講師は高橋哲哉東京大学名誉教授。
世界で死刑廃止国は147カ国、存置国は55カ国、つまり死刑制度が残る日本は少数派。先進国で死刑存置国は日本とアメリカだけらしい。アメリカも州単位では死刑廃止州が多数。バイデン大統領も死刑廃止は公約の1つだそう。日本で死刑廃止を公約にした首相はいない。
世界史的に、死刑廃止は第二次大戦後の国際人権法に始まる。しかし敗戦国だった日本はその法律に署名していないそうだ。
日本が廃止しないのは森山真弓法相が「日本の死刑は文化」と言ったところにある、いわゆる「ハラキリ文化」だと言う。腹を切ってお詫びする、と言う感覚は確かに日本の自殺率の高さに現れている。しかし、ハラキリは自身で責任を取る行為、他者が切るのは詭弁である。
犯罪人引渡し条約と言うのがあるが、欧米に比べて日本は引渡し条約を結んだ国が極端に少ないと言う。要は外国人が犯罪を犯した時に、母国ではなく日本で裁判したいのである。
一方、日本国憲法を見るに、13条、31条、36条に死刑を否定すると思われる条文がある。
しかし、1948年3月12日の最高裁の判決では、死刑についてあいまいなもの、ただし、時代が変わり、国民感情に変化があれば、判断は変わるとだけ述べている。
死刑制度に対するアンケートでは、残念ながら現在も8割が賛成。その一方、「絞首刑」に関する是非は問われていない。つまり、死刑の現場を国民に知らされていないままのアンケートである。国民に刑罰の現場を知らせてこそ問うべき。その結果、さらに踏み込んだ国民感情を問うことができるだろう。絞首刑は残虐でも、薬物注射による死刑は残虐ではない、と言うアンケート結果もありうる。
さて死刑の残虐性の話の次に、死刑と言う刑罰の在り方について。存置派の主張の主張は「被害者や遺族の気持ちが収まらない」と言うもの。すでに犯罪抑止力としての死刑は根拠が弱い、と言う認識は広がっている様子。報復感情は自然な感情ではあるが、最終的に報復の合法化は殺人行為が際限なく続くことになる。被害者遺族への手当は最大限行われるべきだが、遺族は被害者本人ではないので、報復感情で死刑は限度を超えている、と言う主張。
カントは存置派の哲学的根拠として大きい。正義の法則として、国民感情とか関係なく、殺人には死を以て報いなければならない、と言う記述がある。これは現代には無理があるな。殺人罪に対してなんの情状酌量もなく自動的に死刑になったら、司法の存在意義はなんなのか。その一方で、殺人の残虐性に対する均等性(残虐なら残虐な死刑、そうでないならおとなしい死刑)もなじまないと言う。また、強姦などの性犯罪は報復自体が不可逆的で、別の刑罰を提案している。
さて死刑と戦争。戦争での殺人は国家が非常事態であるがゆえに、それを容認する(例外状態)。しかし死刑とは?非常事態ではないのに例外状態と言えるだろうか?
死刑判決が下される時には犯人はすでに国家権力の中で無力化されており、「公共の福祉」にとって危険な要素はなにもないのにあえて殺すと言う例外中の例外である、と言う。
また、えん罪についても。冤罪は回避できない、公権力が持つリスクだと言う。ゆえに、冤罪による死刑も免れ得ない。
質問タイム、欧米と日本で死刑に対する感情が違うのか。まあ、鎌倉殿みたいなドロ沼の殺し合いの歴史を見てしまうとありそうな気もするが、他の国だって同じような歴史を乗り越えて来たわけで。
実は哲学者で死刑廃止を明確に謳った人はいないらしい。もちろん否定的な思索はあるが、完成した主張を書き残した人はまだいないと言う。
まあ、私の主張は単純で、死刑のある国は、軍隊が国民に銃口を向ける可能性がある国だから、死刑を廃止しないと、日本でも天安門事件のような可能性は否定できないから。
と言うことで、高橋先生の貴重な講演、ありがとうございました。
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