉄特急のシンボルとして約20年間にわたって活躍を続けたのち、全ての車両が引退していきました。同世代に当たる10400系や11400系の「エースカー」系列は車両更新を受けてその後も活躍を続けましたから、10100系は引き際が良すぎた感じもします。

◇        ◇        ◇

 10100系の引退を受けて、昭和53年(1978年)に30000系「ビスタカーⅢ世」が登場しました。初代10000系から二代目10100系へ受け継がれてきた〝二階建ての近鉄特急〟という流れを継承した、三代目ビスタカーです。
 先代ビスタカーの10100系は3両編成で1単位でしたが、30000系は4両編成で1単位を成し、中間の2両が二階建てという迫力のある編成になりました。乗客に人気のあった「階上席(二階席)」の座席数を十分確保できるように設計が工夫されたのが特徴です。

 先代の10100系は「名阪特急」での運用を目的として造られましたが、その後、東海道新幹線の開業があって、近鉄特急を取り巻く環境は大きく変化しました。
 そうした事情を踏まえ、30000系は「伊勢志摩方面への特急」(観光輸送)を主たる用途として開発・製造されたそうです。
 二階建て車両を2両連結して階上席の定員を十分に確保した構造は、観光輸送をメインに据えた30000系ならではの持ち味と言えますし、10100系をリニューアルすることなくパッと30000系に置き換えた背景には、そうした経営上の判断があったのだろうと思われます。

 30000系「ビスタカーⅢ世」は、デビューした翌年(昭和54年)にブルーリボン賞を受けました。前年に12400系(サニーカー)で受賞したのに続いて、近鉄電車としては2年連続5度目の受賞となりました。

 二階建てを組み込んだ30000系には、当然ながら『ビスタカー』の愛称が付与されたわけですが、〝新型〟の意味を込めた「新ビスタカー」という呼び名はすでに10100系で使用済みなので、30000系については「ビスタカーⅢ世」と呼ぶのが一般的です。

◇      ◇      ◇

 月日が経つのは早いもので、今年(2008年)は30000系のデビュー30周年に当たります。
 現在も30000系は元気に活躍を続けています。
 
 平成8年(1996年)から30000系の車体更新が進められて、二階建て車両を中心に外装・内装の大規模なリニューアルが行われました。これを機に、車両愛称も「ビスタEX」(びすた・えっくす)に改められました。現在、30000系は全ての車両が「ビスタEX」化されており、デビュー当時の原型スタイルで走っている30000系は存在しません。


 私も今までに、30000系には何度となく乗車しています。

 初めて乗ったのは20年以上前のことになりますが、中学1年生の冬でした。時刻表でちゃんと調べて行って、〝ビスタ狙い〟で大和西大寺~鳥羽間をひとりで往復したものです。行きも帰りも「2階席・窓側」の指名買いで…。
 真冬の鳥羽へ行ったわけですが、行きも帰りも車内は込んでいて、満席に近い状況だったと記憶しています。外は寒いのに2階席の客室は妙に暖かかった…ように覚えています。
 
 中学を卒業した春休みには、同級生のドラ(ニックネームです)と伊勢志摩へ旅行し、宇治山田→賢島間で30000系の「階下席(1階席)」に陣取った思い出があります。
 
 また、高校時代の夏休み、「遊レールパス」(近鉄全線乗り放題の切符)で乗りまくったとき、賢島発→京都ゆきの最長距離特急(所要時間は3時間ちょうど)に全区間乗車したのですが、このときの車両も30000系でした。
 このときは二階建て車両ではなく、先頭の普通床(平床)の車両に乗りました。
「二階建てもいいけど、普通床のほうが天井も高いし、ゆったりしている気がするな…」
とか、生意気(?)なことを考えるようになった頃でした。
 特急券を買うとき、先頭車両の座席が取れるように「禁煙席」を注文したのを覚えています。(当時は、先頭の1号車が禁煙車で、ほかの車両は喫煙車でした。現在は、その逆になっています)

 昨年の夏は、吉野まで往復したときに、橿原神宮前→大和西大寺間で短距離乗車しました。このブログにも書いております。



↑ビスタEXになった30000系。新祝園付近にて。



↑ビスタEX。橿原神宮前駅にて、平成19年(2007年)8月撮影。再掲です。


〔画像追加〕

↑ビスタEX。近鉄奈良駅にて。(2009年2月撮影)



