(○・ω・)ノ゜・*:.。. ☆こんにちは☆.。.:*・゜ヽ(・ω・●) 【 福島原発自衛隊活動情報 】
緊迫状況が続く東京電力福島第一原子力発電所。自衛隊は、陸自中央即応集団(CRF)に所属する中央特殊武器防護隊(中特防)を中心に、被曝(ひばく)の恐怖と戦いながら、決死の作業を続けている。
「原子炉への放水など訓練したこともないが、我々はその任を全うしなければならない。今が正念場だ」
CRFの宮島俊信司令官(陸将)は、自らに言い聞かせるようにそう話す。
「原子炉の冷却機能が喪失した」との連絡で、震災当日の11日夜、中特防を現地に送り出した。中特防は核や生物・化学兵器によるテロ攻撃などに対処する専門部隊。全勢力の約160人が、放射能漏れに備えて派遣された。部隊は13日から冷却用の海水をくみ上げ、原子炉格納容器に注入する作業を指示された。
だが、14日午前11時過ぎ、3号機の原子炉建屋が水素爆発で吹き飛び、事態は急変した。
「隊員が行方不明」。事故の知らせにCRF司令部(東京・練馬)は凍り付いた。事故は隊員6人がポンプ車2台と四輪駆動車に分乗して現場に着いた瞬間だった。爆発した建屋と車両との距離は20メートル。吹き飛んだ外壁のコンクリート片が3台の車両を直撃、6人は大破した車からはい出し、自力で避難した。隊員4人が足の裂傷などのけがを負ったが、「外壁の破片が1メートルずれて落ちていたら、とても軽傷ではすまなかった」と陸自幹部は振り返る。
安堵(あんど)する間もなく、今度は原子炉建屋に対し上空からの放水を要請された。
山林火災で慣れているとはいえ、原子炉上空には高濃度の放射線が放出されている。放水の際、隊員はヘリの中で腹ばいになり、中央の穴から目標を見定めなければならない。陸自は急ぎ、放射線を透過しにくい鉛板をヘリに敷き、17日午前に離陸した。
CRF所属の第1ヘリ団(千葉)が、CH47ヘリ2機で計4回の空中放水を試みたものの、隊員が浴びる放射線量が多く、効果も限られていた。このため同日午後には、車両の中から放水できる特殊消防車による活動に切り替えた。
隊員は戦闘服の上に粉じんやウイルスの侵入を防ぐ衣服を着用、その上から厚さ3ミリの鉛板が埋め込まれた約15キロの放射線防護服を着込んでの作業だ。
放水目標は、3号機の使用済み核燃料一時貯蔵プール。「1号車命中」「2号車命中」。CRF司令部に次々と連絡が入る。
約50メートルの距離から放水した17日に比べ、18日は10~20メートルにまで接近した。防護服を着ても防げる放射線は限定的で、中特防の隊員が化学防護車の中で被曝線量を測り続けている。陸自幹部は「隊員たちはよく頑張っている」と語る。想定をはるかに超えた過酷な状況下で、作業は続く。(編集委員 勝股秀通)
【情報元】 YOMIURI ONLINE (2011年3月20日13時23分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110319-OYT1T00919.htm より全文
■ 今日以降使えるダジャレ『654』 ((φ(-ω-*)メモメモ・・・ボキッ!!☆_/o(`д´#)キィッ
【3205】 上野で食事、飢えの危機から救われた(・∀・)人(・∀・)
【3206】 近代的な動物園の平均台で、運動してみた(≧∇≦)
【3207】 公園で、香煙の良い香りが漂ったo(^-^o)(o^-^)o
【 記念日解説 】
※ 本日『上野動物園開園記念日』
● 1882(明治15)年のこの日、日本初の近代動物園として、上野動物園が上野公園内に開園した。
← 左サイドバーの応援ポチ(どれか3~4個程度)∩( ´∀`)∩ドォゾ (っ´∀`)っ))ヨロスィク。
