デンマンのブログ

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奇抜な動物たち

2024-02-17 02:48:46 | 地球・環境・自然・動物・ペット

 

奇抜な動物たち

 


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デンマンさん。。。、今日は ユニークで奇抜な動物たちを取り上げるのですか?


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そうです。。。かなり変わった動物たちです。。。まず、次の野生のトーキャン(toucan)を見てください。。。

 


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上のクリップに出てくるトーキャン(toucan)は野生だとは思えない。。。たぶん、バナナを与えているのが飼い主ではないのか? 鳩のようにトーキャンを飼い慣らしたのではないか? 僕は、クリップを観ながらそう思ったのですよ。。。

 



オオハシ(toucan)

 

オオハシ科(おおはしか、学名 Ramphastidae)は、鳥類キツツキ目の科である。

オオハシ(大嘴)またはきょしちょう(巨嘴鳥)と総称される。
小型のものはチュウハシ(中嘴)とも呼ぶ。

中南米(カリブ諸島は除く)に生息する

アルゼンチン北部、エクアドル、エルサルバドル、ガイアナ、グアテマラ、コスタリカ、コロンビア、スリナム、ニカラグア、パナマ、ブラジル、フランス(仏領ギアナ)、ベネズエラ、ベリーズ、ペルー、ボリビア、ホンジュラス、メキシコ南部。

 

形態

全長30–60cm。最大種はオニオオハシで全長66cm。

嘴は大型で、薄い角質で覆われ、中が中空で多数の骨質の支えがある。
嘴が大型化した原因については不明だが、細い枝の先にある果実を採食できる、警告色、個体識別に役立つなどの説がある。

最近の研究によると、オニオオハシでは、嘴内の微細な血管を通じ、体内の熱を逃がす「ラジエーター」の役割をしている。

 

生態

熱帯雨林に生息する。一部の種では夜間に樹洞の中で休む。

食性は植物食傾向の強い雑食で、主に果実を食べるが、昆虫、小型爬虫類、鳥類の卵や雛なども食べる。

樹洞に卵を産む。雌雄交代で抱卵する。育雛も雌雄共に行う。




出典: 「オオハシ科」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



日本ではあまり見られない変わった鳥を見たあとで、次は賢いカラスです。。。棒を使って、パイプの中にある餌をを突き出して食べるのです。。。

 


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カラスは犬よりも頭がいいと言われているのです。。。



マジで。。。? 犬の方が頭が良さそうですけれど。。。

あのねぇ_、鳥って ちょっと見た目には脳みそが小さくて 犬のアタマの良さには及ばないと思うかも知れないけれど、意外にアタマがいいのです。。。例えば、次の鶏はオモチャのピアノを演奏します。。。

 



 



飼い主が特訓したのでしょうけれど、確かに、犬には こういう演奏はできないと思いますわァ〜。。。見たことがありません。。。



次は、とてもフレンドリーなラクーン(あらいぐま)です。。。

 


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野生のラクーンは、このようにフレンドリーではないのですよ。。。僕の知り合いの家で飼われていた黒猫は尻尾(しっぽ)をラクーンに喰いちぎられてしまった。。。

 




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真由美ちゃんの下宿先のジョニーおじさんが飼っていた黒猫のマヤは真由美ちゃんが初めてバンクーバーにやってくる半年ほど前に ラクーンに襲われてシッポを半分喰いちぎられてしまったのですよ。 

 


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その時 ジョニーおじさんが棍棒を持ってラクーンを追い払わなかったら、命があったかどうかもわからない。



あらっ。。。 そういうことがあったのですか?

ジョニーおじさんはマヤを獣医さんのところにも連れて行った。 ギャングリーンになると、命にもかかわると言うので、シッポを全部切り取ることにしたのだそうです。 手術代だけで2000ドル近くも かかったそうですよ。

それほど高額なのですか?

保険をかけてなかったから、高かったのですよ。 しかし、ラクーンに襲われたことで恐怖に陥ったのか、ジョニーおじさんの姿を見ると マヤは逃げるようになってしまった。

あらっ。。。 うふふふふふ。。。 ラクーンとジョニーおじさんが仲間だと思い込んでしまったのですかァ~?

マヤは そう連想したようなのですよ。 だから、ますます人になつかなくなってしまった。

でも、私には よくなついてますわ。

だから、優しくしてくれる人間は猫でも解るのですよ。 猫も人を見るのですよ。。。真由美ちゃんは黒猫のマヤに気に入られたのですよ。

 


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『猫の記憶』より
(2021年10月8日)


 



野生のラクーンって意外に凶暴なのですわねぇ〜。。。



見た目は、ちょっと可愛い感じなのだけれど、自分と同じぐらいの大きさの動物を襲いますよ。。。

 



アライグマ(racoon)

 

アライグマ (洗熊、浣熊、Procyon lotor) は、哺乳綱食肉目アライグマ科アライグマ属に分類される哺乳類。
アライグマ属に属する動物のうち最も広く分布している種である。

原産地はメキシコ、アメリカ合衆国、カナダ。これらの原産地では重要な狩猟獣となっている。

アメリカ合衆国、エルサルバドル、カナダ、グアテマラ、コスタリカ、ニカラグア、パナマ北部、ベリーズ、ホンジュラス、メキシコに自然分布。
分布の北限は18世紀にはアメリカ合衆国南部であったが、農地の拡大等によりカナダ南部まで北上している。

ヨーロッパには1930年代に毛皮獣として移入された。
ドイツやフランスなどのヨーロッパ諸国、旧ソ連のベラルーシやアゼルバイジャン、西インド諸島といった国々にも外来種として定着している。

日本では1962年に岐阜県で野生化が始まったとする説があり、その後1970年代に多く輸入・飼育されるようになり、それに伴って逃亡や放獣などによる野生化が各地で発生したとみられている。

 

生態

森林や湿地・農耕地、都市部などの、幅広い環境に生息する[3]。アメリカにおける都市部への生息範囲の拡大は顕著で、最初の都市部への定着報告は1920年代に始まり、ワシントンD.C、ニューヨーク、シカゴ、トロントなど各地の都市に拡大している。
夜行性。
自分で巣を掘ることはなく、他の動物が地中に掘った巣穴、木の洞、時には農家の納屋や物置などで休む。

四肢に水掻きはないが泳ぐことが可能で、後ろ足で立つこともでき、木登りもうまく立体的な行動をみせる。

行動圏は基本的に直径1-3キロメートルの範囲で、都市近郊に暮らす個体群は狭くなり、低い個体数密度では逆に拡大するといったように環境条件によって変化する。
オスの行動圏のほうが広く排他的で、その中に複数のメスの行動圏が共有している。