↑ビスタEX。車体に描かれている、パルケのキャラクター・イラスト。(2009年2月、東花園駅にて。回送にて同駅停車中のところを撮影)



↑新大宮駅にて。奈良発→難波ゆきに使用中のビスタEX。2009年2月28日(土)撮影。



↑大和西大寺駅にて。京都発→橿原神宮前ゆきのビスタEX。
 「吉野連絡」のミニ・プレート付き。



↑平成21年(2009年)6月、新田辺~興戸間にて撮影。



↑平成21年(2009年)8月3日、大和西大寺~新大宮間にて撮影。平城宮跡を行くビスタEX。



↑平成21年(2009年)8月3日、大和西大寺~新大宮間にて撮影。



↑平成21年(2009年)11月3日、大和西大寺駅にて。



↑平成21年(2009年)11月3日、大和西大寺駅にて。



↑平成22年(2010年)1月11日(月曜祝日)、新田辺~興戸間にて。



↑平成22年(2010年)1月11日(月曜祝日)、新田辺~興戸間にて。



↑平成22年(2010年)1月14日(木)、新田辺~興戸間にて。



↑平成22年2月13日(土)、菖蒲池駅にて。昼間の奈良線特急に運用中。



↑平成22年2月13日(土)、大和八木駅⑥番ホームにて。橿原神宮前始発→京都ゆき。



↑平成22年(2010年)2月28日(日)、松阪駅にて。
 前日に発生したチリ大地震による津波警報の影響で、この日は鳥羽線の一部と志摩線が急遽運休になりました。
 鳥羽・賢島方面への特急列車も「五十鈴川ゆき」として運行された一日でした。



↑先頭車両(普通床)の客室内。平成22年(2010年)6月22日(火)撮影。



↑京都ゆき。平成22年(2010年)10月6日(水)撮影。新田辺~興戸間にて。



↑平成24年3月24日(土)。丹波橋にて、対向の急行電車と顔を揃える。
 京都→橿原神宮前ゆき(吉野連絡)に運用中のビスタEX。
 この画像では大変見づらいけれど、行き先表示は電光式に改造されている。二行表示で、「橿原神宮前」「吉野連絡」と表示。



↑平成24年3月24日(土)、上の画像と同じ列車。
 丹波橋を発車していくところを後打ち。
 後寄りに22000系2両を従えて、ここから先、大和西大寺まではノンストップで走る。



↑平成26年4月27日(日)。
 名阪乙運用で、大和八木に停車しているところ。



↑平成26年4月27日(日)、鳥羽にて。
 阪伊乙、大阪上本町→鳥羽ゆき運用。 終点・鳥羽へ到着するところを写しました。



↑平成27年10月31日(土)、京都にて。



↑平成28年1月8日(金)、五十鈴川にて。 2250系復刻塗装の5200系と並ぶ。
 阪伊乙、大阪上本町→鳥羽ゆきに運用中。(宇治山田~鳥羽間、延長運転)



↑同上。



↑同上。



↑平成28年1月8日(金)、鳥羽にて。
 名伊乙、賢島ゆきに運用中のビスタEXが到着するところ。



↑同上。
 続行してくる大阪上本町からの特急列車と接続をとるため、ビスタEXは3分ほど鳥羽に停車。



↑同上。
 ホーム向かいに、鳥羽終着となる阪伊乙特急(大阪上本町からの列車)が入りました。
 阪伊乙からの乗り継ぎ客を引き受けて、ビスタEXは賢島へと向かいます。



↑平成29年3月2日(木)、京都線の木津川鉄橋にて。
 ちょっと小さく写しすぎたな  京都発、橿原神宮前ゆき。



↑平成29年(2017年)9月27日(水)、京都にて。新しい塗装。



↑同上。 二階建て車両。新しい塗装。



↑同上。 この特急列車に実際に乗車しました。その特急券。



↑平成30年(2018年)1月16日(火)、奈良→京都間で二階建て車両 階上席に乗車しました。
 これは近鉄奈良駅停車中に撮影。



↑同上。



↑同上。



↑同上。座席の背面。



↑同上。列車走行中に撮影。平城→高の原間にて。
 スペース(容量)に限りがあるけれど、階上席にも荷物棚(頭上)は あります。



↑同上。 京都終点に到着直前のころ。 車窓に、東寺の五重塔。



↑令和4年(2022年)3月26日(土)。橿原神宮前。



↑同上。二階建て車両。



↑同上。橿原神宮前15時56分発、京都ゆき。
 私もこの号車に乗り込んで、京都まで乗車した。



↑同上。客室内。



↑同上。となりの線路に各駅停車(折り返し)が入線してきた。



↑同上。二階席の窓から隣りの電車(一般車)を見ると、こんな感じの〝目線〟です。



↑同上。



↑同上。大和八木にて。対向のビスタカーとすれ違い。
 あちらも二階席の窓が見えています。



↑同上。橿原神宮前15時56分発→京都16時50分着の、ひとときでした。
 京都府に発令されていた新型コロナ「まん延防止措置」が解除され、
 この日は久しぶりに電車に乗りに出かけました。特急乗客は少なめでした。



