平成28年5月31日(火)。
日帰りで広島を訪ねて、可部線に乗ってきました。
以下、画像を貼っておきます。
↑5月31日の昼すぎ、広島駅へやって来ました 駅名標は、グリーン!?
この日は早朝スタートではなく、京都10時27分発の「のぞみ15号」博多ゆきで出発して、広島へ12時08分に到着。
一旦、広島駅改札口を出て、まずは腹ごしらえ。駅ビルASSE(アッセ)でお好み焼きを食べました。
そして、新たに可部までのキップ(広島→可部320円)を買って、12時40分ごろ、可部ゆきが発車するホームへおりました。
↑JR広島駅の風景。 在来線ホームは高架ではなく、〝地べた〟にあります。
今までにない目線ですが、見上げると、超高層ビル(マンション?)が複数建築中で、駅周辺の景観は大きく変化しつつあるようです。
ホームに隣接している駅ビルの建物が、小さく見えるやん
↑広島駅ホームに忙しく出入りする列車たち。
電車の世代交代が進み、115系や105系などに代わって新型227系がすでに多数派を占めているよう。
山陽本線だけでなく、呉線直通の列車にも227系が充てられています。
↑可部線は、広島のふたつ先の横川(よこがわ)から可部までを結ぶ、14.0kmの線です。
かつては、可部から先へさらに線路が続いていて、三段峡(さんだんきょう)までを結ぶ約60kmの線区でした。
のちに可部~三段峡間は廃止となって消滅し、現在は、可部までの区間だけで電車運行が継続されています。
◇ ◇ ◇
私は、可部線の横川~三滝の一駅区間にだけ、昔に乗ったことがあります。
子供のころというか、幼いころです。幼稚園児だったころ。今から40年前ですわ。遠い昔だ!
そもそも、私は、幼少時代を広島市で過ごした者なのです。広島の頃の思い出話は、当ブログでもあまり書いていないけど。
当ブログ的には西宮時代(小学生時代)の思い出を綴った記事は幾つか投稿しておりますが、その前段に、広島での幼少時代があるのです
「じゃあ、あんたは広島で生まれたの?」
「いや、生まれたのは兵庫県。 高砂市っていうところ」
「あっ いつも お墓まいりに行ってるところやね。かつめしの一平さんに立ち寄るっていう…」
「さすが、相棒! 分かってるね」
「高砂市で生まれてから、子供のころは、いろんな町で暮らしてきたわけやねぇ」
「高砂で約1年、広島で8年、西宮で4年、過ごしました。 これを合計すると、小学校卒業までの年数と一致するねん」
「広島の期間が、長かったんやな…」
「ただ、わしにとっては、小学2年生を終えるまでの8年間だったからな。 自身が幼すぎて、思い出の記憶が乏しいのが残念や…」
「でも、その乏しい記憶のなかで、横川~三滝間に乗ったことは覚えていると…」
「そう、覚えてる。 ある日、祖父に連れられて外出(おでかけ)したときに、横川から三滝まで電車に乗った! 間違いない記憶です」
「じゃあ今回は、ホンマに、そのとき以来の40年ぶりに乗る可部線なんやね!」
「そうです! わしを連れて歩いてくれた祖父も、亡くなって久しい。 感慨深くもある、40年ぶりの可部線へ、いざ-」
画像に戻ります。
↑広島12時48分発、可部ゆき普通電車。 227系の2両編成。
私もこれに乗って、終点可部まで行きました。
↑広島を発車すると、次は新白島という新駅に止まって、それの次が、横川の駅です。
昔は、広島の次が早速、横川だったものな。 街並みだけでなく、広島の鉄道風景も着実に変わっていきますね。
横川の駅名標は、ノーマルなブルーやね。(なんで、広島駅のはグリーンなんやろ?)
