DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

グローバルな正義、ローカルな正義

 ある人にとっての正義が別の人にとっての悪、と言うのはよく聞く話だが、それはその正義がローカルな特徴を持つからではないか。
 家族を守るとか、国を守るとか、素朴な愛のあり方は当然認めなければならない。とは言え、その境界を超えたとき、あなたの正義は変わることなく正義だと言えるだろうか。いや、今日の多様性能登社会において、ごく身近な人にかけた愛情すら、徒になることも少なくなくなってきた。
 そういう家族を守る、国を守ることが、過剰な自尊心にすり替わっていないか、そういう客観視が必要な時代である。
 正直言うと、ここ岩手県のローカル番組、必要以上に自県をひいきする。天気予報とかはそれでも良いが、なんか日本全体を、世界全体を見る目が育たないな、と思わせるほど偏っている。もう少し他県の情報も報道すべきではないか、岩手県が成長する以上に岩手県が井の中の蛙になりやしないか、心配になることがある。コンビニの新聞売場も、ローカル紙が強く、全国紙が弱い。これではますます地方が取り残されていく、そういう危機感を覚える。
 正義の範囲が狭くなるのは、地方に限らず日本全国、いや世界全体に蔓延した、インターネット時代ならではのローカリズムがあるせいだと思う。むしろインターネットによって、情報の選別が個人的なものとなり、広がりが逆に閉ざされている状態が蔓延している。トランピズムはその象徴的な出来事で、イギリスも同様の病でEUを離脱、中国韓国と仲が悪い日本も例外ではない。死刑問題も被害者感情ばかりクローズアップされ、実際には罪のない加害者家族が社会から追放されてしまう問題もある。
 せっかくネットが発達したのに、«外の世界»を見ようとしない人が多すぎる。そういう人は外の世界をちゃんと勉強してから正義を語って欲しい。
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