DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

人工知能とIS

 人工知能は科学技術の粋を集めたもの、と言う意味では最高に洗練されたもののように思える。しかし私は本質的にはISのような野蛮さとしてとらえている。
 今日の人工知能は自ら学習する能力を持つ。ビッグデータを解析して、最適解を求めようとする。そのことは大した問題ではない。
 問題は人工知能が“意味”を追求するようになったらどうなるか、と言うこと。意味とは、本質的に解釈する行為者が何らかの意図があって初めて成り立つ。意図がない行為者にとっては花なぞ美しくないし、命の大切さなんてものも分からない。意味が分かる、と言うのは命あるものの特権である。
 果たして、人工知能が子孫を残したり、限りある寿命を自ら認識したりする日は来るのだろうか。人工知能が“意味”を理解すると言うことはそういう世界が来ることである。それまでは人工と言う機械はインプットを加工してアウトプットするだけの存在でしかない。
 もし人工知能が“意味”を理解した場合、人間に個性があるように、それは学習の仕方によって1つひとつ異なる、つまり人間の推測できない答えを出す代物となる。そのような存在が人間の遥かに及ばない計算能力、そして物理的な力を持っていたら、抑止できない暴力的存在となる。
 ISが人工知能と似ているのは、意味に対して極端な解釈をする彼らが、中途半端に“意味”を理解する人工知能と類似形をなすと考えるからだ。子孫を残すと言うことは死を前提にしていると言っても過言ではないし、そんな実装が人工知能にされるとは思えないが、中途半端な“意味”はISのような暴君に人工知能を変えるだけ、と考える。
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