この駅から可部線がスタートします。
↑12時54分に横川を発車して、進行向きを北のほうへ変えながら、太田川放水路にかかる鉄橋を渡っていきます。
次の三滝までのひと駅が、40年前に祖父と乗った思い出の区間です。
↑鉄橋自体はその後改修とかされているのかもしれないけれど、
40年前、この鉄橋を渡る車窓から川面をじーっと眺めたことを、今でも覚えています。
↑鉄橋を渡り終えると さらにぐいっとカーブして、北向きに進路をとって三滝に着きました。横川から2分で到着。
そして、ここで早くも対向列車と行き違いしました。(可部線は単線です)
40年前の思い出に浸る旅路は、ここまで~
この先、終点の可部までは未乗区間です。きょうは、ここからの区間を走破するために、広島へやって来ました
↑三滝を出ると、太田川(放水路)を見ながら、進みます。
線路と道路が隣り同士でくっ付いて、並走します。道路を行くクルマとの、この距離感!
↑下祇園にて。
↑13時04分、古市橋(ふるいちばし)に着きました。
駅の外側に立っている道路案内標識の、その支柱に、「安佐動物公園」(あさどうぶつこうえん)の方向を示す標識も付いていますね。
安佐動物園、懐かしいなぁ 広島に住んでいたころ、幾度か行きました。
幼稚園のときも小学校のときも、遠足で行った気がします。
↑古市橋では数分停車し、対向列車と行き違いしました。
可部線の列車は、上り・下りとも、昼間は20分間隔で運転されています。
すれ違う対向列車も、全部227系やね
↑大町13時08分着。
カメラをむける方向(写す方向)を間違えた なんか、殺風景な一枚になってしまった。
アストラムライン(広島高速交通)との乗換駅、大町です。
前方の頭上を横切っている高架が、アストラムラインの線路というか通行路。
↑線路沿いぎりぎりに、マンションが建つ。
↑緑井(みどりい)13時10分に到着。
↑七軒茶屋(しちけんぢゃや)13時12分着。
とにかく、駅間距離が短いです。発車したら、すぐに次の駅に着きますわ。
そして、線路沿いぎりぎりにまで建て込んでいる住宅やマンションが、可部線の車窓風景の特徴ですね。
↑なお、可部線の沿線は、2年前(平成26年)の8月に発生した広島豪雨で、土石流などの大きな被害を受けた地域です。
可部ゆきの進行方向左窓には、その山並みが続きます。
↑13時16分、梅林(ばいりん)に到着。
ここでも対向列車と行き違い。
↑上八木(かみやぎ)を出ると、もう一度、太田川を渡りました。
三滝からずうっと太田川の西岸を走ってきたけれど、ここで最後にもういっぺん鉄橋を渡って、太田川の東岸へ移るのです。
↑中島(なかしま)に停車中。
↑13時25分、終点の可部に着きました。 広島駅から所要37分。
↑可部駅、駅前のようす。
↑駅前、駐輪場のようす。
↑可部駅の東口側に歩み出てみました。
おそらく、こちら側が、もともとの〝可部駅前〟の街並みなのでしょうね。
↑踏切ごしに、西の山々を眺める。
山崩れの跡が、見えます。
↑可部駅の西口側(バスターミナル側)。
いかにも、新しく整備しました~ という雰囲気の駅前空間です。
駅前を通る国道54号も道幅が広いですね。 東口側とは、風景の趣が異なります。
↑もともと、可部駅構内の鉄道敷地だった領域を活用して、バス乗り場や駅前歩道が整備されたようです。
しかし、駅前に止めてある自転車、多いなぁ
↑可部駅の周辺をぐるりと歩き回ったのち、再び駅ホームに戻りました。
可部線はイコカが使えるので、折り返しはキップを買わずに、改札機にイコカ・タッチ
2番線で発車を待っているのは、さきほど乗ってきたのと同一の車両。 私が戻るのを待っているかのように、じっと2番線に停留しています。
↑線路を隔てて向かい側には、新しいホームが整備されつつあります。
↑路線延伸に向けての工事が行われていました。
可部から先への線路は廃止されたのですが、地元の強い要望もあって、可部駅から1.6kmほどの区間が〝線路復活〟することになりました。