寒い地方に棲む個体は気温がマイナス4度以下になると冬ごもり(半冬眠)を行う。
これは真の冬眠とは異なるが、活動は大きく減退する。

雑食性で、両生類、爬虫類、魚類、鳥類(卵)、哺乳類(死骸を含む)、昆虫類、 甲殻類、その他の無脊椎動物、植物(果実など)と非常に幅広い食性を示す
水生生物の中では、とくにザリガニ類を好む。

具体的に捕食対象となる生物は、両生類の場合はサンショウウオやカエル、昆虫を含む無脊椎動物の場合は甲虫、トンボ(幼虫・成虫とも)、バッタ、アリ、ハチ、水生カメムシ類、ミミズ、カタツムリなどで、魚類の場合はブラックバス、コイ、ナマズ、ウナギ、パイク、マスなどが挙げられる。

爬虫類はあまり捕食しないが、まれにヘビやトカゲを食べることがあり、変わったところではウミガメの卵を餌とする事例もある。
海岸沿いに生息するアライグマは、二枚貝(カキやイガイ)、エビ、カニ、ウニなどを食べ、テキサス州のメキシコ湾近辺ではシオマネキを主食としている。

齧歯類を捕食することもあり、ときにはイノシシやシカの死骸を食べる姿も観察されている。
また、人間の居住地近くでは、生ごみを利用するアライグマもいる。

英語圏では、ゴミを漁る様子と、パンダに似た色模様から、trash panda(ゴミパンダ)の俗称がある。
ちなみに、アライグマを罠で捕獲する際の誘引餌には、スナック菓子(キャラメルコーン)やマヨネーズ、揚げパンといった人間の食べ物を用いがま二本脚で歩き持っていくこともある。

和名は、視覚があまりよくなく、また掌の触覚が非常によく発達しており、前足を水中に突っ込んで獲物を探る姿が手を洗っているように見えることから。
種小名lotorは、ラテン語で「洗うもの」の意。

よく知られているものを水につけて洗うような行動は、水辺で獲物を捕るという通常の行為が飼育下などの抑制された環境下で発現したものか、また水が無くとも乾燥した食物をこする行動が報告されていることから、「洗う」というよりは「手で物を感じる」ことに関連があるようである。

雌は1歳、雄は2歳で成熟し、2歳以上の妊娠率はほぼ100%といわれている。
繁殖期は広域分布するため地域変異が大きく、アメリカ合衆国では12月から8月で主に2 - 3月に交尾を行う。

妊娠期間は60 - 73日。1 - 7頭(主に3 - 4頭)の幼獣を生む。
1度目の繁殖に失敗しても2度目の発情が存在し、その場合は夏に出産する。

それぞれ個別の縄張りを持つ複数の雄がその縄張りと交差する行動範囲(雄の縄張りとは不一致)を持つ複数の雌と交尾出産する多夫多妻制であり従来一夫多妻と言われていたのは雄の縄張りと交差することなくむしろレアケースとして雄の縄張り内に雌の行動範囲が限定された場合に限られている、雌が子育てをする。

ピューマ・コヨーテ・オオカミ・クマ・クズリ・ワシミミズク・アメリカワニ・ミシシッピワニなどの天敵は一応存在するものの、アライグマにとって最も脅威となる生物は人間である。

アイオワ州における事例では、死因の判明しているアライグマのうち、78%が狩猟や駆除、10%が交通事故によって死亡していた。
寿命は最も長いもので野生下では13-16年、飼育下では22.5年という記録があり、幼獣の死亡率も低い。
ただし、北米など狩猟が行われている地域の野生個体群の平均年齢は2歳以下とされる。

 

人間との関わり

北米大陸では経済的に最も重要な狩猟対象となっており、毛皮はヨーロッパへも輸出されてきた。

アメリカの国民的英雄であるデイヴィッド・クロケットを題材にしたテレビドラマが1950年代に放映された際、彼の愛用していたアライグマの毛皮から作られたスキン・キャップ(皮の帽子)が、当時のアメリカの子どもたちのあいだで大ヒットした。
この流行によって、多くのアライグマが狩猟され、一時的に数を減らしてしまうまでに至った。

日本国内でもアライグマの毛皮を用いた製品は「ラクーン」と表示され、広く流通している(ただし、タヌキの毛皮が同じ名前で流通することがあり、問題視されている)。

アライグマの肉はジビエとして提供されることもある。




出典: 「アライグマ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



次は、魚を上手に取り上げるイヌワシです。。。

 


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あらっ。。。ずいぶんと見事に魚をつかまえるのですわねぇ〜。。。



イヌワシは鷹の仲間だけれど、昔から「狩りの名人」として知られていたので、イヌワシを飼い馴してもっぱら鷹狩に使われたのですよ。。。

 



鷹狩

 

鷹狩(たかがり hawking)は、飼いならした鷹を山野に放って行う狩猟の一種。
鷹狩でいう「鷹」とは猛禽類の総称のことである。
タカ科のイヌワシ、オオタカ、ハイタカ、およびハヤブサ科のハヤブサ等を訓練し、鳥類や哺乳類(兎・狼・狐など)を捕らえさせ、餌とすりかえる。
鷹野、放鷹とも言う。

こうして鷹を扱う人間は、鷹匠(たかじょう)と呼ばれる

 


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日本語の古語においては鳥狩(とがり)、鷹田、放鷹、鷹野などとも称する。
また、鷹を訓練する場所は鷹場(たかば)と称される。

鷹狩はアジアの遊牧民の間で発達した狩猟法である。

紀元前3000年から紀元前2000年ごろの中央アジアないしモンゴル高原が起源と考えられているが、発祥地と年代について定説はない。

 


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アッシリア王サルゴン2世の時代(紀元前722-705)になると明らかな証拠が存在する。
中国では周の時代、紀元前680年ごろに鷹狩りの存在が確認できる。

ヨーロッパには紀元400年ごろ、フン族とアラン人の侵入の際に持ち込まれたと考えられている。
神聖ローマ帝国のフリードリヒ2世(1194-1250)は鷹狩りに深い造詣を持ち、さらに十字軍遠征の際に中東の鷹狩りについて書かれた解説書をラテン語に翻訳している。

フリードリヒ2世は『De arte venandi cum avibus(鳥類を利用した狩猟技術)』という鷹狩りの研究書を書いており、この書は鷹狩りについて包括的にまとめた初めての書であるだけでなく、鳥類学と動物学の発展にも大きく寄与している。

