■メイン写真
喜佐谷川上流、ハルカノ谷にかかる高滝
■今回のコース
宮滝→桜木神社→登山口(歌碑)→高滝→宮滝・御園分岐→横川覚範の首塚→大塔宮行徳碑
→三角点(中千本)→如意輪寺・後醍醐天皇陵→稚児松地蔵→宮滝・御園分岐→安楽寺→
宮滝
吉野川沿いにある宮滝や、吉野までの道のりは、美しい渓流や万葉集以来、たびたび
歴史の表舞台に出てくることで知られる。
観光面で盛り上げようと、これまでに「風水百珍の里」、「義経の道」、
「万葉セラピーロード」など、さまざまな打ち出しがなされている。
なお、宮滝から吉野山への道は「近畿自然歩道」でもある。
特に森林セラピーは、最近の流行にもマッチし、好評なようだが、
それにしても肩書が多すぎる感がある。確かに美しい道なのだが。
桜木神社。
屋根がついた洒落た橋、木末橋(こぬればし)で、象の小川(きさのおがわ)を
渡るのがなかなか風流。
橋を渡ると、樹齢7~800年、幹周り6.5~7mの御神木(大杉)に圧倒される。
歌碑のある分岐で林道とはおさらばして、右の山道に入る。
すぐに高滝への分岐があり、滝壺まで寄れる(メイン写真)。
登攀意欲が駆り立てられる滝だ。
しばらく美しい渓流を見ながら、高度を稼ぐと、右下の溪相が再び変化し、
2段10mほどの滝(さらに下に2mほどの滝が2段)が現れる。
もう少しで上千本というところで、シカの白骨を見つけた。最近よく見る。
ほぼ一体分があちこちに散乱していた。
上千本から見た、蔵王堂方面の眺め。
遥か彼方に二上山が見える。
桜には早いが、いろんな花が咲き始めており、目を楽しませてくれる。
大塔宮行徳碑では、気の早い桜がいち早く花をつけていた。
大塔宮行徳碑のすぐ上の小ピーク、火之見櫓には、四等三角点(点名:中千本)がある。
少し下りたところから、如意輪寺を眺める。このあと、そっちに行くよ!
中千本、多くの文豪が泊った老舗旅館・桜花壇の近くに、サクラソウが咲いていた。
如意輪寺。延喜年間(901~923年)、日蔵上人の草創。
南朝、北朝の対立において、後醍醐天皇が京を出て吉野に行宮を定められたとき、
勅願所となったという。
ここにも境内の脇に行者堂があり、役行者像があった。
境内の奥に、後醍醐天皇陵がある。
後醍醐天皇は「身はたとへ南山の苔に埋むるとも魂魄は常に北闕の天を望まん」と
京都へ帰れる日を望んでいたものの、1339年、吉野金輪王寺で逝去(52歳)。
その願いを表するため、天皇家の墓陵では唯一、北=京都向きの御陵となっている。
下山は、御園をめざす。
途中にある稚児松地蔵。
十分な幅の作業林道(未舗装)でひたすら下り、右がマツタケ山になる頃、
標高約420mあたりの分岐で右の山道を下る。
ジグザグと下り、小祠を過ぎて御園の集落に出る。
安楽寺の枝垂桜はもう見ごろを迎えていた。
「風水百珍の里」の風物の一つに数えられる、関電の水路橋。
美しい吉野川の流れを見ていたら、悠然と空を飛ぶ影が。
これはトンビかな? 猛禽類の識別、私にはムリ。
象の小川(喜佐谷川)が吉野川に合流するところは、滝になっており、
その下の淵が、万葉集で「夢のわだ」と呼ばれている。
「我が行きは久にはあらじ夢のわだ瀬にはならずて淵にしありこそ」大伴旅人
吉野山へのハイキングというと、青根ヶ峰まで登り、吉野駅方面に下るのが
定番だが、たまには変化球もいい。
いや、個人的には繁華街を避けた、この日のルートはかなり好みだ。
