狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

創造主はヘブル人を「独立」させる為にエジプトを脱出させた・・・エジプトに手懐けられていたヘブル人と、戦後米国に手懐けられて来た古代ユダヤ人の多く住む日本との類似。経済は精神を麻痺させる

2017-04-03 18:59:26 | 社会・経済
 日本は戦後、現在に至るまで「経済」を優先して来た。戦後復興の頃は何も無かったからそれで仕方が無かったのかもしれない。その復興も兼ねた高度経済成長期を遠くに過ぎて、日本人の一般は物で満ち溢れ、食事に困る事も無く、戦争に参加する事も無く、比較的安定した生活を送る事が出来ている。
 しかしそれと引き換えにして、毎日まいにち満員電車や渋滞の中で出勤し、会社の中では迎合してイエスマンとなり、残業で追われる程に仕事を抱えて、心身両面において抑圧されてストレスを抱えている。
 食べていく為、生活の安定の為、家族を養う為、と、まるで奴隷になるが如くに、精神的に甘んじている様に思える。
 そして何よりも、古来からの日本精神、武士道精神がアメリカによって骨抜きにされ、強い者に対する抵抗力・反抗力が奪われ、米国に隷従する様にと手懐けられて来た。かつての日本人は、独立意識が強かった。大東亜戦争で米国に敗れるまでは、国家滅亡の危機に晒されながらも欧米列強の餌食にはならず、それどころか列強国となって欧米と肩を並べるまでとなっていたのである。そして、大東亜戦争においては、日本の独立精神がアジアの国々に影響を与えて、アジア各国を欧米の植民地から解放すると同時に独立を促したのである。
 今から3,500年前、ヘブル人(イスラエル人、ユダヤ人)はエジプトで奴隷となっていた。しかし、奴隷ではあったが、食べ物は満足に食べられる程に保障され、住居も与えられて、生活は安定し、困る事が無かった。
 しかし神は、その「奴隷根性」に染まり甘んじていたヘブル人達を「独立」させる為に、モーセを指導者として選び、ヘブル人達を約束の地カナンへと強制的に連れ出させた
 そのエジプト脱出の苦難の過程においては、食事を満足に与えられていた生活の方が良かったと懐かしみ、ヘブル人達はモーセに対して不平不満をぶつけたのだった。
 古代ユダヤ人が多く住む日本。その日本が戦後、米国に手懐けられている事と、3,500年前にヘブル人(ユダヤ人)がエジプトで手懐けられていた事の類似が、私には意味深長の様に思えてくるのである。
 「経済」は「精神」を麻痺させる、或いは「平和ボケ」ならぬ「お金ボケ」にさせるのである。

 旧約聖書・出エジプト記3章14節
  「神はモーセに仰せられた。『わたしは、『わたしはある。』という者である。』また仰せられた。『あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。』」
 同書3章16~17節
  「行って、イスラエルの長老たちを集めて、彼らに言え。
   あなたがたの父祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神、主が、私に現われて仰せられた。『わたしはあなたがたのこと、またエジプトであなたがたがどういうしうちを受けているかを確かに心に留めた。
  それで、わたしはあなたがたをエジプトでの悩みから救い出し、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の地、乳と蜜の流れる地へ上らせると言ったのである。』」
 同書16章1~3節
  「ついで、イスラエル人の全会衆は、エリムから旅立ち、エジプトの地を出て、第二の月の十五日に、エリムとシナイとの間にあるシンの荒野にはいった。
  そのとき、イスラエル人の全会衆は、この荒野でモーセとアロンにつぶやいた。
  イスラエル人は彼らに言った。『エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。』
 同書17章2~4節
  「それで、民はモーセと争い、『私たちに飲む水を下さい。』と言った。モーセは彼らに、『あなたがたはなぜ私と争うのですか。なぜ主を試みるのですか。』と言った。
  民はその所で水に渇いた。それで民はモーセにつぶやいて言った。『いったい、なぜ私たちをエジプトから連れ上ったのですか。私や、子どもたちや、家畜を、渇きで死なせるためですか。』
  そこでモーセは主に叫んで言った。『私はこの民をどうすればよいのでしょう。もう少しで私を石で打ち殺そうとしています。』
 旧約聖書・民数記11章1~6節
  「さて、民はひどく不平を鳴らして主につぶやいた。主はこれを聞いて怒りを燃やし、主の火が彼らに向かって燃え上がり、宿営の端をなめ尽くした。
  すると民はモーセに向かってわめいた。それで、モーセが主に祈ると、その火は消えた。主の火が、彼らに向かって燃え上がったので、その場所の名をタブエラと呼んだ。
   また彼らのうちに混じってきていた者が、激しい欲望にかられ、そのうえ、イスラエル人もまた大声で泣いて、言った。『ああ、肉が食べたい。
  エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。
  だが今や、私たちののどは干からびてしまった。何もなくて、このマナを見るだけだ。』

 本ブログ過去の関連記事
  ・2013/10/06付:「旧約聖書・出エジプト記を通して現代社会を見る」

 引用文献
  ・新改訳聖書(発行:日本聖書刊行会)

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