計画ではありますが、来年(平成29年)の春に、可部駅から先へ、可部線はちょっとだけ営業区間が伸びます。(予定)
↑線路が伸びたら、またそのときに、〝可部線乗り直し〟にやって来ますわ
また広島を訪ねる理由ができるから、いいじゃないか。
↑ホームの駅名標。
駅名標(プレート)の右上のところに「広」のマークが書かれていますね。 「広島市内の駅です」という意味です。
わし、さっき、広島駅で改札口を出ておこのみ焼きを食べたから、可部線のきっぷを買い直したけれど、そういう途中下車をカットしたならば、
京都で買った「京都市内→広島市内」の乗車券で、そのまま可部駅まで乗ってくることができたわけやね。
↑車内の広告。 赤ヘルきっぷ 広島やなぁ~
↑可部13時48分発の広島ゆきに乗って、引き返しました。
これは、発車待ちの車内から撮影した一枚です。
ホーム向かいに13時45分 可部終着の電車が入ってきました。この電車の到着を受けて、私が乗った広島ゆきもいよいよ発車です。
終点の可部駅に着いた電車が3分程度ですぐに折り返す(クイックターン)のではなく、可部駅には常に1編成、電車が停留しているんやね。
来年(予定)に路線延伸が実現したあとのダイヤを、すでに見越している感じがする。さすがや
↑また各駅に停車しながら、可部線をバックしてきました。
↑下祇園にて。
駅に隣接した広い広い土地が、工事中でした。
↑下祇園にて。
駅のそばだし、マンションとか住宅地が造られるのかなぁ。
このコンクリート壁、なかなか年季が入っている気がします。ひょっとして、ここ…、工場の跡地だったのかな(?)
再開発事業というやつですね、きっと。
◇ ◇ ◇
このあと私は、もう一度 40年前の思い出をたどりたかった …っていうか、そのまま広島駅まで戻ってしまうのは物足りない気もしたので、
三滝駅で電車を降りました。
そして、三滝から西広島まで、太田川を眺めながらテクテクと歩いてみました。
西広島界隈は、私にはとても懐かしい地域なのです。子供時代の記憶は乏しいけれど、その〝空気〟が懐かしい!(なんだそりゃ)
引き続いて画像も写してきましたので、西広島の巻、また次のブログ投稿でご報告します。
(つづく)
日帰りで広島を訪ねて、可部線に乗ってきました。
以下、画像を貼っておきます。
↑5月31日の昼すぎ、広島駅へやって来ました 駅名標は、グリーン!?
この日は早朝スタートではなく、京都10時27分発の「のぞみ15号」博多ゆきで出発して、広島へ12時08分に到着。
一旦、広島駅改札口を出て、まずは腹ごしらえ。駅ビルASSE(アッセ)でお好み焼きを食べました。
そして、新たに可部までのキップ(広島→可部320円)を買って、12時40分ごろ、可部ゆきが発車するホームへおりました。
↑JR広島駅の風景。 在来線ホームは高架ではなく、〝地べた〟にあります。
今までにない目線ですが、見上げると、超高層ビル(マンション?)が複数建築中で、駅周辺の景観は大きく変化しつつあるようです。
ホームに隣接している駅ビルの建物が、小さく見えるやん
↑広島駅ホームに忙しく出入りする列車たち。
電車の世代交代が進み、115系や105系などに代わって新型227系がすでに多数派を占めているよう。
山陽本線だけでなく、呉線直通の列車にも227系が充てられています。
↑可部線は、広島のふたつ先の横川(よこがわ)から可部までを結ぶ、14.0kmの線です。
かつては、可部から先へさらに線路が続いていて、三段峡(さんだんきょう)までを結ぶ約60kmの線区でした。
のちに可部~三段峡間は廃止となって消滅し、現在は、可部までの区間だけで電車運行が継続されています。
◇ ◇ ◇
私は、可部線の横川~三滝の一駅区間にだけ、昔に乗ったことがあります。
子供のころというか、幼いころです。幼稚園児だったころ。今から40年前ですわ。遠い昔だ!