喜佐谷川上流、ハルカノ谷にかかる高滝
■今回のコース
宮滝→桜木神社→登山口(歌碑)→高滝→宮滝・御園分岐→横川覚範の首塚→大塔宮行徳碑
→三角点(中千本)→如意輪寺・後醍醐天皇陵→稚児松地蔵→宮滝・御園分岐→安楽寺→
宮滝
吉野川沿いにある宮滝や、吉野までの道のりは、美しい渓流や万葉集以来、たびたび
歴史の表舞台に出てくることで知られる。
観光面で盛り上げようと、これまでに「風水百珍の里」、「義経の道」、
「万葉セラピーロード」など、さまざまな打ち出しがなされている。
なお、宮滝から吉野山への道は「近畿自然歩道」でもある。
特に森林セラピーは、最近の流行にもマッチし、好評なようだが、
それにしても肩書が多すぎる感がある。確かに美しい道なのだが。
桜木神社。
屋根がついた洒落た橋、木末橋(こぬればし)で、象の小川(きさのおがわ)を
渡るのがなかなか風流。
橋を渡ると、樹齢7~800年、幹周り6.5~7mの御神木(大杉)に圧倒される。
歌碑のある分岐で林道とはおさらばして、右の山道に入る。
すぐに高滝への分岐があり、滝壺まで寄れる(メイン写真)。
登攀意欲が駆り立てられる滝だ。
しばらく美しい渓流を見ながら、高度を稼ぐと、右下の溪相が再び変化し、
2段10mほどの滝(さらに下に2mほどの滝が2段)が現れる。
もう少しで上千本というところで、シカの白骨を見つけた。最近よく見る。
ほぼ一体分があちこちに散乱していた。
上千本から見た、蔵王堂方面の眺め。
遥か彼方に二上山が見える。
桜には早いが、いろんな花が咲き始めており、目を楽しませてくれる。
大塔宮行徳碑では、気の早い桜がいち早く花をつけていた。
大塔宮行徳碑のすぐ上の小ピーク、火之見櫓には、四等三角点(点名:中千本)がある。
少し下りたところから、如意輪寺を眺める。このあと、そっちに行くよ!
中千本、多くの文豪が泊った老舗旅館・桜花壇の近くに、サクラソウが咲いていた。
如意輪寺。延喜年間(901~923年)、日蔵上人の草創。
南朝、北朝の対立において、後醍醐天皇が京を出て吉野に行宮を定められたとき、
勅願所となったという。
ここにも境内の脇に行者堂があり、役行者像があった。
境内の奥に、後醍醐天皇陵がある。
後醍醐天皇は「身はたとへ南山の苔に埋むるとも魂魄は常に北闕の天を望まん」と
京都へ帰れる日を望んでいたものの、1339年、吉野金輪王寺で逝去(52歳)。
その願いを表するため、天皇家の墓陵では唯一、北=京都向きの御陵となっている。
下山は、御園をめざす。
途中にある稚児松地蔵。
十分な幅の作業林道(未舗装)でひたすら下り、右がマツタケ山になる頃、
標高約420mあたりの分岐で右の山道を下る。
ジグザグと下り、小祠を過ぎて御園の集落に出る。
安楽寺の枝垂桜はもう見ごろを迎えていた。
「風水百珍の里」の風物の一つに数えられる、関電の水路橋。
美しい吉野川の流れを見ていたら、悠然と空を飛ぶ影が。
これはトンビかな? 猛禽類の識別、私にはムリ。
象の小川(喜佐谷川)が吉野川に合流するところは、滝になっており、
その下の淵が、万葉集で「夢のわだ」と呼ばれている。
「我が行きは久にはあらじ夢のわだ瀬にはならずて淵にしありこそ」大伴旅人
吉野山へのハイキングというと、青根ヶ峰まで登り、吉野駅方面に下るのが
定番だが、たまには変化球もいい。
いや、個人的には繁華街を避けた、この日のルートはかなり好みだ。