DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

コミュニケーションの不可能性

 数日前の記事で、自分の遊び場についての「どこでもアウェイ」感覚について述べた。コミュ障の基本は「話が通じないこと」である。言葉が通じない、と言うことではなく、会話やネットのつぶやきにおいて、「前提を共有」しないと話題そのものが共有できない。周りがスポーツの話で盛り上がっているのにアニメや音楽の話で唐突に話題を変えるのは難しいが、実際人と人の距離はそういう理由で容易に開く。こんなものは夫婦や家族の会話とかでは当たり前のことではないか。妻がいかに家事の工夫をしたか、買い物での苦労話をしたところで、現場にもいなかったし興味もない夫には相づちを打つのがやっとで、そこで的確な言葉のキャッチボールができる人は相当の人格者だ。
 つまり、そのような思いの食い違ったコミュニケーションは今に始まったことではない。そういう場では人は沈黙する。つまり沈黙もまた、立派なコミュニケーションである。飯、風呂、寝る、のような命令口調は問題だとしても、立場のずれを超えなければならない重要な話でなければ、沈黙も必要だと思う。
 しかし今日“コミュニケーション”と呼ばれているものは、まさに夫婦のすれ違いのようなよくある場面でも相手を理解せよ、と言う訳である。そんなことが果たして可能なのか?まあ家事や買い物なら夫に手伝ってもらえば同じ立場に立てない訳ではない。しかしクレーマーの言い分のような世間離れしたものだと、まあ相手の立場になって考えるのは不可能だろう。
 僕は、居場所があるのって窮屈だと思っている。昨日はヲタな日記ばかり書いて、今日は突然、社会問題をあれこれ議論してる。特定の一面を見てもらいたいならミクシィには「コミュ」と言うものがあるのだし、個人のページは色んな面が出てしまうのが基本だと思っている。それで意見や考え方がずれるのは仕方ない、いやそれどころか、食い違いを明記することこそ自分の日記の主旨と言ってもいいくらい。これだけ日記を大量に投稿していても、決して僕にとってここは居場所ではない。だからイイネが全く着かないような状況になっても、僕は不断に投稿を続ける。心配することはない。今ここでレスポンスがなくても、1年後、10年後にレスポンスが来るかもしれない。芸術だったらその人の死後に評価されることもよくある話。そこで望んだコミュニケーションができていればそれでよし。
 さらに、こんな市井の話ばかりではなく、欧米とイスラムの対話、日本と北朝鮮の対話などの国際情勢に話を移そう。そこに“沈黙”を作ることもまた、立派なコミュニケーションではないか。実際、北朝鮮は本来対話したい相手の韓国とはまるで話し合う機会がない。それによって二国は安定した状況を作っていて、日本も朝鮮半島情勢で悩まされることはない。むしろ中途半端な言い合いをしてるアメリカの方が事を荒立てている。
 北方領土の話はなかなか進展を見せないが、そのおかげで今のところ相手国のロシアが脅威になる場面はない。本当に話が噛み合わないのであれば、沈黙は最も良いコミュニケーションと考える。
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