歴史的に鷹狩りは中世貴族の娯楽または権威の象徴であり、時間、金銭、空間などが必要とされることから貴族階級や富裕層に制限されてきた。
鷹は黄金よりも高額で取引されることもあり、豪胆公フィリップの息子ジャンがオスマン帝国に囚われたときには、バヤズィト1世は身代金として20万枚の金貨の申し出を断り、12頭のシロハヤブサを要求している。

近代以前は、東は日本、西はアイルランド、モロッコ、北はモンゴル、スカンディナヴィア、南はインドに至るユーラシア/北アフリカ全域で各地方独特の鷹狩文化が開花した。

現代では、かつて盛行したインドやイランで絶滅しかけている反面、南北アメリカおよび南アフリカでも行われている。

 

日本の鷹狩り

古代

日本では支配者の狩猟活動は権威の象徴的な意味を持ち、古墳時代の埴輪には手に鷹を乗せたものも存在する。
日本における鷹狩りのもっと古い記録は日本書紀の仁徳天皇の時代(355年)に鷹狩が行われ多くの雉を捕ったとある。
その鷹を調教したのは百済の帰化人・酒君(さけのきみ)だというから、日本の鷹狩文化は大陸から伝えられた文化のひとつであったことがうかがえる。

タカを調教する鷹甘部(たかかいべ:鷹飼部)が置かれたという記録がある。
天皇の鷹狩をつかさどる役職として放鷹司(大宝令)/主鷹司(養老令)が置かれたが、鷹狩は朝廷や貴族の猟であり団体行動を行う軍事訓練としての側面もあった。

古代には専門職としての鷹匠が生まれるとともに、獲物の減少を防ぐため禁野(きんや)という一般の出入りを制限する禁猟区が設けられた。

正倉院に放鷹司関係文書が残っており、長屋王邸跡から鷹狩に関連する木簡が出土している。

平安時代に入ると新設の蔵人所にも鷹飼が置かれ、主鷹司が天皇の鷹狩を、蔵人所が贄調達のための鷹狩を管轄するようになる。
だが、仏教の殺生禁止の思想の広まりにより鷹狩に否定的な考えが生まれて鷹の飼育や鷹狩に対する規制が取られるようになり、清和天皇は真雅や藤原良相の助言を受け入れる形で、貞観2年(860年)に主鷹司の廃止と蔵人所の鷹飼の職の廃止が行われ、以降鷹の飼育に関する規制が強化された。

次の陽成天皇の元慶6年(882年)に蔵人所の鷹飼のみ復活され、蔵人所が鷹狩を管掌する。

奈良時代の愛好者としては大伴家持や橘奈良麻呂が知られ、平安時代においては、初期の桓武天皇、嵯峨天皇、陽成天皇、光孝天皇、宇多天皇、醍醐天皇らとその子孫は鷹狩を好んだ。

嵯峨天皇は鷹狩に関する漢詩を残しているほか、技術書として『新修鷹経』を編纂させている(818年)。
現存する鷹狩技術のテキストとしては世界で2番目に古い。

中期以降においても、一条天皇、白河天皇などの愛好者が現れたが、天皇自身よりも貴族層による鷹狩が主流となる。
坂上田村麻呂、在原行平、在原業平は鷹狩の名手としても知られ、源信は鷹狩の途中で事故死したと伝えられている。

鷹狩は文学の題材ともなり、『伊勢物語』、『源氏物語』、『今昔物語』等に鷹狩にまつわるエピソードがある
和歌の世界においては、鷹狩は「大鷹狩」と「小鷹狩」に分けられ、中世にいたるまで歌題の一つであった。

「大鷹狩」は冬の歌語であり、「小鷹狩」は秋の歌語である。

古代の鷹狩は仏教の殺生禁止の思想と神道における贄献上の思想(天皇についてはこれに王土王臣思想が加わる)のせめぎ合いの中で規制と緩和が繰り返されてきたが、最終的には天皇と一部貴族による特権とされるようになった。

また、鷹狩の規制は鷹の飼育や狩りで生活をしてきた蝦夷の生活を圧迫し、平安時代前期の蝦夷の反乱を原因の一つになったとする見方もある。

 

近現代

明治維新後、鷹狩は大名特権から自由化され、1892年の「狩猟規則」および1895年の「狩猟法」で9年間免許制の下に置かれた。
1901年の改正「狩猟法」以後、狩猟対象鳥獣種・数と狩猟期間・場所の一般規制のみを受ける自由猟法として今日に至る。

明治天皇の意により、宮内省式部職の下で公儀鷹匠の雇用・育成も図られたが、第二次世界大戦後、宮内庁による実猟は中絶した。

宮内省鷹匠の技術は、村越仙太郎(1857? - 1937年)・花見薫(1910 - 2002年)ら、退職した宮内省/宮内庁の公務員的鷹匠により有志に伝えられたとされるが決定的根拠に欠ける。

現在活動している鷹狩従事者(松原英俊を除く)の多くが個人の趣味である。
近代の民間団体としては、中西悟堂も発起人に名を連ねた日本放鷹倶楽部(1936年)があった。

村越に師事した丹羽有得(1901 - 1993年)の門下からは日本鷹狩文化保存会、森覚之丞研究会、吉田流鷹狩協会など、花見薫の門下からは日本放鷹協会が結成されている。

大原総一郎が丹羽を招聘して設立した日本鷹狩クラブは、大原の没後の1982年に改組・改名され、日本ワシタカ研究センターとなっている。
2000年代に入ると鷹のペット需要が高まり、これまでと異なる類いの鷹匠が誕生する中で石橋美里が挙げられる。

 

明治以降(東北)

一方、明治以降、東北地方において、当初士族層・一定の資力のある農民・マタギの間でクマタカによる雪山の鷹狩が広がりを見せた。
クマタカの飼育自体は鎌倉時代から見られ(古今著聞集)、中世の鷹書においても「角鷹」への言及が見られる。

東北地方の「鷹使い」の起源は明らかでなく、幕末以前に遡る見方もあるが、用具とその名称に共通・類似するものがあることから、武士の鷹狩が土着化したものと見られる。

名手として知られた三浦恒吉(1863 - 1938年)は、院内の伝助なる人物の流れを汲むが、旧戸沢藩鷹匠家の佐々木甚助とも親交があった。
東北地方の「鷹使い」は生業鷹匠として発展したが、第二次世界大戦後の経済状況の変化で急速に衰亡し、武田宇市郎(1915-1992)の没後、現在では沓沢朝治の下で1年間学んだ松原英俊がいる。

 


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NHK『鷹(たか)を継ぐもの』
初回放送日: 2023年6月30日

山形・月山。50年近く、クマタカと狩りに出る暮らしを続けてきた孤高の鷹匠。
数百年の伝統が危機に瀕するなか、都会から弟子入りを志願する高校生女子が。
厳冬の記録。

