赤城山山頂の新坂平駐車場に「赤城山観光道路開鑿記念碑」があります。
前橋市街地から赤城山山頂に至る県道4号線は大正9年(1920年)4月1日「前橋黒保根線」として群馬県道指定されたが指定経路自体は、勢多郡黒保根村水沼(現・桐生市黒保根町)から赤城山上に登り、勢多郡富士見村(現・前橋市富士見町)側へ下って前橋市街地に至るものでしたが、黒保根側中途から赤城山上までの区間は未開通でした。
昭和9年(1934年)昭和天皇の赤城山行幸の時は地蔵岳下の一杯清水から車を降りて徒歩で新坂平を越えて見晴山から大沼湖畔まで行かれました。これを契機に赤城山山頂域の御料地の払い下げを受け従来の県有地を併せて昭和10年(1935年)に群馬県立赤城公園が設置され赤城山の観光開発が進むことになりました。
自動車道路が開通したのが昭和30年(1955年)のことでした。その後県営の赤城山南面有料道路(愛称:赤城白樺ライン)として整備され、平成7年(1995年)無料化されました。
(表面)
赤城山 観光道路 開鑿記念碑 群馬縣知事 北野重雄書
(裏面)
昭和30年3月31日待望の赤城登山自動車道が新坂平まで開通しました これは北野知事が地蔵頂上の無電中継所建設を機會に各方面から寄附をつのって昭和29年9月1日に着工したものでこの仕事にたずさわったものはみんな奉仕的な努力をおしみませんでした この道路は関係者一同が心から協力し合って作りあげたところに大きな意味があると思いますのでここにそのことを記します
昭和30年4月15日
赤城登山自動車道路関係建設業者一同
一 建設協力者
群馬縣
前橋市
勢多郡富士見村
東武鉄道株式會社
東京電力株式會社
電源開発株式會社
ニ 企画設計工事監督者
群馬縣技師 佐藤久平
仝 飯塚利一
仝 星野春重
仝 石原定壽
仝 樋口保司
三 工事施工者
富士見土建工業株式會社
池下工業株式會社
荻野土木株式會社
橋元工業株式會社
稲村工業株式會社
塩原建設株式會社
大豊建設株式會社
阿部建設株式會社
前橋 大島石材店 刻
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