お誕生日

2008年10月08日 23時56分20秒 | 近鉄特急
きょう10月8日は、近鉄特急の誕生日です。おめでとう。

現在に受け継がれている座席指定制の有料特急として「近鉄特急」が走り始めたのは、昭和22年(1947年)10月8日からなのだそうです。

昨年がちょうど「運行60周年」の節目でした。
なので、今年は〝61歳〟の誕生日ということで。


来年あたりに、久しぶりの新型特急車が投入される…という情報も出ていますね。
楽しみです。

来春に予定されている阪神電車との直通化を機に、一気に山陽電車とも手を結び、近鉄特急は伊勢志摩~姫路を直通へ…! なんていう夢のような計画も。

近鉄特急が姫路まで走っていく光景、ぜひ見たいです。


↓数年前にウチの近所で撮影。
 朝の京都線を行く、アーバンライナー(プラス)。




サニーカー (昭和52年)

2008年06月15日 16時28分41秒 | 近鉄特急
『サニーカー』

車両系式:12400系
登場初年:昭和52年(1977年)
製造両数:12両(4連×3本)
※昭和53年「ブルーリボン賞」受賞車両(近鉄第4号)

 昭和44年に登場した12200系(新スナックカー)は、その後も毎年、車両の増備が続けられました。先述したように、実際のところ「スナック・コーナー」を装備していたのは初期に登場した編成に限られ、途中からは〝スナック無し〟の編成がひたすら増備されたのでありますが、最終的に12200系は166両を数える大所帯に成長し、近鉄特急のスタンダードとしての地位を築いたのでした。
 昭和50年代に入っても12200系の増備は続けられていたのですが、この時期になると、かつて一世を風靡した10100系(新ビスタカー。昭和34年登場)が「そろそろ引退か?」と噂されるようになり、その後を受け継ぐ〝新型ビスタカー〟の設計準備など新たな取り組みも必要になってきました。

 こうした流れの中で、昭和52年(1977年)に新系列の12400系「サニーカー」が登場しました。また、これを機に、長らく続いた12200系の増備には終止符が打たれました。
 12400系「サニーカー」は、4両編成×3編成(計12両)が造られました。車両性能については12200系と同等でしたが、〝新型ビスタカー〟の設計をにらんで外装・内装に新しいデザインが採り入れられた車両です。
 実際、その翌年(昭和53年)に登場した〝新型ビスタカー〟こと30000系(ビスタカーⅢ世。次回紹介予定)は、12400系編成に二階建て車両を組み込んだような印象に仕上がり、先頭車両の顔つきや雰囲気はそっくりでした。

 この12400系「サニーカー」の設計から、客室内の座席カラー(座席の表布の色)がオレンジ色に変わりました(12200系以前の座席カラーは濃い赤色でした。ちょうど、近鉄の通勤型車両の座席カラーと似ていたように思います。もしかしたら、同じだったのかも)。
 近鉄特急の座席には必ず付いている「シートカバー」(ヘッドレスト部に掛けられた白布のカバー)の〝白さ〟を際立たせるという点では、赤色の座席のほうが見映えが良かったように感じますが(好みでもありますが)、その後、12200系以前の車両についても〝オレンジ〟への座席交換(表布張替え)が進められて、以後、アーバンライナーが登場するまでこの配色が近鉄特急の標準になりました。
 ふりそそぐ太陽の光に包まれた暖かな空間、というイメージでしょうか。オレンジの座席を中心に〝サニー・ムード〟ですっきりまとめられた客室内にちなみ、12400系には「サニーカー」という愛称が付きました。