孤高の鷹匠、松原英俊。
月山を望む山形の里で“森の王者”と呼ばれるクマタカと狩りに出る生活を50年近く送ってきた。
だが数年前、脳卒中を患い、左目も失明。さらにクマタカが老衰、数百年続くタカ狩りの伝統は消滅の危機に

そこに都会から弟子入りを志願する高校生女子がやって来た。
松原は別種のタカで、狩りの極意を伝えようとするが…。

厳冬の日々、タカ狩りに魂を燃やす姿を4Kの圧倒的映像美で描く。

【語り・手嶌葵】




『鷹を継ぐもの』より





出典: 「鷹狩」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



あらっ。。。随分古くから鷹を使った猟が行われていたのですわねぇ〜。。。



紀元前2000年頃にモンゴルで鷹狩が始まったと言うのだから、確かに古くからタカを飼い馴らして狩りに使ったんですよ。。。

ところで、鷹(タカ)と似たような鳥で鷲(ワシ)がいますよねぇ〜。。。いったい、どう違うのですか?

実は、僕もそういう疑問を持っていたのですよ。。。調べてみました。。。

 





 


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鷹(たか)とは、タカ目タカ科に属する鳥のうち比較的小さめのものを指す通称で、鳥類の一種である。
オオタカ、ハイタカ、クマタカなどの種がいる。

タカ科に分類される種にて比較的大きいものをワシ(鷲,Eagle)、小さめのものをタカ(鷹, Hawk)と呼び分けているが、明確な区別ではなく慣習に従って呼び分けているに過ぎない。

また大きさからも明確に分けられているわけでもない。
例えばクマタカはタカ科の中でも大型の種であり大きさからはワシ類といえるし、カンムリワシは大きさはノスリ程度であるからタカ類といってもおかしくない。

 

人間との関わり

縄文時代の遺跡からはタカ類の骨が発掘されており、当時は人間の食料であったと考えられている。

鷹の糞は「鷹矢白」(たかのくそ)として、医薬品として用いられたことが平安時代の医薬書である『本草和名』(ほんぞうわみょう)に記載されている

鷹の羽などが、家紋として使用されている。

1996年(平成8年)3月28日発売の1000円普通切手の意匠に雪村周継の『松鷹図』が採用された。

タカ科及びハヤブサ科の鳥は優れた狩猟の能力をもつため、古くから多くの国で厳しい訓練を施したうえで鷹狩に使われてきた。
鷹狩では狩りによって鳥の種類が使い分けられた。

モンゴルや中央アジアの遊牧民の間では「鷹」という言葉が力ある者の象徴として人名に用いられた。
トゥグリル・ベグの「トゥグリル」やオン・ハンの本名「トグリル」はいずれも鷹という意味である。

イソップ寓話には『鷹と矢』という話がある。
内容は、ある鷹が獲物の兎を狙おうと岩の上から目を凝らしていた。そこへ物陰に潜んでいた射手が矢を鷹目がけて放った。矢は心臓に突き刺さり鷹は倒れた。虫の息の鷹が矢の矢羽根を見ると、矢羽根は鷹の羽で作られていた、というもので「己を滅ぼす者は己である」といった教訓を導く話となっている。

 


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長野県では昔、タカの捕獲が盛んだった。タカの巣から幼鳥などを捕獲したので「巣場」がつく地名がみられる。森巣場、右京巣場、日向巣場、麦草巣場、六助巣場、抜井巣場、善右衛門巣場、原小屋巣場、などである。

また、タカの眼球やタカの爪を煎じて飲むという伝統風習が長野県阿智村や喬木村にあった。

鵜や鷹が獲物を探す様子に例えて、少しも見逃さずものを探し求める様子や、その目つきを表す慣用句に「鵜の目鷹の目」というのがある

 

鳥の一般名

鷹 (たか、タカ科)
鳶 (とび、タカ科)
鷲 (わし、タカ科)

隼・鶻 (はやぶさ、ハヤブサ科)
鴉・烏 (からす、カラス科)
雀 (すずめ、スズメ科)
燕 (つばめ、ツバメ科)
鶴 (つる、ツル科)
鳩 (はと、ハト科)
梟 (ふくろう、フクロウ科)
鴨 (かも、カモ科)
雁 (がん、カモ科)
雉 (きじ、キジ科)
鶏 (にわとり、キジ科)




出典: 「鷹」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



比較的大きいものをワシ(鷲,Eagle)、小さめのものをタカ(鷹, Hawk)と呼び分けているのですわねぇ〜。。。



明確な区別ではなく慣習に従って呼び分けているに過ぎない、と言うのですよ。。。また大きさからも明確に分けられない、と言うのです。。。

そう言われると なんだか混乱しますわねぇ〜。。。

例えば、クマタカはタカ科の中でも大型の種であり大きさからはワシ類と言えるし、カンムリワシは大きさはノスリ程度で、タカ類と言ってもおかしくない、というのです。。。

ところで、イヌワシと呼ばれるワシは大型の鷲ですかァ〜?

羽根を広げると2メートル50センチにもなるそうです。。。羊や、ヤギや、時には狼も襲うことがあるそうですよ。。。

 


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羊や、ヤギや、時には狼も襲うことがある、というのはすごいですわねぇ〜。。。



稀には人間も襲うというのだから’、ジュンコさんも気をつけないといけませんよ。。。では、次はカニが自殺するのを見てください。。。

 


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あらっ。。。普通、動物は火を嫌うでしょう!?。。。このカニは自分から火の中に入っていきましたねぇ〜。。。



たぶん、これまでの生涯で一度も火を見たことがなかったのですよ。。。

でも、熱いから ビックリして たまらずに飛び出してくるでしょう!。。。でも、このカニはまるで感覚が麻痺したようにじっとしたままで焼死してしまったようですわねぇ〜。。。それまでに、マジで火を見たことがなかったのでしょうか?

多分見たこがなかったのでしょう! あまりの熱さにショック死したのですよ。。。

信じられませんわ。。。

人間以外に動物が自殺することがあるのか? 調べてみましたよ。。。

 



人間以外に自殺をする動物はいますか?