☆ 明日の投稿もお楽しみに~ マタネーヾ(´∀`○人●´∀`)ノ"ByeBye
緊迫状況が続く東京電力福島第一原子力発電所。自衛隊は、陸自中央即応集団(CRF)に所属する中央特殊武器防護隊(中特防)を中心に、被曝(ひばく)の恐怖と戦いながら、決死の作業を続けている。
「原子炉への放水など訓練したこともないが、我々はその任を全うしなければならない。今が正念場だ」
CRFの宮島俊信司令官(陸将)は、自らに言い聞かせるようにそう話す。
「原子炉の冷却機能が喪失した」との連絡で、震災当日の11日夜、中特防を現地に送り出した。中特防は核や生物・化学兵器によるテロ攻撃などに対処する専門部隊。全勢力の約160人が、放射能漏れに備えて派遣された。部隊は13日から冷却用の海水をくみ上げ、原子炉格納容器に注入する作業を指示された。
だが、14日午前11時過ぎ、3号機の原子炉建屋が水素爆発で吹き飛び、事態は急変した。
「隊員が行方不明」。事故の知らせにCRF司令部(東京・練馬)は凍り付いた。事故は隊員6人がポンプ車2台と四輪駆動車に分乗して現場に着いた瞬間だった。爆発した建屋と車両との距離は20メートル。吹き飛んだ外壁のコンクリート片が3台の車両を直撃、6人は大破した車からはい出し、自力で避難した。隊員4人が足の裂傷などのけがを負ったが、「外壁の破片が1メートルずれて落ちていたら、とても軽傷ではすまなかった」と陸自幹部は振り返る。
安堵(あんど)する間もなく、今度は原子炉建屋に対し上空からの放水を要請された。
山林火災で慣れているとはいえ、原子炉上空には高濃度の放射線が放出されている。放水の際、隊員はヘリの中で腹ばいになり、中央の穴から目標を見定めなければならない。陸自は急ぎ、放射線を透過しにくい鉛板をヘリに敷き、17日午前に離陸した。
CRF所属の第1ヘリ団(千葉)が、CH47ヘリ2機で計4回の空中放水を試みたものの、隊員が浴びる放射線量が多く、効果も限られていた。このため同日午後には、車両の中から放水できる特殊消防車による活動に切り替えた。
隊員は戦闘服の上に粉じんやウイルスの侵入を防ぐ衣服を着用、その上から厚さ3ミリの鉛板が埋め込まれた約15キロの放射線防護服を着込んでの作業だ。
放水目標は、3号機の使用済み核燃料一時貯蔵プール。「1号車命中」「2号車命中」。CRF司令部に次々と連絡が入る。
約50メートルの距離から放水した17日に比べ、18日は10~20メートルにまで接近した。防護服を着ても防げる放射線は限定的で、中特防の隊員が化学防護車の中で被曝線量を測り続けている。陸自幹部は「隊員たちはよく頑張っている」と語る。想定をはるかに超えた過酷な状況下で、作業は続く。(編集委員 勝股秀通)
【情報元】 YOMIURI ONLINE (2011年3月20日13時23分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110319-OYT1T00919.htm より全文
■ 今日以降使えるダジャレ『654』 ((φ(-ω-*)メモメモ・・・ボキッ!!☆_/o(`д´#)キィッ
【3205】 上野で食事、飢えの危機から救われた(・∀・)人(・∀・)
【3206】 近代的な動物園の平均台で、運動してみた(≧∇≦)
【3207】 公園で、香煙の良い香りが漂ったo(^-^o)(o^-^)o
【 記念日解説 】
※ 本日『上野動物園開園記念日』
● 1882(明治15)年のこの日、日本初の近代動物園として、上野動物園が上野公園内に開園した。
← 左サイドバーの応援ポチ(どれか3~4個程度)∩( ´∀`)∩ドォゾ (っ´∀`)っ))ヨロスィク。
☆ 明日の投稿もお楽しみに~ マタネーヾ(´∀`○人●´∀`)ノ"ByeBye