◇          ◇          ◇

 12400系は、れっきとした新系列なのですが、
 「12200系(新スナックカー)の増備車両のようでもあり…」
 「30000系(ビスタカーⅢ世)の試作車両のようでもあり…」
という、独特のポジションに立っている車両です。
「最初は12200系を増備するつもりだったのだけれど、せっかくなので30000系の試作要素を盛り込んで造ってみたら…、こんなん出ましたけど」みたいな車両です。

 デザインが一新されたという以外、決して画期的な新機軸を盛り込んだというわけではない12400系ですが、そのスマートな姿が評価を得たのか、デビュー翌年(昭和53年)に「ブルーリボン賞」を受けることになりました。近鉄電車では4度目の受賞でありました。


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ほかにもあります「サニーカー」

車両系式:12410系
登場初年:昭和55年(1980年)
製造両数:20両(4連×5本)

車両系式:12600系
登場初年:昭和57年(1982年)
製造両数:8両(4連×2本)


 12400系「サニーカー」は4両編成×3編成(計12両)が製造されるに止まりましたが、その後、系式番号を変えながらも、サニーカーの〝続編〟が造られました。
 12410系(昭和55年登場)と12600系(昭和57年登場)の2系式がそれです。

 12410系と12600系は、いずれも12400系と同じ仕様で造られていて、「12400系の増備編成」と呼んでも差し支えない内容です。編成中における接客設備(特に便所)の〝位置〟が違うなどの相違点があるそうですが、私は、そこまで見分けられないもので…、どれも同じに見えてしまいます。(←情けないテツ?)
 一応、12410系は「名阪ノンストップ特急」用途に、そして12600系は「京都線向け」用途にと、それぞれ当時の事情に応じた役割を与えられてデビューしたようですが、現在は車両運用が大きく変わっているため、この限りではありません。
 デビュー当時の12410系は3両編成を1単位としていたようなので、これならば私でもパッと見で判別できたのでしょうが、その後ご丁寧に中間車両が組み込まれて4両編成化されたもので、もはや、私には〝為す術が無い〟というのが実情です。

 車両愛称名としては、12400系と同じく、12410系・12600系も「サニーカー」と呼ぶのが一般的です。私が知る範囲では、サニーカーの場合だけ、「旧サニーカー」とか「新サニーカー」という呼び方の区別がありません。全部まとめて「サニーカー」です。
 ただし、ブルーリボン賞を受けたのは12400系だけです。



↑これが「サニーカー」です。
 ビスタカーと同じ顔をしているけれど、二階建て車両が無い編成、です。
 12400系・12410系・12600系は、いずれもこのスタイルで共通しており、かつ、現在では4両編成を1単位としている点も同じです。
 この3系式をパッと見で明確に見分ける方法を私は理解していないので、とりあえず、『あっ、サニーカーが来たぞ』と、心の中で叫ぶことにしています。
 この画像に写っているのは、たぶん…、12410系だと思う。(当たってる?)
 先日、うちの近所の、狛D~新H園間で写しました。(逆光…)


◎画像追加

↑1989年秋の撮影だと記憶しています。あやふやですが。
 京都線の木津川鉄橋付近(鉄橋の新田辺寄り)にて。



↑平成21年(2009年)6月、新田辺~興戸間にて撮影。



↑平成21年(2009年)11月、京都駅にて。


近鉄京都線を行く、サニーカー

↑平成22年(2010年)1月14日(木)、新田辺~興戸間にて。




↑平成22年(2010年)3月14日(日)、新田辺~興戸間にて。奈良ゆき。



↑平成22年(2010年)4月25日(日)、大和西大寺駅にて。奈良発→京都ゆき。



↑平成23年(2011年)2月11日(金曜祝日)、大和西大寺駅にて。京都発→橿原神宮前ゆき。
 正面の行き先表示は電光式で二行書き。「橿原神宮前」「吉野連絡」と表示されている。



↑平成24年(2012年)1月9日(月曜祝日)、大和西大寺駅にて。
 奈良駅から回送されてきたサニーカー。



↑平成24年(2012年)1月9日(月曜祝日)、大和西大寺駅にて。
 上の画像と同一列車で、これは後打ち画像です。
 奈良駅から回送されてきて、4番線のりばに進入してきたところ。
 4番線に一旦停車した後、スイッチバックして、車庫へ戻って行きます。



↑平成24年(2012年)1月14日(土)。奈良駅にて。
 奈良発→京都ゆきの運用。
 この車両は、正面の行き先表示が電光式ではなく、赤地に白文字の字幕式。(→何故か、表示は漢字のみで、英字表記はない)