 



 

ネズミとかレミングの自殺はガセです。
哺乳類で自殺を行うものは人間以外には知られていません。
(例外的な状況で、自殺に見えなくも無い行動を取ることはありえますが。)

一方、社会性昆虫の中には自己犠牲的な行動を取るものがいくつもいます。
例えば、ミツバチの類は一刺しで針が内臓ごと抜けるので死にます。
また、Suicide boming ant(自爆アリ)の兵隊アリは自爆して毒液を撒き散らすことが知られています。

ただし、これらについては当事者達に自殺という意思があるわけではなく、あくまでプログラムに沿った死だと考えられるので、人間の自殺とは多少異なります。

社会性昆虫は女王以外は子孫を残さないワーカーです。
女王を守ることがそのまま自分の遺伝子を後世に残す手段なので、自殺してでも女王を守るという戦略が進化しうるのです。

逆に言うと、生殖と労働を行う個体が分かれていない普通の生物では、理論上、絶対に自殺という行動は進化しません。
なぜなら、自殺するような本能を持つ個体は子孫を残せないために、すぐにその本能を持つ系統が絶えてしまう
からです。

人間は今のところ、そういった自然(あるいは人為)淘汰から解放されたおそらく唯一の生物なので、自らの意思での自殺は人間の特権とも言えます。




『Yahoo!知恵袋』より





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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも上のカニのように火の中に入って自殺しないでくださいね。

想像しただけでも熱すぎますわァ〜。。。

ええっ。。。「そんなことは どうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」

あなたは、そのように わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。。。

じゃあ、ホログラムを使った面白い動画をお見せしますわァ〜。。。

 



 

「面白いけれど、それだけじゃつまらん。他に何か面白いことを話せ!」

貴方が 更に そう言うのでしたら、ワンワンちゃんの面白い動画をお目にかけますわ。。。

ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!

 


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ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたなは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?

わかりましたわァ。。。

では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。

日本の古代史にも、興味深い不思議な、面白いお話がありますわァ。

次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。


天智天皇は暗殺された

定慧出生の秘密

藤原鎌足と長男・定慧

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?



ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。

 


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『後家殺し』

『奇想天外』

『下女のまめは納豆』

『オペラミニ』

『三角パンツ』

『サリーの快楽』

『ラーメン@ゲブゼ市』

『安心できない@病院』

『ブルマー姿@自転車』

『女性の性欲研究』

『頭のいい馬』


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とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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マグダラのマリアの真実

2024-02-17 02:30:01 | 歴史四方山話


 

マグダラのマリアの真実

 


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ケイトー。。。 どういうわけでマグダラのマリアを取り上げる気になったのォ~?


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たまたまバンクーバーの市立図書館で借りたDVDを借りて映画を観ていたらマグダラのマリアが出てきたのですよ。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』


 



 





 

デンマンのコメント

 

This DVD has three episodes. One of those is the real Mary Magdalene---the so-called most famous prostitute in the history.

She came from the town called Magdala.

Her name means "The tower of salted fish". The bible doesn't say that Magdalene is a prostitute.

She lived a harsh life. She'd never married.

The Nag Hammadi book found in 1945 gives scholars a new insight about Mary Magdalene.

Eye-opening and intriguing!




このDVDには3つのエピソードが含まれている。 その一つは、歴史上最も有名な娼婦だと言われているマグダラのマリアだ。。。本当はどのような女だったのか?ということを追求する話である。

彼女はマグダラという町からやって来た。

彼女の名前は「塩漬けにした魚を保存する塔」という意味だ。 聖書にはマグダラのマリアが娼婦だったという記述はない。

マリアは厳しい人生を歩み、一生結婚しなかった。

1945年にナグ・ハマディで見つかった古文書を学者が研究した結果マグダラのマリアについて新しい事実が解った

この映画は興味深く、これまで知らなかったことを教えてくれる。



 



なるほどォ~。。。上のドキュメンタリーを観て何か発見したことでもあったのォ~?



いろいろとマグダラのマリアについて面白い話をしていました。。。シルヴィーは一応キリスト教徒だよねぇ~。。。マグダラのマリアのことを教会ではどのように教えたァ~?

マグダラのマリアは、お金持ちの家に育ったのよ。。。でも、その美貌と富ゆえに快楽に溺れ、身を落として罪深い女、つまり娼婦になったのよ。。。後で、イエスに出会い悔悛したというの。。。そういう話だったわ。。。。

僕も、だいたい同じような話を聞いてましたよ。。。映画を観ると、ほとんどの映画はマグダラのマリアを娼婦として扱ってました。。。念の為に、マグダラのマリアのことを調べたら、ウィキペデアには次のように書いてありました。。。

 



マグダラのマリア

 


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マグダラのマリア(ラテン語: Maria Magdalena)は、新約聖書中の福音書に登場する、イエスに従った女性である。
マリヤ・マグダレナとも音訳される。

正教会・カトリック教会・聖公会の聖人で、正教会では「携香女(けいこうじょ)」「亜使徒」の称号を持つ。
この「携香女」の称号と、上の写真のイコンに描かれるアラバスターの香油壷を持った姿は、磔刑後のイエスの遺体に塗るための香油を持って墓を訪れたとの聖書の記述に由来している。

共観福音書では、マグダラのマリアは「イエス・キリストが十字架にかけられるのを見守り、イエスが埋葬されるのを見、そして墓の方を向いて座っていた婦人たちの中で、最も重要な人物」とされる。

西方教会において娼婦をも意味する「罪深い女」とされるため、ニコス・カザンザキスの『最後の誘惑』やダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』のような現代小説をはじめとして、イエスとの結婚を伝える種々の伝承があるが、歴史的根拠は見出されていない。

 


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西方教会では男性原理を重視し組織形成していたため、マグダラのマリアを「イエスの死と復活を見届ける証人」であるとともに、教義上「悔悛した罪深い女」とした。

東方教会(正教会)ではこのような「罪深い女」との同一視はしていない。
これについては多くの解釈があり、真実ははっきりしていない。

したがって娼婦をも意味する「罪深い女」とマグダラのマリアを関連付ける伝承は、西欧・西方教会(ことにカトリック教会)独自のものである

 

四福音書中の記述

マグダラのマリアについて四福音書がはっきり語っているのは、イエスによって七つの悪霊を追い出されたこと、磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届けたこと、そしてイエスの復活に最初に立ち会い、「すがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから」とイエスに窘められたことである。

『マタイによる福音書』などによれば、彼女は復活の訪れを弟子(使徒)たちに告げるため遣わされた。
このため彼女は初期キリスト教父たちから「使徒たちへの使徒」と呼ばれ、正教会での彼女の称号「亜使徒」はこの事績に由来する。

マグダラのマリアともう一人のマリアは、安息日が終わって、週の初めの日の明け方にイエスの納められている墓に向かった。
その時、大地震が起こり、墓の入り口を塞いでいた大きな石が転がり、墓の入り口が開いた。
『マタイによる福音書』によればそれは天使の仕業であり、墓の中にはイエスの遺体はなかった。

 

