それは初めての体験だった。
その瞬間、体中に電撃が走った。
懐かしいような、それでいて私を突き放すほどの存在感。
今日は休み。
話題の企画展「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展 印象派・ポスト印象派 奇跡のコレクション」を見るために、相方と二人国立新美術館へ行ってきた。
一人1500円のチケット。
空が最高に綺麗だった。
国立新美術館は「シュルレアリスム展」以来。
展示会場は4つに区分されており、
入り口から「1印象派登場まで」、
「2印象派」、
「3紙の上の印象派」、
「4ポスト印象派以降」と年代に沿って作品を鑑賞することが出来る。
「3紙の上の印象派」の区画が終る頃には、
エドゥアール・マネ、
カミーユ・ピサロ、
エドガー・ドガ、
クロード・モネ、
そしてピエール=オーギュスト・ルノワールなど、
印象派として語られる彼らの絵画を堪能できる。
人の流れに乗って一つ一つ鑑賞していく。
なんといっても、大勢の客が訪れているので自分のペースで見るというような感じにはうまく持っていけない。
でも、いろんな人がいっぺんにそこにいる状況は結構面白かった。
絵を専門的な言葉で語る少女。
少女ばかり描くカサットをロリコンだと主張するレズビアン。
工事現場の作業服を着たおじさん。
知的な老夫婦。
秋葉原から迷い込んできたかのような青年。
そんな中、有名な絵画を目の前にして、私が抱く感情は「これ見たことある」というミーハーな喜び。
解説を読んではちょっと分かった気でいる。
そしてそのまま一定のテンションを保ち、「4ポスト印象派以降」の区画へ進んだ。
その瞬間、違う世界に足を踏み入れたような感覚に陥る。
ポール・セザンヌの2つの絵。
解説に目は向かなかった。
釘付けとはまさにこのことである。
明瞭な色の境界線。
太く力強い輪郭。
自分でも何がどういいのか説明できない。
ただその感覚を例えるなら、きっと恋に落ちるのと似ている。
この絵は、私のストライクゾーンにはまったのである。
見ているだけで、喉が熱くなる。
その絵を前にした瞬間、時間が止まったように周りの雑音が消え、絵との純粋な空間が出来あがる。
この会場を出てしまったらもう見ることはかなわない。
それを思うと、名残惜しくて何度も何度も見返した。
もはや片時も離れたくなかった。
その後見た絵は正直あまり覚えていない。
ゴーギャンやゴッホ、スーラの絵が並んでいたというのに。
(左)「赤いチョッキの少年」1866、油彩/カンヴァス、116.3×98.4cm
(右)「『レヴェヌマン』を読む画家の父」1866、油彩/カンヴァス、198.5×119.3cm、ポール・セザンヌ
その瞬間、体中に電撃が走った。
懐かしいような、それでいて私を突き放すほどの存在感。
今日は休み。
話題の企画展「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展 印象派・ポスト印象派 奇跡のコレクション」を見るために、相方と二人国立新美術館へ行ってきた。
一人1500円のチケット。
空が最高に綺麗だった。
国立新美術館は「シュルレアリスム展」以来。
展示会場は4つに区分されており、
入り口から「1印象派登場まで」、
「2印象派」、
「3紙の上の印象派」、
「4ポスト印象派以降」と年代に沿って作品を鑑賞することが出来る。
「3紙の上の印象派」の区画が終る頃には、
エドゥアール・マネ、
カミーユ・ピサロ、
エドガー・ドガ、
クロード・モネ、
そしてピエール=オーギュスト・ルノワールなど、
印象派として語られる彼らの絵画を堪能できる。
人の流れに乗って一つ一つ鑑賞していく。
なんといっても、大勢の客が訪れているので自分のペースで見るというような感じにはうまく持っていけない。
でも、いろんな人がいっぺんにそこにいる状況は結構面白かった。
絵を専門的な言葉で語る少女。
少女ばかり描くカサットをロリコンだと主張するレズビアン。
工事現場の作業服を着たおじさん。
知的な老夫婦。
秋葉原から迷い込んできたかのような青年。
そんな中、有名な絵画を目の前にして、私が抱く感情は「これ見たことある」というミーハーな喜び。
解説を読んではちょっと分かった気でいる。
そしてそのまま一定のテンションを保ち、「4ポスト印象派以降」の区画へ進んだ。
その瞬間、違う世界に足を踏み入れたような感覚に陥る。
ポール・セザンヌの2つの絵。
解説に目は向かなかった。
釘付けとはまさにこのことである。
明瞭な色の境界線。
太く力強い輪郭。
自分でも何がどういいのか説明できない。
ただその感覚を例えるなら、きっと恋に落ちるのと似ている。
この絵は、私のストライクゾーンにはまったのである。
見ているだけで、喉が熱くなる。
その絵を前にした瞬間、時間が止まったように周りの雑音が消え、絵との純粋な空間が出来あがる。
この会場を出てしまったらもう見ることはかなわない。
それを思うと、名残惜しくて何度も何度も見返した。
もはや片時も離れたくなかった。
その後見た絵は正直あまり覚えていない。
ゴーギャンやゴッホ、スーラの絵が並んでいたというのに。
(左)「赤いチョッキの少年」1866、油彩/カンヴァス、116.3×98.4cm
(右)「『レヴェヌマン』を読む画家の父」1866、油彩/カンヴァス、198.5×119.3cm、ポール・セザンヌ