何故か分かりませんが妙に地名が好きで、【東京・地名研究室】を楽しみにしています。今回も珍しい名前が取り上げられています。
こういう地名を知っていたら、大好きな「鬼平犯科帳」や「剣客商売」等を読んだり、テレビドラマを見ていても面白さが倍増しそうです。
産経ニュースより 2018.7.31
【東京・地名研究室】「角筈」「十二社」(新宿区) 住居表示で消えた地名
新宿「角筈(つのはず)」のバス停で父に置き去りにされた8歳の少年。46歳になった彼は、かつて角筈と呼ばれた街で酒に酔い、通りの向こうに父の姿を見る-。
浅田次郎さんの短編小説「角筈にて」では今は地図にない場所が、二度と会えるはずのない生き別れた父と息子の邂逅(かいこう)を演出する。
角筈は江戸時代以前からある地名で、現在の西新宿や歌舞伎町、新宿三丁目。由来は、名主の髪の束ね方が角のような形で里人が「角髪来る」と呼んだからなど諸説ある。
新宿中央公園の西側で「十二社(じゅうにそう)」と呼ばれたところは現在、西新宿となっている。紀州熊野神社を勧請した熊野神社が、紀州熊野の12の社の神々を熊野神社に一緒にまつったことが起源。神社は十二社の社を「そう」と読ませ、相、双など多くの文字をあてたという。
その北が「淀橋」。家電量販店「ヨドバシカメラ」は昭和42年、ここに「淀橋写真商会」を設立した。青梅街道に面した「柏木」の一部とともに西新宿となった。
こうした地名が消えたのは、いずれも住所をわかりやすく「○番○号」で表す「住居表示」に伴うもので、新宿区では40年から実施された。
3区合併で新宿区が成立する前に旧淀橋区だった区西側の地域で住居表示が進んだ一方で、区東側の旧牛込区と旧四谷区では、未実施の地域も多い。
多くの古い町名が今に引き継がれているほか、都営大江戸線牛込神楽坂駅近くの「北町」「中町」「南町」は、道路に境界を設定する現在の方法に対し、背中合わせの家の裏側を境界とする「背割り」のまま。江戸時代に下級武士に組ごとに与えられた大縄地の名残だ。
住居表示は各区市町村が実施するが、平成29年1月の東京都の調査では、新宿区の全面積に対して住居表示が実施されている割合は75・13%と、23区内では千代田区に次いで2番目に低い。町名の種類は94(各丁を含めると152)に上り、多くの町名が残っているといえそうだ。
区立新宿歴史博物館の橋口敏男館長によると、昭和50年ごろ、複数の町を統合して一つの町名とする傾向にあった住居表示に対し、反対の声が高まったという。
50年代後半以降は、既存の町名を生かした形での住居表示が少しずつ行われている。
橋口館長は「『本塩町』を『四谷本塩町』にするなど、近年は『四谷』を頭につけるのが人気。時代により名付けにも傾向があるようです」と話す。
歴史博物館のある三栄町は18年、3町を併合して成立し、その繁栄を祝福して名付けられた。住居表示の実施に伴い、今年8月13日から「四谷三栄町」に変更される。(社会部 高橋裕子)
【参考資料】新宿歴史博物館編集発行『新修新宿区町名誌』ほか。
どうやら、何回か見逃していたようです。
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角筈(つのはず)も読めませんでしたが、この「角」も、色々な読み方があるようです。我が香川の高松では、「鹿角」と書いて、「かのつの」と読まれる珍しい町名があります。
秋田にも違った読み方の町があるようです。
香川県高松市鹿角町(かのつのちょう)
角館(かくのだて)
鹿角市(かづのし)
果たして、こういう町名を残すのが良いのかどうか。郵便配達の方達には悩みの種かもしれないですね。
とは言いながら、やはり歴史から考えると残して貰いたいという気持ちは捨てきれません。
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