かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 223

2022-12-28 11:58:39 | 短歌の鑑賞
   2022年度版 渡辺松男研究2の29(2019年11月実施)
     Ⅳ〈悪寒〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P145~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取未放


223 孤独ではない・・・しかし雨の日は落ち葉のようにぺったりといる

       (レポート)
 「孤独ではない」といいつつ「落ち葉のようにぺったりといる」と負の感情を漂わせ、したがってとても深い孤独にいることが伝わってくる。雨滴のついた葉が「ぺったり」の語で、疎ましい感情につながり、取り除きたいのにくっついて離れない孤独を表現している。(泉)


      (紙上参加)
 雨の日の気分を、孤独ではないけれど落ち葉がぺったりと地に張り付くようにしていたいというのはわかるような、わからないような、でもそんな日もあるかな。(菅原)


     (当日意見)
★「ぺったりといる」のは〈われ〉ですよね。ひところ、定年後の夫が妻にべったり張
 り付いているのを濡れ落ち葉って揶揄したりしていましたが、これは誰かにではなく
 「ぺったりといる」は対象はなくて、一人で完結している動作ですよね。泉さん、
 「取り除きたいのにくっついて離れない孤独を表現している」は、「ぺったりとい
 る」のは〈われ〉ではなく、孤独が〈われ〉に張り付いているということですね。
   (鹿取)
★そういうことです。(泉)
★短歌に孤独って言葉はよほど覚悟しないと使えないですね。抽象的な観念ですから。
 「孤独ではない」って大見得きっても面白くない。下の句の「雨の日は落ち葉のよう
 にぺったりといる」の喩も効いてないですね。当たり前ですから。脱力します。
   (A・K)
★さっきの私の発言は間違っていたようです。「ぺったりといる」のは〈われ〉です
 ね。孤独ではないがその存在が消えてしまうことはないという二重否定。だから孤独
 なんだ。(泉)
★私は二重否定とも思わないけど、孤独ではないけど雨の日は憂鬱で落ち葉みたいにぺ
 ったりと存在しているよって。(鹿取)
★そうすると、ああそうですかって止まってしまう歌ですね。(A・K)
★「孤独ではない」というのが少し思わせぶりかなと思います。(岡東)
★孤独だからこそ孤独ではないと言い張っているのでしょう。(泉)
★221番の「冷蔵庫にそっと地球儀冷やすとき家族から遠く来てしまいたり」を
 A・Kさんは絶対的な孤独とおっしゃいましたが、確かにあの身震いするような恐ろ
 しい孤独感からすれば、この歌は甘いかもしれないですね。(鹿取)

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