外典の記述

20世紀になって『(マグダラの)マリアによる福音書』(断片のみ)、『トマスによる福音書』(ナグ・ハマディ写本から)、『フィリポによる福音書』などが発見された。

これら外典の中でマグダラのマリアは、イエスとの親密な様子や、男性たちと並ぶイエスの弟子として記述されている。

『トマスによる福音書』では、ペトロが「この女性(マグダラのマリア)は私達の下から去ったほうがいい」と、マグダラのマリアを排斥すべきと、イエスに進言したのに対し、イエスは「私は彼女を天国に導くだろう」と応える。

そして「私が彼女を男性にするために、彼女もまた、あなたがた男性たちに似る生ける霊になるために」と、謎めいた理由を言う。

これら最新の聖書研究は、イエス宣教の旅での女性たちの役割や、マグダラのマリアの地位を見直させることとなった。

 

伝説

マグダラのマリアは古来より東方教会・西方教会いずれの教会でも崇敬されてきたが、ことにカトリックでは特有の多くの伝説で彩られている。

マグダラのマリアとベタニアのマリアは同一人物であり(第二バチカン公会議以後は別人とされることが多い)、マグダラのマリアは晩年にイエスの母マリア、使徒ヨハネとともにエフェソに暮らしてそこで没し、後にコンスタンティノポリス(現イスタンブール)に移葬されたとされている。

伝説中のマグダラのマリアは、たとえばヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』などによれば、金持ちの出自であって、その美貌と富ゆえに快楽に溺れ、後にイエスに出会い悔悛したという。

そのため、娼婦をも意味する「罪深い女」との異名を与えられたり、ルネサンス以降「マグダラのマリアの悔悛」を主題とする絵画、彫刻が多く制作された。
このイメージはカトリック教会の作為が関与していると指摘されている

 


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洞窟のマグダラのマリア
(ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル)


 

イエス昇天後、兄弟ラザロ、マルタ(マリアの姉)らとともに南仏マルセイユ(あるいはサント=マリー=ド=ラ=メール)に着き、晩年はサント=ボームの洞窟で隠士生活を送ってその一生を終え、遺骸はいったんエクス=アン=プロヴァンス郊外のサン=マクシマン=ラ=サント=ボームに葬られたと信じられた。

ヴェズレーのサント=マドレーヌ大聖堂はその遺骸(頭蓋骨)を移葬したと主張している。
しかし、サン=マクシマン側はいまも遺骸を保持していると主張しており、一部はパリのマドレーヌ寺院にも分骨されている。

 

娼婦だったか?

『ルカによる福音書』が紹介するマグダラのマリアの記述は、次のものだけである(ルカ8:1-3, 23:55)。

イエスに七つの悪霊を追い出された
マグダラの女と呼ばれるマリア
そのほか多くの婦人たちと一緒に
自分の持ち物を出し合って
一行に奉仕していた
ガリラヤから付き従ってきた

カトリック教会では、『ルカによる福音書』(7:36-50)に登場する「罪深い女」と彼女が同一人物とされた。

この女性がどのような罪を犯したのかは記載されていないが、性的不品行と説明されてきたようであり、それが娼婦とされていた原因かもしれない。
彼女は(悔悛した)娼婦の守護聖人でもある。

いっぽうでカトリック信仰の強い国々を中心に、娘を名付けるにあたってこの聖女の名が好んで使われている。
諸文学で彼女の娼婦的な過去を扱うものが多いが、職業的娼婦であったとするものはあまり見受けられない

しかし、キリストを描いた映画の多くが、彼女がかつて娼婦であったとの設定で登場させている
2018年公開の『マグダラのマリア』はマグダラのマリアをイエス・キリストの使徒のひとり(復活の証人)として初めて描いた映画となった。

 

イエスと結婚していた?

さきの『最後の誘惑』では、十字架上のイエスがマグダラのマリアとの結婚生活を夢想する。
また、1982年に英国で刊行されたノンフィクション“Holy Blood, Holy Grail”(日本語版:『レンヌ=ル=シャトーの謎』)で著者らは、イエスとマグダラのマリアが結婚しており、子供をもうけたという仮説を示した。

マーガレット・スターバードもこれに追随し、1993年『マグダラのマリアと聖杯』で、イエスとマリアとの間の娘をサラとした。
2003年の小説『ダ・ヴィンチ・コード』がそれをストーリー中に使っている。

シンハ・ヤコボビッチとバリー・ウィルソンも、2014年出版の“The Lost Gospel: Decoding the Ancient Text that Reveals Jesus' Marriage to Mary the Magdalene” (日本語版『失われた福音-「ダ・ヴィンチ・コード」を裏付ける衝撃の暗号解読』2016年)の中で、2人の聖なる婚礼や交わり、子供を二人もうけたことなどを詳細に記録した古代シリア語文書を解読している。

結婚していたとする論では、あちこちに暗喩や象徴の形で残っていると主張している。
西洋美術には、作品の中にシンボルとしての形や色を配し、暗示的に表現する手法がある。

古くから、主流の宗派以外の主張は異端として迫害されたり、証拠品を焼き払われたりしてきた歴史があるため、迫害の対象となるような表現について芸術家達はその暗示的手法を用いてきた。

明示的なものでは、2-3世紀ごろの著作と見られる『フィリポによる福音書』の記述がある。
国を治める者によって宗教内容の統制が行われ、統率者の意向にそぐわない教義は隠蔽や書き換え、迫害が行われてきたことから、この結婚という内容もその隠蔽の1つであるとみられている。
イエスの結婚を巡っては、近年さまざまな研究書、追跡書などが出ている。

20世紀の半ばに、ナグ・ハマディ写本の発見などにより、これまで異端の書として隠されていた書物がその姿を現してきた。
エレーヌ・ペイゲルス (Elaine Pagels) は、娼婦を否定し妻とするのは「同じ見方の裏と表」であると指摘した。

ペイゲルスによれば、「男たちは、マグダラのマリアにイエスの弟子でも、リーダーでもなく、性的な役割だけを与えようとして、このようなファンタジーを作っているのではないかとさえ思える」と主張している。

しかし史実の対象となる古書の中に、イエスが結婚をしていなかったという具体的な表現もなく、太古の時代に地球上のあらゆる文化でリーダーとしての女神崇拝があったことの名残でもあるマグダラのマリアの存在に恐れを感じた組織が、「性的」や「ファンタジー」という言葉によって、逆に貶めているとも考えられる。




出典:「マグダラのマリア」
From Wikipedia, the free encyclopedia


 



1945年にナグ・ハマディで見つかった古文書を学者が研究した結果マグダラのマリアについて新しい事実が解った」とケイトーはコメントに書いていたけれど、それって どういう古文書なのォ~?