↑平成24年(2012年)1月14日(土)。京都駅にて。
 上の画像の奈良発→京都ゆきに私も実際に乗車して、京都駅までやって来ました。
 画像は、京都駅に到着した直後の同列車。
 折り返し運用は橿原神宮前ゆき。行き先表示には「吉野連絡」の文字も添えられています。(画像にはちゃんと写っていないけど…)



↑平成24年(2012年)1月14日(土)に撮影。
 上の画像と同一列車にて、乗車中に、車内の「洗面所」を写してみた。
 スペース的に、やや窮屈な印象の洗面所ではあります。
 壁面に取り付けられたボックスには、袋入りの「紙おしぼり」が入っていて、自由に使えます。



↑紙おしぼり。(サニーカーに限らず、近鉄特急の車内洗面所に用意されています)
 昔のやつに比べると…、紙おしぼり、ちょっと小さくなった気がする。
 コスト面のこととか、いろいろあるんでしょうけれどな。



総谷トンネル事故〔青山トンネル事故〕 (昭和46年)

2008年06月14日 15時32分42秒 | 近鉄特急
 「ビスタカー」・「エースカー」・「スナックカー」など、華やかな車両たちによって綴られてきた近鉄特急の歴史ですが、昭和46年(1971年)の秋、大阪線内の単線区間において、その特急列車同士が正面衝突するという悲しい出来事がありました。
 昭和46年(1971年)10月25日、当時は単線だった東青山~榊原温泉口間の「総谷トンネル」で、対向する特急列車同士が正面衝突するという、あってはならない事故でした。

 本稿では事故詳細についての記述は省略しますが、ネットで検索をすればこの事故についての関連記事は多く見つかりますので、知りたい方はそちらを参考にしてください。ウィキペディアならば、「近鉄大阪線列車衝突事故」の項目で出ています。

 多数の死者と負傷者を出したこの事故をきっかけにして、近鉄は、大阪線の複線化完成に全力を注ぐことになりました。そして、事故から4年が経過した昭和50年(1975年)11月、新青山トンネル(全長5,652m。当時は私鉄界最長のトンネルだった)の開通をもって大阪線の全線複線化が完了したのです。

◇          ◇          ◇

 事故現場となった総谷トンネルや東青山駅をはさむ、西青山~榊原温泉口間の線路は、青山峠越えと呼ばれる険しい山岳地帯に踏み込んだルートになっていて、古くから大阪線の難所でした。しかも、昭和初期に開通した歴史をもつ大阪線(開通当時は参宮急行電鉄という名前だった)には、青山峠区間のほかにも「単線」の箇所が多かったそうです。(近鉄ホームページの資料によると、大阪線のうち名張~伊勢中川間はもともと単線で開通したらしい)
 近鉄では、昭和30年代半ばから大阪線の完全複線化に向けた工事に取り組み、輸送改善を進めていたようですが、地形的にも難工事が必至となる青山峠区間については最後まで複線化が遅れていたのです。悲惨な衝突事故は、そこで起こりました。

 事故後、完全複線化を急ぐに当たって、この区間(西青山~榊原温泉口間)では路線ルートそのものが抜本的に見直され、長大なトンネルによって山岳地帯を一気に貫く「複線の新線」が建設されました(新線の開通と引き換えに、単線時代の旧ルートは廃止された)。全長5,652mに及ぶ「新青山トンネル」の掘削はその象徴で、悲惨な事故に対する痛烈な思いが込められているようでもあります。

 こうして完成したのが、現在も使われている線路です。
 新青山トンネルをはさむ西青山~東青山間では、トンネル部分を含めて駅間がほぼ一直線で結ばれているなど、列車運行の保安面への配慮も行き届いた構造となっています。

◇          ◇          ◇

 今をときめく新型特急車両たちは、きょうも、この区間を高速で元気に駆け抜けてゆきます。新系列の特急車両の場合は、「新青山トンネル」内において最高時速の130km/hまでスピードを上げるそうですね。延々と一直線で続く複線トンネルの中ならば踏切障害の危険も無いし、ここではMaxまでスピードを引き上げても大丈夫-、というところでしょうか。
 かつてここが〝山越えの難所〟だったことを感じさせない、特急列車の快適な走りであります。
 でも、その裏に悲しい歴史があったことを、忘れずにいたいと思います。

