かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 2(ロシア)

2020-02-16 12:08:05 | 短歌の鑑賞
馬場あき子の外国詠1(2007年10月実施)
   【オーロラ号】『九花』(2003年刊)135頁~
    参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、Y・S、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:K・I まとめ:鹿取未放

 ◆この一連は、なにげなく詠まれているようにみえて、歴史について、現代や現代の国の関係に
  ついて深く思いを凝らしている洞察力のある歌々である。2001年7月の「ロシアの帝都と
  黄金の環・吟行の旅九日間」には私も同行したため、一首鑑賞からはみ出して蛇足を加えてい
  る部分が多いが、懐かしさの故と思ってお許しいただきたい。


2 日本海海戦に堪へしオーロラ号海より革命の砲を撃ちきと

           (まとめ)
 1(日本海海戦より生還せしはただ二艦そのオーロラ号白きネヴァ川)にも記した日本海海戦をからくも生還したオーロラ号はニコラエフスキー橋付近に繋留されていたが、1917年10月25日、この艦から革命の合図の発砲がなされた。この砲を聞いてボルシェビキ革命軍は冬宮に突入を開始、一〇月革命が成就した。その後、このオーロラ号は練習船などを経て1948年現役を引退、ロシア革命の象徴として1956年からネヴァ川に繋留されている。(1でも記したが、このオーロラ号はレプリカだそうである。)
 この歌でも作者は感情表現を行っていない。いわば、伝聞だけで成立している歌である。しかし、ここには当時のロシア革命に対するシンパシーがあるようだ。ちなみにオーロラ号という名はローマ神話の曙の女神からとられている。この艦が造られた時、将来革命の砲を打つことになるとは予想もされなかっただろうが、「あけぼの」の女神と革命はいかにもふさわしい取り合わせである。
 もっともソ連が崩壊してしまって10年後の訪問時(馬場のロシアの旅は2001年7月)、オーロラ号付近は観光名所となり、おみやげ屋がひしめいていた。レーニンやゴルバチョフを含む歴代の大統領のマトリョーシカなども売られていて、市場経済導入後の民衆のたくましさを見せつけられるばかりであった。(鹿取)



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