リタイヤするころの社会的背景と私の思い
・小泉政権の理想
リタイヤのころは小泉政権華やかな時でした。
民でできることは民で・・・。
地方自治権を拡大して地方分権改革など私には魅力のある政策が叫ばれておりました。
私は、小さな政府の考え方に賛成。
そのために国民は国におねだりしているだけでは許されなくなります。
地方自治体が責任と権限を多く渡されるが、
自治体といえども小さい組織にすることが求められ、
結果として地域個人に自助・共助の努力が求められる。
そういう時代が確実に来ていました。個人責任の世界です。
でもそこには弱者切り捨てというリスクが出てきます。
弱者は切り捨てられませんが、これからも引き続き国民が手厚い国の保護のもとに生きられることは期待できません。
おねだり国民がおねだり自治体を作って、人気取りのために国は借金を重ねて要望に応えていく。
そのことがすでに限界にきてどうにもならないところに来ていました。
10年前です。
その後の10年間も反省することなく結局その罪を重ねてきました。
景気後退がやまず、格差拡大弱者切り捨て借金拡大という最悪な状態になって政権交代が実現し、
その政権がさらに迷走を繰り返して日本を不幸のどん底に陥れました。
そこに震災原発事故というとんでもない事態に見舞われています。
10年前に、民の自覚が大きく求められました。
そのために民はどう貢献すべきか、
自助共助を作り上げるにはだれがどんな努力をすべきか考えました。
企業は生産性を上げて利益を出して税金を払う。
企業をリタイヤして年金生活に入る人たちで
連携してニーズの発見とリーダーシップをとるべきだというのが、
自主的判断で退職を選んだ私の「つもり」だったはず。
・日経マスターズに心奪われて
ただ、そのころ報道で良く目にするのが、サラリーマンの地域デビューの失敗の話でした。
これには強い警戒心をもって、細心の注意をもってあたったつもりでも、
はたから見ると鼻持ちならぬやつに見えたに違いありません。
リスクを冒して現役を続け、プライドを傷つけられても踏みとどまるか
潔くリタイヤして地域の役に立とうかと考えているときに目にしたのが
「日経マスターズ」という雑誌創刊の話題でした。
この雑誌創刊を前にして、日経は仲間作りを進めていました。
その中に加わってこの雑誌がリタイヤ企業戦士の第2の社会貢献のホームベースになることを期待しました。
この創刊がリタイヤの決断をさせてくれました。
しかし、次第に人は遠ざかり、創刊の使命はずれて行き、
5年ほどの命で廃刊になりました。
今考えると、日経BPは日経マスターズの運営をリタイヤ企業戦士に任せるべきではなかったでしょうか。
現役の若手が、持ち回り人事の中で腰掛け的に編集担当していたのではないでしょうか。
あるいは、私たち一部が期待していた
リタイヤ組の社会貢献のホームベースという理想など実は少しもなく、
定年退職者の暇つぶしの本を狙っていたのでしょうか。
ついつい話がずれていきます。10年前の実態をもう少し説明しないといけません。