 今回は、歴代特急車の紹介という内容からは外れましたが、「総谷トンネル事故」のことは近鉄特急の歴史を語る上で無視できない項目だと考え、扱いました。


◎画像追加↓


↑現在の東青山駅。平成20年(2008年)10月撮影。



↑東青山駅ホームより、伊勢中川方向を望む。
 見えているトンネルが、新線切り替えによってできた「新総谷トンネル」のようです。
 このトンネルの左側に、旧線時代の総谷トンネルがあったらしい。
 画面の左側に、線路に沿って木が並んでいるのが見えます。並んで立っているように見えるでしょう。
 これが、旧線の線路跡のようです。

 ↑私の研究はまだまだ不十分なので、あやふやです。



ミニ・スナックカー (昭和44年)

2008年06月07日 23時46分24秒 | 近鉄特急
『ミニ・スナックカー』

車両系式:18400系
登場初年:昭和44年(1969年)
特急引退年:平成12年(2000年)
製造両数:20両(2連×10本)
※現在、2連×1本(2両)のみが団体専用「あおぞらⅡ」に転用されているほかは、すでに全車両が廃車となっている。


 12000系(旧スナックカー。昭和42年)と12200系(新スナックカー。昭和44年)の登場によって、この時期、近鉄の特急輸送は一層にレベルアップが図られました。
 こうした新しい流れを、車両限界が異なっていた京都線・橿原線の特急にも展開しようという狙いで造られたのが、18400系「ミニ・スナックカー」です。

 18400系は、12200系と同じく昭和44年 (1969年)の登場です。当時、車両限界と架線電圧に制約があった京都線・橿原線への乗り入れが可能な仕様となり、〝その道〟の先輩である18200系(先述)とともに京都~伊勢間の直通特急に活躍しました。

 18400系は、2両編成を1単位とする軽快な姿で、昭和47年までに2両編成×10編成(合計20両)が造られました。複電圧対応の設備と車体寸法を除けば、同時期に造られた12200系(新スナックカー)とほぼ共通した造りになっていました。座席はリクライニングシートで、スナックコーナー(軽食コーナー)も設置されるなど、内容面では12200系と同等でした。
 車両限界に合わせるために車体幅のみ12200系よりも狭く設計され、実際、視覚的にも12200系より小さく見える車両だったことから、18400系は「ミニ・スナックカー」と呼ばれました。

 伊勢から奈良大和路を経て京都へ結ぶ〝周遊ルート〟に磨きをかけるためにも、当時、この区間でのサービス向上(車両のレベルアップ)は不可欠だったようです。12200系と比べて車体寸法ぐらいしか違わない18400系を〝わざわざ〟造ったところに、近鉄の意気込みが感じられるようです。


◎まとめ

・12000系が「旧スナックカー」、
・12200系が「新スナックカー」、
・18400系が「ミニ・スナックカー」。

 スナックカーという名が付いたのは、この3系式です。(スナックカー三部作?)

◇          ◇          ◇

 御多分にもれず、18400系のスナックコーナーも後年には営業休止となり、スナックコーナー自体が撤去されるという運命をたどりました。12000系や12200系の場合もあわせて、列車内における供食サービスの難しさを物語っているようでもあります。
 私は、この18400系に何度か乗ったことがありますが(昭和60年以降の時期)、その頃にはすでにスナックコーナーは撤去されており、〝跡地〟には客席(リクライニングシート)が増設されていました。跡地に増設された客席にも座ったことがありますが、なんだか〝飛び地〟みたいで落ち着きづらかった記憶があります。
 車両限界・架線電圧の問題が解決した後も、18400系は京都線に乗り入れる列車に使われることが多かったように思います。30000系ビスタカーにお供して(連結されて)、京都発賢島行きに使われている場面とか、私もよく目撃しました。

 18400系は、平成12年(2000年)までに特急運用から外れ、2連×1本が団体専用「あおぞらⅡ」に転用されたほかは、全ての車両が廃車となりました。


↑私が写したミニスナックカーは、この一枚だけです。(例によって高校生のとき)
 「どこを狙って写したのか…」という感じの構図です。
 たまたまミニスナックカーが写った、という印象。
 でも、ちゃんと〝顔〟は見えますね。

 車体寸法が絞られているので、車体側面が垂直に切り立った感じになっているのがミニスナックカーの特徴です。正面(顔)が細長く見えるのです。
 12200系の投稿記事(画像)と見比べてもらうと良いですが、12200系は車体寸法にゆとりがあり、正面(顔)はふっくらとまるい感じに見えます。



