トリュフ、梅毒、ポテト(PART 2)
コロンブスのもう一つのお土産
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コロンブスがアメリカから持ち帰ったもう一つのお土産、梅毒(西インド諸島住民の風土病だったらしい)の方は、またたくまに全ヨーロッパで大流行し、次の16世紀初めの1512年には、極東の島国ジパングまで到達していた...
(最初のポルトガル人が日本へやって来たのは、1543年だから、それよりも早かったことになる)
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
64 ページ 『旅行者の朝食』
つまり、コロンブスがお土産にジャガイモと梅毒をもたらしたとデンマンさんは言いたかったのですか?
いや、それだけじゃないのですよ。 ジャガイモと違って梅毒は瞬く間にヨーロッパに広がって、1512年には、極東の島国ジパングまで到達していたと書いてある。 つまり、最初のポルトガル人が日本へやって来たのは、1543年だから、それよりも早かったことになる。 当然、じゃあ、誰が梅毒をもたらしたのか?。。。という疑問が僕のオツムに浮かんだわけですよ。 うへへへへへ。。。
つまり、その疑問を解決するためにこの記事を書こうと思い立ったのですか?
いけませんか?
デンマンさんも物好きですわね。。。 で、その答えが見つかったのですか?
ちょっと次の小文を読んでみてください。
梅毒の由来
•梅毒は15世紀以前から旧世界(ヨーロッパ・アジア・アフリカなど)に存在していたとする説。
古い法令に梅毒に関するものがあるなどとするが、本病による病変を示す人骨等の具体的資料は無く、支持者はほとんどいない。
•梅毒は、症状が非常に軽い状態で旧世界に古くからあったとする説。
現在でも熱帯地方を中心に、皮膚に白斑が生じる程度の「ピンタ」、潰瘍を生じる「ヨーズ」など軽症のものがあるが、これらは梅毒トレポネーマにより起こることから、旧石器時代(1万2000年以前)にピンタかヨーズが発生し、人類の間に広がり、15世紀末にヨーロッパでトレポネーマに変異が起きて梅毒が生じたとする。
•クリストファー・コロンブスの率いた探検隊員がアメリカ上陸時に原住民女性と交わって感染してヨーロッパに持ち帰り(コロンブス交換)、以後世界に蔓延したとする説。
コロンブスの帰国から梅毒の初発までの期間が短いという難点があるが、アメリカでも古い原住民の骨に梅毒の症状がある例が発見されており、また例えば日本でも、コロンブス以前の人骨には梅毒による病変が全く見つかっていないなど証拠は多く、最も有力な説とされている。
•旧ソ連の学者により唱えられた説では、梅毒はアメリカ起源ではあるがベーリング海峡を渡ってシベリア経由でヨーロッパに入ったとするものもある。
原因は、ベーリング海峡を通して両地域の住民の交流があったためである。
•日本では1512年に記録上に初めて登場している。
交通の未発達な時代にもかかわらず、コロンブスによるヨーロッパへの伝播からわずか20年でほぼ地球を一周したことになる。
特に沖縄においては、激烈な流行であった。
花柳界においては、多く罹患し、古くからいる人“(ふるっちゅ)”は梅毒に罹っている人、古血(ふるじ)は梅毒を意味する言葉となった。
著名人では、加藤清正、結城秀康、前田利長、浅野幸長などが梅毒で死亡したとみられている。
本病が性感染症であることは古くから経験的に知られ、徳川家康は遊女に接することを自ら戒めていた。
•抗生物質のない時代は確実な治療法はなく、多くの死者を出した。
慢性化して障害をかかえたまま苦しむ者も多かったが、現在ではペニシリンなどの抗生物質が発見され、早期に治療すれば全快する。
梅毒トレポネーマは抗生物質への耐性は獲得していない。
罹患患者も減少しているが、根絶された訳ではない。
•昔は鼻部の軟骨炎のために鞍鼻(あんび)や鼻の欠損になることがあり、川柳などに詠われていた。
江戸時代の夜鷹などには『鼻欠け』が多かったので、川柳にも『鷹の名にお花お千代はきつい事』があった。
勿論“お花お千代”とは“お鼻落ちよ”に掛けた。
•同様の症状を呈するハンセン病と同一視されていた時期がある。
ハンセン病を患ったダミアン神父も、梅毒と誤認され姦通の嫌疑を受けた。
•日本語の「梅毒」という呼称については、この病気によって生じる瘡が楊梅(ヤマモモ)の果実に似ていたため「楊梅瘡」と呼ばれていたが、これが時代と共に変化したとする説がある。
出典: 「梅毒」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上の文章の中に答えがあるのですか?
あのねぇ~、答えは書いてないけれど、「交通の未発達な時代にもかかわらず、コロンブスによるヨーロッパへの伝播からわずか20年でほぼ地球を一周したことになる。 特に沖縄においては、激烈な流行であった」、と書いてある。 当然のことながら、1543年に日本へやって来たポルトガル人というのは、あの有名な鉄砲をもたらしたポルトガル人のことですよ。
つまり、それよりも早く日本へやって来たポルトガル人が居たと、デンマンさんは言うのですか?
当然でしょう! それが1512年に梅毒を沖縄に運んできたポルトガル人ですよ。 こう言う事はポルトガル人にとっても、日本人にとっても名誉なことじゃないので歴史の教科書には書くことができなったのだと思いますよ。
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【卑弥子の独り言】
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ですってぇ~。。。
つまり、ポルトガル人が最初に日本にやってきたのは1543年ではなくて、1512年に梅毒を沖縄にもたらしたポルトガル人ということでござ~ますわよね。
うふふふふふ。。。
梅は梅でも梅毒よりも梅酒の方がいいですわよね。
そういうわけで、あなたのために梅酒の作り方をお教えいたしますわ。
あたくしの知り合いの奈良県のおばさんが 美味しい梅酒の作り方を伝授いたします。
<iframe width="420" height="315" src="//www.youtube.com/embed/Xr3RUh7JzXs" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますう。
だから、あなたも、お暇なら、また ぜひ読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。
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