次のような古文書ですよ。。。

 



ナグ・ハマディ写本

 


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ナグ・ハマディ写本(The Nag Hammadi Codices)あるいはナグ・ハマディ文書とは1945年に上エジプト・ケナ県のナグ・ハマディ(より正確には、ナグゥ・アル=ハムマーディ)村の近くで見つかった初期キリスト教文書のことである。

ナグ・ハマディ写本は、二十世紀最大の考古学的発見に数えられており、事実、初期キリスト教の研究を飛躍的に進展させた。
ナグ・ハマディ写本は、古代キリスト教を知るための原資料としては死海写本につぐ重要性を持つと見なされている。

写本は、農夫ムハマンド・アリー・アッサーマン (Muhammad ʽAlī al-Sammān) が偶然土中から掘り出したことで発見された。
発見時、文書は壷におさめられ、羊の皮でカバーされたコーデックス(冊子状の写本)の状態であった。

ナグ・ハマディ写本は全部で13冊からなっている。
より正確に言うと、12冊の写本と8枚の断片からなっており、後者は13冊目の写本から破られたものと6冊目の裏表紙に挟まれていたものである。
写本の多くはグノーシス主義の教えに関するものであるが、グノーシス主義だけでなくヘルメス思想に分類される写本やプラトンの『国家』の抄訳も含まれている。

ナグ・ハマディ写本研究の第一人者ジェームズ・M・ロビンソン(James M. Robinson) による『英訳ナグ・ハマディ文書』の解説によると、本写本はエジプトの修道士パコミオスがはじめた修道士共同体(後世の修道院に相当する)に所蔵されていたのかもしれないという。

写本はコプト語で書かれているが、ギリシャ語から翻訳されたものがほとんどであると考えられている。

写本の中でもっとも有名なものは新約聖書外典である『トマスによる福音書』である(同福音書の完全な写本はナグ・ハマディ写本が唯一)。

調査によって、ナグ・ハマディ写本に含まれるイエスの語録が1898年に発見されたオクシリンコス・パピルスの内容と共通することがわかっている。

そして、このイエスの語録は初期キリスト教においてさかんに引用されたものと同じであるとみなされる。

写本が作られた時期に関してはほとんど議論の余地がなく、西暦350年から400年の間と推定されている。
この年代は、カートナージやコプト語の字体から決定できる。
写本が土中に埋められたのは4世紀よりも以前である。

一方、写本に収録された各編の原本の成立時期については異論があり確定できていない。

ナグ・ハマディ文書そのものはカイロのコプト博物館に所蔵されている。

ナグ・ハマディ写本の発見以前、少数の例外を除くとキリスト教グノーシス派由来の直接的な文献はほとんど発見されていなかった。

そのため、グノーシス派に関する研究は、反異端の立場からグノーシス派を非難した古代の正統教会の教父たちが残した文献に頼らざるを得なかった

ナグ・ハマディ写本は古代キリスト教の異端としては最初で最大の勢力だったキリスト教グノーシス派の原資料にあたり、キリスト教グノーシス派の教理・神話論などを正統教会の偏見を通さずに知ることが出来ることから重要な写本である。




出典:「ナグ・ハマディ写本」
From Wikipedia, the free encyclopedia


 



このナグ・ハマディ写本が見つかって、改めて脚光を浴びたのが『マリアによる福音書』なのです。。。

 



マリアによる福音書

 


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マリアによる福音書は、グノーシス主義の福音書文書の1つである。

初期キリスト教の『新約聖書』の外典としてこの名の書籍の存在が伝わっていたとされるが、不明点が多く、全容は知られていなかった。
しかし19世紀に偶然に発見され、内容から外典とされていた『マリアによる福音書』であることが確認された。

『ナグ・ハマディ写本』から発見された諸文書とともに、グノーシス主義の原典資料として貴重であるだけでなく、初期キリスト教や当時の地中海世界の宗教状況の研究にも重要な文書である。

この文書において登場人物の名前はマリハムと表記されている。
マリハムは、マリア(マリヤ)と訳されている。

一般的には、イエスの母マリアではなくマグダラのマリアと考えられている。
そのため、本文書は『マグダラのマリアによる福音書』とも呼ばれる。

 

研究史

『マリアによる福音書』は、3世紀頃の初期キリスト教の教父文書などに言及が見られたが、原本は伝存しておらず実体が不明であった。
ギリシア語の断片が2つほど見つかっている。

エジプトで発掘され、後にベルリンに運ばれたパピルスの冊子、いわゆる『ベルリン写本』の冒頭部分が『マリアによる福音書』の写本であることが1896年に判明した。
十分な長さを持ったまとまった文書は、この写本から見つかったものが唯一のものである。

ただし、諸般の事情があって公刊が遅れ、『ナグ・ハマディ写本』の発見後1955年になってようやくテキスト全体が公刊された

『ベルリン写本』は『ナグ・ハマディ文書』とは別個の写本であるが、同様にサヒディック方言のコプト語で書かれており、ギリシア語原書より翻訳されたものと考えられている

前半および中ほど数頁に欠損があり、残っている部分にも欠落が多く、現存している写本は本来の文書のおそらく半分程度と思われる。

 



 

内容

前半では、復活した救い主(イエス・キリスト)が弟子たちの質問に答えて啓示を述べ与える対話と、それを受けた弟子たちの間の反応が記されている。

マリアは文書後半部分に登場する。
写本では「マリハム」と記されているが、この登場人物はキリスト教の『新約聖書』中に登場するマグダラのマリアのことであると考えられている。
後半部分の概要は次のようになっている。

救い主から福音の宣教を託された弟子たち(使徒)は怯むが、マリアは使徒たちを励ます。

ペトロがマグダラのマリアに対し、「救い主(イエス)が他の女性たちにまさってあなたを愛したことを、私たちは知っています。」として、彼女が救い主(イエス)から授かった秘伝を他の人々にも話すよう求める。

マリアは幻の内に見た救い主の啓示について話す。
アンデレ、ペトロはその内容を信じない。マリアは泣いて抗弁する
レビがペトロをたしなめ、使徒たちは宣教に出発する。

 

前半から後半を通して全体を見ると

以下のようにまとめることができる。


 

これまで、救い主は、聞く耳のあるもの(これはマリアらを指しているようだ)に対して、聞いたこともないような話をしていた。

そして、それらのことをいまだによく理解できていなかった弟子が、「世の罪とは何ですか」という、世の罪(イエスを刑死させた罪)と人の原罪とを暗にほのめかすような質問をした。(マリア福音書7)。

そうしたところ、それに対してイエスは、「罪というものはない」という答えをした。
そして、(罪よりの救済に関連した福音ではなく)人の内部にいる「人の子の王国の福音」を宣べ伝えよという命令を下した。