動画拝借。



新スナックカー (昭和44年)

2008年06月05日 21時08分23秒 | 近鉄特急
『新スナックカー』

車両系式:12200系
登場初年:昭和44年(1969年)
製造両数:166両(2連×29本、4連×24本、6連×2本)


 12000系(旧スナックカー)の登場から2年が過ぎた昭和44年(1969年)に、その量産車として12200系が登場しました。外装・内装とも12000系に準じたスタイルとなり、パッと見た感じは同じです。平成12年までに全車両が引退した12000系と異なり、12200系は現在も各方面への特急運用に活躍しています。

 12200系の特徴は、製造両数が非常に多かったことです。
 デビュー当初は、12000系と同様に「2両編成を1単位」とした姿だったようですが、その後、中間車(編成の中間に組み込む、運転席が付いていない車両)が追加されたりして、4両編成や6両編成の仕様も登場しました。最終的には、2両編成×29編成、4両編成×24編成、6両編成×2編成、の合計166両を数えるに至り、近鉄の特急系式では随一の勢力を誇る大所帯となりました。

 車両数の多い系式なので、製造時期には幅があります(一度に166両がポンと登場したのではない)。
 初期に登場した12200系には、12000系と同じく「スナックコーナー」(軽食コーナー)が設けられていましたが、のちに廃止となり、後期に登場した12200系には最初からスナックコーナーが付いていませんでした。…ではありますが、車両の愛称名としては、12000系(旧スナックカー)に対して12200系は「新スナックカー」と呼ぶのが一般的です。
 現在活躍している12200系にはスナックコーナー自体がありませんから、今となっては不思議に感じられる愛称名です。昔の名前で出ています、のよう。

     ◇          ◇          ◇

 以前にも述べたように、昭和40年代は、新幹線に客を奪われて「名阪特急(近鉄)」が低迷を続けていた時期です。その〝逆風〟のなかで近鉄が12200系の大量増備に踏み切った背景には、名阪が振るわないぶん伊勢方面への特急輸送を充実させることが不可欠、との考えがあったようです。

 これも、近鉄特急の歴史の中では語られる部分ですが、東京方面から新幹線でやってきた旅客を名古屋で受けて近鉄特急は伊勢へと走り、伊勢観光の後は奈良大和路へ旅客を誘い、奈良見物が済んだら最後は京都へ送り込んで、京都から新幹線で東京へ帰ってもらう-、という周遊ルートが作り上げられたそうです。

 名古屋→伊勢→奈良大和路→京都という近鉄特急ならではの周遊ルートは、東京方面から大量に旅客を運んでくる「新幹線」が無ければ成り立たないと言っても過言ではありません。大阪~名古屋間の直通輸送(スピード)では到底かなわない新幹線の存在を逆手に取った、見事な攻めです。

 話がそれましたが、12200系は、そうした伊勢方面重視の特急網を組み立てるうえで、大いに活躍しました。デビュー当時には、大阪での「万国博覧会」というビッグ・イベントも重なり、万博輸送(特需)にも活躍したそうです。

     ◇          ◇          ◇

 初期に登場した車両からは引退・廃車も出ているようですが、現在も12200系シリーズはたくさんの車両が稼動しています。
 京都線の特急にも、よく使われています。



↑私が高校生のときに写した12200系。(なぜ古い写真を貼るのか…。現在も走ってるって言うといて…)
 当時は、正面貫通扉に特急マークがあり、行き先表示(←手差し式…でしたよね)はグッと低い位置に付いていた。
 現在は、車体リニューアルによって、正面貫通扉に自動式行き先表示幕が付いている。



↑〝その一瞬〟をきっちり写し取れない私です。(スキャナが悪いのではなく、私の実力だ!)
 これも、高校生のときに写したものだと思う。
 行き先表示が読めません。(ひさん)
 でも、いっぱい字が書いてあるみたいだから「橿原神宮前」行きなのだろうと察しがつきます。なので、正面窓の下に付いている小さなプレート(白枠で囲まれた部分。紺地に赤い字で書かれているやつ)には「吉野連絡」と書かれているのです。(情けない鉄道写真やな)
 ちゃんと写せていたらなぁ。今となっては、もったいない!