そもそも、私は、幼少時代を広島市で過ごした者なのです。広島の頃の思い出話は、当ブログでもあまり書いていないけど。
当ブログ的には西宮時代(小学生時代)の思い出を綴った記事は幾つか投稿しておりますが、その前段に、広島での幼少時代があるのです
「じゃあ、あんたは広島で生まれたの?」
「いや、生まれたのは兵庫県。 高砂市っていうところ」
「あっ いつも お墓まいりに行ってるところやね。かつめしの一平さんに立ち寄るっていう…」
「さすが、相棒! 分かってるね」
「高砂市で生まれてから、子供のころは、いろんな町で暮らしてきたわけやねぇ」
「高砂で約1年、広島で8年、西宮で4年、過ごしました。 これを合計すると、小学校卒業までの年数と一致するねん」
「広島の期間が、長かったんやな…」
「ただ、わしにとっては、小学2年生を終えるまでの8年間だったからな。 自身が幼すぎて、思い出の記憶が乏しいのが残念や…」
「でも、その乏しい記憶のなかで、横川~三滝間に乗ったことは覚えていると…」
「そう、覚えてる。 ある日、祖父に連れられて外出(おでかけ)したときに、横川から三滝まで電車に乗った! 間違いない記憶です」
「じゃあ今回は、ホンマに、そのとき以来の40年ぶりに乗る可部線なんやね!」
「そうです! わしを連れて歩いてくれた祖父も、亡くなって久しい。 感慨深くもある、40年ぶりの可部線へ、いざ-」
画像に戻ります。
↑広島12時48分発、可部ゆき普通電車。 227系の2両編成。
私もこれに乗って、終点可部まで行きました。
↑広島を発車すると、次は新白島という新駅に止まって、それの次が、横川の駅です。
昔は、広島の次が早速、横川だったものな。 街並みだけでなく、広島の鉄道風景も着実に変わっていきますね。
横川の駅名標は、ノーマルなブルーやね。(なんで、広島駅のはグリーンなんやろ?)
この駅から可部線がスタートします。
↑12時54分に横川を発車して、進行向きを北のほうへ変えながら、太田川放水路にかかる鉄橋を渡っていきます。
次の三滝までのひと駅が、40年前に祖父と乗った思い出の区間です。
↑鉄橋自体はその後改修とかされているのかもしれないけれど、
40年前、この鉄橋を渡る車窓から川面をじーっと眺めたことを、今でも覚えています。
↑鉄橋を渡り終えると さらにぐいっとカーブして、北向きに進路をとって三滝に着きました。横川から2分で到着。
そして、ここで早くも対向列車と行き違いしました。(可部線は単線です)
40年前の思い出に浸る旅路は、ここまで~
この先、終点の可部までは未乗区間です。きょうは、ここからの区間を走破するために、広島へやって来ました
↑三滝を出ると、太田川(放水路)を見ながら、進みます。
線路と道路が隣り同士でくっ付いて、並走します。道路を行くクルマとの、この距離感!
↑下祇園にて。
↑13時04分、古市橋(ふるいちばし)に着きました。
駅の外側に立っている道路案内標識の、その支柱に、「安佐動物公園」(あさどうぶつこうえん)の方向を示す標識も付いていますね。
安佐動物園、懐かしいなぁ 広島に住んでいたころ、幾度か行きました。
幼稚園のときも小学校のときも、遠足で行った気がします。
↑古市橋では数分停車し、対向列車と行き違いしました。
可部線の列車は、上り・下りとも、昼間は20分間隔で運転されています。
すれ違う対向列車も、全部227系やね
↑大町13時08分着。
カメラをむける方向(写す方向)を間違えた なんか、殺風景な一枚になってしまった。
アストラムライン(広島高速交通)との乗換駅、大町です。
前方の頭上を横切っている高架が、アストラムラインの線路というか通行路。
↑線路沿いぎりぎりに、マンションが建つ。
↑緑井(みどりい)13時10分に到着。
↑七軒茶屋(しちけんぢゃや)13時12分着。
とにかく、駅間距離が短いです。発車したら、すぐに次の駅に着きますわ。
そして、線路沿いぎりぎりにまで建て込んでいる住宅やマンションが、可部線の車窓風景の特徴ですね。
↑なお、可部線の沿線は、2年前(平成26年)の8月に発生した広島豪雨で、土石流などの大きな被害を受けた地域です。
