昨日も書きましたが、和歌が察する能力を鍛え、それを政治に活かすなんてねずさんの百人一種を読むまで想像したこともありませんでした。
戦後教育で、あんなものは貴族の遊びだと洗脳されていたのに気がついたのですが、既に時遅しです。とは言え、こうして少しずつでもねずさんの教えで知らない世界を知ることが出来たのは本当に有難いことです。
これも、ネットのお陰とも言えそうです。
今回も、そんな和歌を教えてくれています。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。
ねずさんの学ぼう 日本より 2021/07/03
大中臣能宣と 素性法師
・・・略
武将であれば、国を護るために戦わなければなりません。
けれど戦えば敵味方を問わず、尊い命をたくさん失うことになります。
戦えば人が死ぬのは当たり前と、人の命をなんとも思わない将軍や王が、世界の歴史にはたくさん登場しますが、日本の将は、昔も現 代も部下たちの命を、どこまでも大切にしてきたのです。
この素性法師の歌は、そういう日本の武人の心を、見事に象徴している歌なのです。
この歌を百人一首に選んだ藤原定家は、この歌の詠み手の名前に、元の左近将監だった頃の良岑玄利の名ではなく、そっと「素性法 師」と添えました。
その心、それが古来変わらぬ、日本人の心です。
人には言葉にできない思いがあります。
その言葉にできない思いを描くために、万言を用いるか、それとも短い言葉にその思いを凝縮するか。
それは文化の違いといえるかもしれません。
日本人はたった三十一文字の和歌の中に、伝えたい思いを凝縮する技術を築いたのです。
そしてその和歌の心が、今尚、多くの日本人の心の中に息づいているのです。
それがホモのオネエさんの歌なのですか?
和歌は「察する文化」です。
相手の良心を信じ、察し、一緒により高みに達していこうとするのが和歌の文化です。
そして、それこそが日本の心だと思います。
日本をかっこよく!!
それにしても、和歌や俳句などの文化を造り上げて来た我が先人は凄すぎます。その文化を捨てようとする戦後教育の恐ろしさを改めて思わずにはいられません。
やはり、「いい加減に目を覚まさんかい、日本人! 」ですね。今が、取り戻す最後の機会かもしれません。絶えてしまえば取り戻せなくなりそう。
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