昭和9年(1934年)11月に開催された陸軍特別大演習で昭和天皇が行幸され、その記念碑が赤城山山頂の大沼の畔にありますが、もう一つの行幸記念碑が畜産試験場にあることを知り訪ねてみました。
事務棟の前の芝生の広場に行幸記念碑は立っており、その他に牛馬やニワトリなどの慰霊碑もありました。
行幸記念碑の裏面に刻まれている説明文の白文と読み下し文を添付しましたのでご覧ください。
(行幸記念碑と寄付者名簿)
(行幸記念碑裏面)
(霊蟲養蜂之碑)
(畜魂碑)
(養鶏碑)
(行幸記念碑裏面白文)
行幸記念碑裏面読み下し文
(表面)
行幸記念碑
群馬縣知事従四位勲三等金澤正雄書
(裏面)
昭和九年(1934年)群馬、埼玉及び栃木三縣下に於いて陸軍特別大演習が挙行され畏れ多くも天皇陛下におかれては演習を御統裁の爲に同年十一月十日鳳輦(ほうれん※1)を前橋市に進めさせられた。演習が御終了の後、即ち同月十五日、畜産業を御奨勵(ごしょうれい※2)の聖上(せいじょう※3)が湯淺宮内大臣、本庄侍従武官長、町村行幸主務官が供奉(ぐぶ※4)し、そのほかは後藤内務大臣、唐澤警保局長、金澤群馬縣知事以下が扈従(こしょう※5)して當場に行幸され山﨑農林大臣、三矢帝室林野局長官、三樹内務部長、平本農務課長、種畜場職員及び縣内畜産組合の役職員等の奉迎を受けさせられ事務所階上の御座所に入御(にゅうぎょ※6)された。そして久合田場長並に新田技師に謁を賜い汲みて、場長の業務奉上を受けさせられた後、同場長が御先導して事務所の北方約百五十米の地に陳列する種畜場で飼養する種牡馬三頭、種牡牛二頭、種牡豚種牝豚各一頭、種牡緬羊二頭、種牝山羊二頭、種鶏三番、種鶩(ぼく※7)一番、他に縣内産の民間所有の牝馬三頭、種牝牛五頭、種牝豚二頭、種牝緬羊三頭、種牝山羊二頭、鶏三番、種兎三番並に種畜場傭人の奉仕するホームスパン(※8)の實演を順次御熱心に天覧遊ばされ、正午に御座所に入御し御晝餐(ごちゅうさん※9)の後、更に赤城山に向はせられ御歸途に再び聖駕を本場に寄せられ御少憩の上、天機(てんき※10)麗しく行在所に還幸遊ばされ顧(かえりみる)に 陛下が畏れ多くも大御心を畜産業の興隆に注がせ賜う御聖上は我等の恐懼措く能わざる所にして洵(まこと)に感激に堪えないところであり、仍(よ)って縣内篤志者の援助を得て此處に碑を建て以て聖上を永久に記念せんとす
昭和十年一月十日
群馬縣種畜場長地方農林技師従五位勲五等久合田米三郎これを識(しる)す
※1:鳳輦(ほうれん)天皇の正式な乗り物の総称
※2:御奨勵(ごしょうれい)奨励に同じ。ある事柄を、よいこととして、それをするように人に強く勧めること
※3:聖上(せいじょう)天皇陛下の敬称、碑文には「上」の下に「日」が刻まれている。
※4:供奉(ぐぶ)行幸などの行列に供をすること
※5:扈従(こしょう)貴人につき従うこと
※6:入御(にゅうぎょ)内に入ること
※7:鶩(ぼく)アヒル
※8:ホームスパン(手紡ぎの太い紡毛糸を用い、手織りにした素朴で野趣のある毛織物)
※9:御晝餐(ごちゅうさん)昼食
※10:天機(てんき)天子の機嫌
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