※↑上の画像は2枚とも、京都線の木津川鉄橋(付近)で撮影。1989年~1990年ごろ。


◎画像追加↓


↑平成20年(2008年)10月に撮影した12200系。津駅にて。
 リニューアル後の姿、ということになります。



↑平成21年(2009年)2月、河内小阪駅にて撮影。
 土休日昼間の、奈良線特急に使用中のひとこま。



↑平成21年(2009年)6月、新田辺~興戸間にて撮影。



↑平成22年(2010年)2月、大和八木駅にて。大阪線特急の鳥羽ゆき。



↑平成22年(2010年)2月28日(日)、松阪駅ホームより撮影。
 前日に発生したチリ大地震による津波警報の影響で、この日は鳥羽線の一部と志摩線が運休に…。
 鳥羽・賢島方面への特急列車も「五十鈴川ゆき」として運行された一日でした。



↑平成22年(2010年)2月28日(日)、松阪駅ホームより撮影。



↑平成22年(2010年)2月28日(日)、松阪駅にて。(上の画像と同じ列車)
 隣りの伊勢中川ゆき各停を待たせて、特急が先に発車していきます。



↑平成22年(2010年)2月28日(日)撮影。
 昔なつかしい「網棚」の編成に当たったので、車内でカシャっと撮影。



↑平成22年(2010年)8月28日(土)、八木西口にて。
 京都発→橿原神宮前ゆき(吉野ゆき連絡特急)。



↑12200系の客室内。平成22年11月13日(土)、奈良線特急車内にて撮影。



↑12200系の客室内。平成22年11月13日(土)、奈良線特急車内にて撮影。



↑12200系の客室内。平成22年11月13日(土)、奈良線特急車内にて撮影。



↑正面の行き先案内に「大阪難波」と表示できる車両。
 平成22年11月13日(土)、鶴橋にて。(後打ち)



↑平成24年3月24日(土)、丹波橋にて。後打ち。
 橿原神宮前→京都ゆきに運用中。



↑平成24年3月29日(木)、富野荘にて。
 吉野連絡、橿原神宮前ゆき。



↑平成24年5月26日(土)、塩浜にて。(通過)
 12200系4両+22600系2両の6両編成。宇治山田発→名古屋ゆきの乙特急に運用中。



↑平成26年1月11日(土)、大和八木にて。
 名阪乙・大阪難波ゆき12200系と、阪伊乙・鳥羽ゆき伊勢志摩ライナーが出合う。



↑平成26年2月23日(日)、鳥羽線内を走行中に撮影。
 このときは、伊勢市から鳥羽まで12200系特急に乗りました。



↑同上。平成26年2月23日(日)、鳥羽線内を走行中に撮影。



↑平成28年1月8日(金)、五十鈴川にて。 2250系復刻塗装の5200系と並んだところ。
 名伊乙特急、賢島ゆきに運用中。



↑同上。
 五十鈴川を発車し、次の停車駅・鳥羽へと向かう。



↑平成29年3月22日(木)、京都線の木津川鉄橋にて。京都発→賢島ゆきに運用中。



↑平成31年2月13日(水)、京都にて。



↑同上。



↑平成31年2月13日(水)、京都発→橿原神宮前ゆきの車内にて。



↑同上。



↑同上。



↑平成31年2月13日(水)、橿原神宮前にて。



↑令和2年(2020年)2月11日(火・祝日)、大和八木→大和西大寺間にて乗車。



↑同上。令和2年(2020年)2月11日(火・祝日)、大和八木→大和西大寺間にて乗車。



↑同上。大和八木→大和西大寺の特急券。
 同年(令和2年)2月1日から、近鉄特急は客室内禁煙になりました。(喫煙室はのぞく)
 ただし、12200系には喫煙室の設置工事が行われませんでした。
 12200系単独運用の列車については、特急券に「この列車に喫煙室はありません」と記されています。 



↑令和2年(2020年)5月25日(月)、京都にて。



↑令和2年(2020年)9月4日(金)、富野荘~新田辺間にて。



↑令和2年(2020年)9月4日(金)、新田辺~富野荘間にて。



↑令和2年(2020年)9月4日(金)、新田辺~興戸間にて。



↑同上。



↑令和2年(2020年)9月7日(月)、京都にて。



↑同上。



↑令和2年(2020年)9月14日(月)、大和西大寺にて。
 橿原神宮前→京都ゆき運用で、ホームに停車中。



↑同上。



↑令和3年(2021年)2月8日(月)、狛田にて。
 橿原神宮前ゆきに運用中。



↑同上。



↑令和3年(2021年)2月9日(火)、新田辺にて。
 橿原神宮前ゆきに運用中。



↑同上。