しかし、イエスの与える平安からは遠かった弟子たちは、「あの方を容赦しなかった世間の人がわれわれを容赦しないはずがない」といって恐怖した。

どうしていいかわからなかった弟子たちの中にあって、マリアは、イエスへの信を失わないでいた。
そのマリアに対して、ペテロは、「私たちのまだ聞いていない話を聞かせてください」といった。

マリアは、人の中から出てくるものがその人を汚すという言葉と関連したと思われる啓示が、イエスから啓示されたときの話をした。
心の中から出てくる欲望や怒りから、人は自由になれるという話である。

しかし、話を聞きたがったペテロは、その彼女の話を否定し、彼女の受けた啓示を否定した

それに加えて、「われわれに隠れてイエスが一人の女性とそのような話をしたのだろうか」、という推察を皆に述べた。

それは、弟子を対象としたイエスの教えの、自力救済的な悪に関する啓示の多くを否定する結果となった。
そして、弟子たちは、それぞれの考える「王国の福音」を宣べ伝えるために解散した。

 

キリスト教的グノーシス主義について

罪というものは存在しないという思想や、心魂が怒りや欲望から解放されると心の境地が上昇してゆくとする思想は、他宗教にも共通して見出されるものである。

これらの思想は特にキリスト教に依存しているとは思われないとされている。

しかし、この書は西方系のキリスト教グノーシス主義であると位置づけられている。
また、グノーシス主義はどこにも存在しなかったと主張する研究者もいる。

イエスは、大衆に対してはたとえ話を多く用い、弟子たちには、人のいないときにすべてを解き明かしていたとされている。
マリアの受けたとされるイエスの啓示は、人のいないときにイエスが弟子に対してすべてを解き明かした教えである可能性がある。
イエスの教えの中には、元々、心の中の悪に対しての認識を深めることが要求されていたことがあげられる。

人の心の中から出てくる行為や想念については、淫行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪意、奸計、好色、よこしまな眼、瀆言、高慢、無分別などがあげられている。

こうした、心の中から汚れが出てくるという思想について、四福音書では、ペトロがこれを全く理解できなかったことになっている。

それと同じような意味合いを持つマリアの話が理解できなかったから、ペトロはこれを否定した、と解釈することができる。

また、それと関連したこととして、不浄なものや、穢れたものをペトロがただの一度も口に入れたことがないとしたのは、かなり後になってからである。

 

異端排斥について

この書の成立年代を特定することはできないとされているので、可能性としては、1世紀に成立したということも考えられる。

367年にアタナシウスはエジプトにある諸教会に宛てて、現行新約のみを聖典として、その他の外典を排除するようにとの書簡を出している。

このことと、ナグ・ハマディ写本が地下に埋められたこととは関係があると推察されている[。

この書に見られる、マリアとペトロの対立は、異端型キリスト教と正統派型キリスト教の対立の始まりであると解釈する見解もある。

これは、もともとのイエスの思想には、たとえを用いて大衆に神の愛を説くという面と、自己を見つめ、怒りや欲望から解放されると心の境地が上昇し、悟りにいたるという自力救済的な面とがあったことから、発生したと見ることができる。

ペトロは、部分的にしかイエスの教えが理解できなかったと言えるようである。

この書は、弟子集団における女性指導者としての好ましいマリア像を提供しているとする見解がある。
また、マリアの福音書にある初期の教会の描写は、歴史的に正確であるとする見解もある。

マリアはイエスの最も信頼されていた弟子の一人だとする見解がある。

イエスが刑死したときに、十字架のそばに男性の弟子がいたとは考えづらいこともあり、イエスにとっては、女性の弟子も弟子であるとしていたようである。

しかし、ペトロにとっては弟子は男性のみという観念があったようである。




出典:「マリアによる福音書」
From Wikipedia, the free encyclopedia


 



僕が観た映画でも、だいたい、上のような資料を元にして話を進めているのですよ。。。現在のキリスト教、特に、西方系のキリスト教では、マグダラのマリアは娼婦も意味する「罪深い女」として必要以上に貶(おとし)められている。。。



どういうわけで。。。?

マリアとペトロの対立があったのですよ。。。異端型キリスト教と正統派型キリスト教の対立の始まりですよ。。。

どういうことよ?

あのねぇ~、上の資料を読んだだけでも、キリストは、ペトロ(ピーター)よりもマリアの方が理解力があると見ていたのです。。。当時は、当然、男尊女卑の傾向があったから、ペトロにすれば、キリストがマリアを優遇しているようで面白くない。。。

つまり、ジェラシー(嫉妬)ねぇ~。。。

そういうことですよ。。。ペトロはバチカンの聖ペテロの大聖堂があることからも解るように、キリスト教を広め大宗教にした後継者・指導者ですよ。。。でも、当時としたら、キリストの目には、マリアこそキリスト教の指導者にふさわしいと映ったに違いない。。。なぜなら、マリアは、重要な場面(処刑場、墓で死体に香油を塗る場、復活の場)全てに立ち会っていたことから、この事は明らかです。。。

つまり、弟子たちの間に権力闘争があったのねぇ~。。。

そういうことです。。。弟子たちには圧倒的に男が多かったから、当然の事のようにペトロがリーダーになったわけです。。。だから、つい最近まで、教会の司教はすべて男ですよ。。。ローマ法王が女であったことはこれまでに一度としてない! ペトロがマリア排除、女性排除に懸命になったのですよ。。。権力者というのは、常に、そういう事をするものです。。。ヒトラー、ムッソリーニ、スターリン、プーチン、習近平、。。。邪魔者は排除するのです。。。

じゃあ,マグダラのマリアは、娼婦などではなく、キリストに愛されるような優れた頭脳を持った女性だったのねぇ~。。。

そうです。。。美人ではなかったと思うけれど、頭脳明晰でキリストとはツーカーの間柄だったと思いますよ。。。

じゃあ、もしかして、結婚していたかも知れないわねぇ~。。。

キリストも男ですからねぇ~、二人の間に子供がいたとしてもおかしくないですよ。。。

 


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初出: 2023年6月15日



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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたもキリストとマリアの間に子供がいたと思いますかァ~?

ええっ。。。 「そんなことは、どうでもいいから、他に、もっと楽しいことを話せ!」

あなたは、そのように強い口調で私にご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。

シルヴィーさんが出てくる面白い記事は たくさんあります。。。

次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。

 


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『中国人がアメリカを発見した』

『2000年前の光通信』

『習近平皇帝』

『習近平@フランス』

『チャールズとダイアナ』


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とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ。


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