DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

ブラタモリ 9/30

 高知。なんと近江アナは高知で生まれた!桂浜、砂浜にあんな舗装された道があるのか。坂本龍馬像のタモリさんの印象感想がオカシイ>ちょっと食べ過ぎたかな。お題は「高知の町はなぜ坂本龍馬を生んだか」。案内人さんは曲がり道好きでタモリさんと意気投合。
 坂本龍馬の像が向いているのはアメリカ。そんな龍馬を生んだ高知の近代史に地形からアプローチしようと言う試み。
 高知城へ。東西北と結構四国山地が近い。なんと南も山、桂浜は見えません。龍馬は城のすぐ西側。そこで生まれたことがどうして幕末ヒーローを生んだか。おっ、案内人さん早稲田ジャズ研の後輩さんでしたか。城下町に不自然な盛り上がり、いったい何?商店街の表通りへ。どうやら橋の跡、70年前には堀があったと言う。お堀の跡の公園。おっ、雨だ。堀の内側は上級武士、外側は町人の町。土佐藩の身分制度厳しいな。その下級武士の不満が原動力だったかも、と言う説が唱えられます。よさこい節をみんなで合唱。おっ、近江アナが詳しい、さすが地元生まれ。
 堀の埋め立て跡は立派な車道。おっ、ついに堀の水面が現れる、そのすぐ先は川へ。すごい長絵巻。当時この辺りは物流センター。もちろんその川はすぐ太平洋へ。
 しかし見事に海風を防いでくれる山脈、向かった先に第二の案内人。こちらには砂浜のすぐそばまで岩の崖が。岩もいろんな岩が。なんでこんな複雑な岩が?元々海底のプレートの岩が作り上げたもの。
 マーガリンで実験。なるほど、プレートが沈み込むところに岩山ができると。そこに川の侵食で切れ目ができて、盆地でありながら開運に恵まれることに。プレートテクトニクス理論と言う地質学の夜明けも作った(^O^)
 雨は止みました。種崎へ。造船所があったらしい。なるほど、龍馬は船好きだったと。タモリさんも船好きだったが、志が全然違う:-)
 普通に人が住んでいるお宅へ。龍馬が土佐に最後に来た部屋。そんな部屋が現存してるのですね。そこに当時の世界地図が。龍馬の夢の原点がありました。いい旅でした、と感慨に耽る。
#次回は黒部ダム。
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