DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

説明と言う格差の壁

 基本的に、弱者はなぜ自分が弱者であるかを説明できない。児童が親に虐待されても子ども自身が警察にとどけることはないし、痴漢被害者の女性も裁判所でなんでもかんでも話せる訳ではない。貧困に陥っている人ほど頑張っている。そもそも、外出することに困難があるから引きこもりになるのであって、外出が苦でなければ引きこもりにならない。引きこもりでない人が引きこもりの頑張りをなかなか理解できない。独居老人なんかだって、どうして家族と一緒に暮らせないのか、本人どころか世間一般でも説明がされていない。
 自分の状況を説明できると言うことはそれだけで困難を半分抜け出せたようなものである。他者に説明できれば救いの手をさしのべてもらえるし、それ以前に、説明できるほど自らの問題を整理できていれば、困難からの脱出方法を見つけられる。
 説明とは単なる言語能力だけではないし、総合的な知力である。自分の置かれている環境を先ず理解することが難しい、だいたいそういう人は自らの意思とは違う道のりを歩いている。目標のある人だってスランプに陥れば自分を見失うし、ましてや目標がなければ困難において非常にもろい。
 世間に希望するのは、弱者が自分の立場を説明できる強さを持つこともさることながら(そもそもそれが困難だから困っているのであって、弱者にそれを期待するのは無茶ぶりである)、「困っています、理由は聞かないでください」と言う人に手をさしのべる環境を作って欲しい、と言うこと。そうすると親切を悪用する連中も必ず現れるが、それは後から損害賠償請求することとし、先ず弱者に問答無用で手をさしのべる環境を整えることが大事だ。
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