可部ゆきの進行方向左窓には、その山並みが続きます。
↑13時16分、梅林(ばいりん)に到着。
ここでも対向列車と行き違い。
↑上八木(かみやぎ)を出ると、もう一度、太田川を渡りました。
三滝からずうっと太田川の西岸を走ってきたけれど、ここで最後にもういっぺん鉄橋を渡って、太田川の東岸へ移るのです。
↑中島(なかしま)に停車中。
↑13時25分、終点の可部に着きました。 広島駅から所要37分。
↑可部駅、駅前のようす。
↑駅前、駐輪場のようす。
↑可部駅の東口側に歩み出てみました。
おそらく、こちら側が、もともとの〝可部駅前〟の街並みなのでしょうね。
↑踏切ごしに、西の山々を眺める。
山崩れの跡が、見えます。
↑可部駅の西口側(バスターミナル側)。
いかにも、新しく整備しました~ という雰囲気の駅前空間です。
駅前を通る国道54号も道幅が広いですね。 東口側とは、風景の趣が異なります。
↑もともと、可部駅構内の鉄道敷地だった領域を活用して、バス乗り場や駅前歩道が整備されたようです。
しかし、駅前に止めてある自転車、多いなぁ
↑可部駅の周辺をぐるりと歩き回ったのち、再び駅ホームに戻りました。
可部線はイコカが使えるので、折り返しはキップを買わずに、改札機にイコカ・タッチ
2番線で発車を待っているのは、さきほど乗ってきたのと同一の車両。 私が戻るのを待っているかのように、じっと2番線に停留しています。
↑線路を隔てて向かい側には、新しいホームが整備されつつあります。
↑路線延伸に向けての工事が行われていました。
可部から先への線路は廃止されたのですが、地元の強い要望もあって、可部駅から1.6kmほどの区間が〝線路復活〟することになりました。
計画ではありますが、来年(平成29年)の春に、可部駅から先へ、可部線はちょっとだけ営業区間が伸びます。(予定)
↑線路が伸びたら、またそのときに、〝可部線乗り直し〟にやって来ますわ
また広島を訪ねる理由ができるから、いいじゃないか。
↑ホームの駅名標。
駅名標(プレート)の右上のところに「広」のマークが書かれていますね。 「広島市内の駅です」という意味です。
わし、さっき、広島駅で改札口を出ておこのみ焼きを食べたから、可部線のきっぷを買い直したけれど、そういう途中下車をカットしたならば、
京都で買った「京都市内→広島市内」の乗車券で、そのまま可部駅まで乗ってくることができたわけやね。
↑車内の広告。 赤ヘルきっぷ 広島やなぁ~
↑可部13時48分発の広島ゆきに乗って、引き返しました。
これは、発車待ちの車内から撮影した一枚です。
ホーム向かいに13時45分 可部終着の電車が入ってきました。この電車の到着を受けて、私が乗った広島ゆきもいよいよ発車です。
終点の可部駅に着いた電車が3分程度ですぐに折り返す(クイックターン)のではなく、可部駅には常に1編成、電車が停留しているんやね。
来年(予定)に路線延伸が実現したあとのダイヤを、すでに見越している感じがする。さすがや
↑また各駅に停車しながら、可部線をバックしてきました。
↑下祇園にて。
駅に隣接した広い広い土地が、工事中でした。
↑下祇園にて。
駅のそばだし、マンションとか住宅地が造られるのかなぁ。
このコンクリート壁、なかなか年季が入っている気がします。ひょっとして、ここ…、工場の跡地だったのかな(?)
再開発事業というやつですね、きっと。
◇ ◇ ◇
このあと私は、もう一度 40年前の思い出をたどりたかった …っていうか、そのまま広島駅まで戻ってしまうのは物足りない気もしたので、
三滝駅で電車を降りました。
そして、三滝から西広島まで、太田川を眺めながらテクテクと歩いてみました。
西広島界隈は、私にはとても懐かしい地域なのです。子供時代の記憶は乏しいけれど、その〝空気〟が懐かしい!(なんだそりゃ)
引き続いて画像も写してきましたので、西広島の巻、また次のブログ投稿でご報告します。
(つづく)
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